創立1975年 翻訳の専門校 フェロー・アカデミー Fellow Academy
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言葉のチカラ

高橋聡(Akira Takahashi)
実務翻訳者

プロフィール

CG以前の特撮と帽子をこよなく愛する実務翻訳者。学習塾講師と雑多翻訳の二足のわらじ生活を約10年、ローカライズ系翻訳会社の社内翻訳者生活を約8年経たのち、2007年にフリーランスに。現在はIT・テクニカル文書全般の翻訳を手がけつつ、フェロー・アカデミーをはじめとする翻訳学校や各種SNSの翻訳者コミュニティに出没。

言の葉に思いをはせる

「考えるということは脳のはたらきだから、脳のことを考えることは不可能に近い」と、養老孟司も書いているくらいだから、言葉について言葉で書くというのは、なかなか難しい。

今、上の短い引用文のなかだけで「こと」を3回も使ってしまった。下手な日本語の見本だ。訳文でもよく見かけるが、気をつけないと、「こと」がやたらと増えてしまうことがある。ほら、また。

どうしてすぐに「こと」が出てきてしまうのか。ひとつには、日本語が、ひいては日本的な心持ちのあり方が「こと」中心だからだろう。ちなみに、英語には「こと」にあたる言葉がない。ウソだと思ったら、和英辞典で「こと」を引いてみよう。もちろん、いろいろな英訳が書かれているが、「こと」自体を一言では表せないのだ。

そもそも「言葉」が「ことのは」だというのは、よく知られている。日本文化では、「こと」の「は」がいろいろな意味をもったり、「こと」に「霊」が宿ったりする。「言挙げせぬ国」などといつまでも言っていたら、今の世界では通用しないのだけれど、それはともかく「ことのは、言葉」の拠って立つところが「こと」なのだから、何かというとすぐに「こと」が飛び出してくるのは、どうにもしようがないらしい。

「歌よみは 下手こそよけれ 天地の 動き出して たまるものかは」という有名な狂歌があって(宿屋飯盛)、これも「言の葉」に触れた古今和歌集仮名序がベースになっている(やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける……力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ……)。

などという大仰な文化論はおいておくとして、翻訳に臨むときも、こういう言語の特性をちょっと意識しておくと、たぶん、いい。単純なところでは、上に書いたように多用してしまいがちな「こと」を意識して減らせるはずだ。英語が名詞中心、日本語が動詞中心と言われるのも、「こと」の話と無関係ではないだろう。ちなみに、この文章では、意図的に使った箇所と鍵かっこ付きを除けば、「こと」を一度も使わずにすませた。こんな風にやってみるのも、たまには日本語ライティングのいい練習になる。

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