今回は、川副智子先生が翻訳を手がけた、サラ・グルーエン著『サーカス象に水を』をお届けします。作品の魅力から、本作を原作とした映画『恋人たちのパレード』の感想、作風を考えた訳語えらびまで、幅広くうかがいました。
『サーカス象に水を』
川副智子【訳】、サラ・グルーエン【著】
   武田ランダムハウスジャパン/998円(文庫)
2415円(単行本)
(各税込)

ジェイコブ・ヤンコフスキは90歳、もしくは93歳だ。息子たちからも見放され、老人ホームで独りかなしく、まわりの老人や世の中を皮肉る毎日を送っている。そんなジェイコブだが、ホームの近くにサーカスがやって来ると知って胸を躍らせる。思い出すのは、23歳の3か月、サーカスですごした嵐のような日々だ。行く当てもなく跳びのったサーカスの移動列車、華麗さの裏にあるサーカス団の過酷な現実、運命の女性との出会い、そしてサーカス史に残る大事件のさなか、彼女があいつを殺したあの場面……。
●訳者の川副智子先生に聞きました
まずは本書について紹介をお願いします。
   
川副先生: 老人施設に暮らす93歳の男性の3日間と、その男性が卒業を目前に控えた獣医学科の大学生だった23歳のころの3か月間がほぼ交互に一人称で語られるという小説です。この小説の魅力をひとことで言うのは難しいのですが、単行本のあとがきに書いたように、とにかく読んだあとになんとも言えない爽快感があったというか……。心がほんわかと暖かくなった、という表現をしている書評も見かけました。主人公のふたり(ほんとうはひとりなのですが、老人と若者が最初は同一人物とは思えないほどちがっています)が物語の進行とともに違和感なくつながってきて、最後にはしっかりとひとつになり、そこに信じられないような結末が用意されています。それはある意味ではファンタジーで、サーカスをおもな舞台とした小説の最後の最後に、意表をつく手品を見せられた気分でした。でも、騙されたというのでは全然なくて、拍手を送りたくなるような見事な技なのです。
本書を原作とした映画『恋人たちのパレード』が2月から公開となりましたが、ご覧になりましたか?
川副先生 映画、見ました。原作を何か月もかけて訳した人間にとっては、どんなによくできた映画化作品でもひとつやふたつの不満は残るものです。ただ、この作品の場合、わたし個人は老人の主人公のほうに惚れていたので、老いたジェイコブ(主人公)を中途半端に描かれたらつらかったと思いますが、そちらがほぼ完全に取っぱらわれていることで、むしろすっきりしてサーカス物として愉しめました。サーカス団で出会った若者とサーカス団長の妻の恋、というテーマに絞られており、映像美はさすがです。動物たちはみんなけなげで可愛いし、若いジェイコブ役のロバート・パティンソンが意外や意外(といったら失礼かな)、初々しくきらきらしています。映画タイトルを知ったときには正直、え? とは思いましたけど。サーカスも象もなしですか? と。まあ、そのへんは部外者ですからね……。
翻訳で苦労なさった点はありますか。
川副先生 この本に関しては不思議なことに苦労したという覚えがないんです。アメリカの古い時代の列車移動サーカスのことなどはかなり調べましたが、それも愉しかったです。たぶん文章も物語世界も相性がよかったのでしょう。サーカスの呼び込みの台詞などは、サーカスで実際にやっていたのかと編集者に言われました(最大級の褒め言葉と受け止めています)。もともとそういうノリのいい台詞を作るのが好きな体質なんじゃないでしょうかね。イメージとしては昔の浅草ストリップの司会(劇場で見たことがあるわけではありません)や、テキヤの寅さんの口上など。なにが翻訳に役立つかわからないものです。それぞれのキャラクターのイメージができれば自然と台詞の口調も決まってくるはずで、若い主人公と老いた主人公の一人称の語りは、「ぼく」「わたし」に最初に決めました。おそらく読者は違和感を覚えるだろうけれど、自分が原書を読んだときにもそう感じたのだから、それでいこうと考えました。
ノリということでは、現在形の文章がリズムを出すのに大きな役割を果たしていると思います。現在形で書かれた作品は最近(とくにアメリカの作家に)多くなっているように感じますが、何か傾向は感じていらっしゃいますか。
川副先生 現在形の原作は何度も訳しています。たしかにアメリカの文芸系の作品に多く、この作品を訳している時期はその割合が多かったため、特別なものという印象は受けませんでした。ただ、この『サーカス象に水を』もジョディ・ピコーの『わたしのなかのあなた』(文庫で『私の中のあなた』に改題)も通信講座の教材に使いましたが、どちらも現在形で書かれた原文で、受講生ははじめ戸惑ったようです。現在形の文章には独特の緊張感があって、使い慣れると訳文にリズムを生み出しやすく、わたしはじつは好きなんです。
作品の雰囲気づくりも翻訳の大切な仕事のひとつですが、ルビや訳語選択、どの言葉に訳注をつけるかの基準について教えてください。
川副先生 ルビや訳注は基本的には訳者の言い訳なので、なるべく避けたいとは思っています。そうはいっても、英語の語呂合わせや前文との引っかけなどの小技を使われると本文だけで対応できないこともあり、やむなくルビを振ることはします。使わないですむ方法をまず考えますが、ときどき、英語をわかる人にここの引っかけをもっと教えてあげたい、という妙な親心? が生まれたりするんですね。しかも、それが単にうるさいだけの心配であったりする。だから、もし、読者がわたしの訳文でルビが多いと感じたなら、訳者として力不足、余計な心配を勝手にしているだけでたいして効果があがっていないということ。ルビと訳注にはこれからも毎回悩みそうです。
訳語を選ぶ基準がつねに決まっているわけではありません。時代やキャラクターに沿った訳語が選ばれるべきでしょう。本作においてひとつ悩んだのは、老ジェイコブや他の老人が使う「看護師」という言葉です。「看護師」は新聞などでほぼ定着していましたが、老人たちなら「看護婦」さん、と呼ぶほうが自然なのではないかと。迷ったすえに地の文との兼ね合いから最終的には「看護師」で統一しましたが、かりに過去のパートで同じnurseが出てきていれば「看護婦」としていたでしょう。過去パートでは「夜会服」のような時代がかった言葉も意識的に使いました。一方で「パフォーマー」や「グランド・スペクタクル」などのカタカナ語を使っているのは、その時代のアメリカの大がかりなサーカスをイメージしやすい語だと考えたからです。もっといえば、この点に関しては日本臭さを排除したかった。とくに出演者を意味する「パフォーマー」は、同じく出演者を意味する差別的な「フリーク」との違いを表わすためにも、それしかないと思いました。
最後に、学習中のかたへメッセージをお願いします。
川副先生 翻訳が上達する秘策のようなものがあるわけではなく、あるとすれば、少しでも多く原文を読んで、訳す。その作業を黙々と繰り返すのみ。体験から、毎回どこかでこのことを言いつづけています。また、前回の河野純治さんもおっしゃっていたように、今のうちに本をたくさん読んでおくことも大事。日本語の文章力をつけるという意味では日本の小説やノンフィクションももちろんそのなかにはいりますが、翻訳書を集中的に読んでみること。それは、どういうものが市場にあるかを知る情報収集の作業であるとともに、翻訳のよしあしを見極める目を養うことにもなるから。
翻訳者は新しい言葉に敏感であることも必要ですが、きちんとした日本語を残す役割も担っていると思います。言葉の取捨選択は翻訳者に託されているのですから。そういう気概で文章を作っていただきたいですね。
川副智子先生のプロフィール:
出版翻訳家。『サーカス象に水を』『ミスターセバスチャンとサーカスから消えた男の話』(武田ランダムハウスジャパン)、『19分間』『私の中のあなた』(早川書房)、『愛する道をみつけて』(二見書房)、『あたしはメトロガール』『モーターマウスにご用心』(ソフトバンククリエイティブ)など訳書多数。
川副先生、ありがとうございました。
サーカスならではの印象的な名シーンが数多い本作ですが、編集者のかたからも絶賛された呼びこみの場面のほかに、もうひとつ特に印象に残っているのがストリップの場面です。小屋の薄暗さと、男たちの熱気と、ショーが織りなすグルーヴ感はまるで自分がその場にいるかのよう(劇場で見たことがあるわけではありません)。「おっぱい」と「乳房」は原文もやっぱりちがう言葉を使っているんだろうか……なんてことを先生にきくのははばかられ、自分で原書を確認してみるとこたえはそれぞれ「tittie(titties)」と「breasts」。……勉強になります!

(written by Takasaki)
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