ホンヤクこぼれ話


第127回『150歳の依頼人』の巻
今回は、藤井美佐子さんが翻訳を手がけた『150歳の依頼人』をお届けします。今回の作品は<海辺の幽霊ゲストハウス>シリーズの邦訳第2作にあたります。作品の読みどころや、小説をはじめて訳した感想などをうかがいました。
『150歳の依頼人』
E・J・コッパーマン【著】
藤井美佐子【訳】
東京創元社

離婚後に心機一転、故郷の海辺の町に戻り、幼い娘との生活のためにゲストハウスを開業しようと築百年以上の家を買った主人公アリソン。しかしあろうことか、そこには謎の死を遂げた男女の幽霊が取り憑いていた。『海辺の幽霊ゲストハウス』に続く本作『150歳の依頼人』は、念願のゲストハウスの開業にこぎつけたアリソンがちょっと変わった依頼人からちょっと変わった依頼を受けるところから始まる。
●訳者の藤井さんに聞きました。

ユーモアの楽しさと家族のつながりが感じられる
ファンタジー家族小説
個性豊かなキャラクターのやり取りが魅力

──まずは、作品について簡単な解説をお願いします。
藤井
さん:
本作『150歳の依頼人』は、昨年末に本国アメリカで長編8作目が出版された<海辺の幽霊ゲストハウス>シリーズの第2弾です。ジャンルはコージーミステリということになりますが、ユーモアを基調としたファンタジー家族小説といったほうがわかりやすいかもしれません。
本作は、念願のゲストハウスの開業にこぎつけた主人公のアリソンが、ちょっと変わった依頼人からちょっと変わった依頼を受けるところから始まります。ゲストハウスでは、その後の宿泊契約がかかった初めてのゲストご一行さまを迎えるなか、リアリティ番組の撮影もおこなわれ、そうこうしているうちに殺人事件が発生、番組キャストの問題もからんできて、事態は混迷を深める一方……てんてこ舞いのアリソン、幽霊たちと家族と友人の助けを借りて事件を解決できるのか……というのが作品の主な流れになります。
──作品を彩るキャラクターは、どういった人物たちなのでしょうか。
藤井
さん:
アリソンは家のリフォームも自分でやってしまうほどDIYが得意な反面、料理のほうはまるでだめ、つぶやくコメントもドライという“女子力ゼロ”のヒロイン。でも娘を思う気持ちはまっすぐで健気で、つい応援したくなってしまうキャラクターです。主人公のほか、ときに母親よりしっかりしている利発な娘、超がつくほど親ばかのアリソンの母親、対照的な性格の幽霊コンビ、思いやりと頼りがいがある友人夫婦、有能だけど幽霊が怖い女性刑事、ひと癖もふた癖もあるシニアのゲストたち、軽佻浮薄なプロデューサーなどが繰り広げる、くすっと笑えるやり取りがこの作品の大きな魅力のひとつとなっています。
本作からでも充分お楽しみいただけますが、前作『海辺の幽霊ゲストハウス』では登場人物のキャラクター紹介に重点が置かれ、取り憑いている幽霊ふたりの死の真相も明らかにされていますので、1作目からお読みいただくのもお勧めです。
──この作品の翻訳を手がけることになった経緯を教えていただけますか?
藤井
さん:
リーディングのお仕事として担当した1冊が本作『150歳の依頼人』でした。<海辺の幽霊ゲストハウス>シリーズのうち、リーディングで最初に読ませていただいたのが2作目の本作品で、それから1作目、3作目……とリーディングをさせていただき、1作目から出版することになったため、運よく翻訳を担当できることになりました。
──前作についてですが、藤井さんは小説をとおして翻訳なさるのははじめてだったかと思います。訳してみた感想を教えてください。
藤井
さん:
長編小説を1冊訳してみての感想は、ひとことで言うと“楽しかった”です。個性際立つ登場人物が繰り広げるコミカルなやり取りにくすりと笑ったり、主人公の理不尽な境遇に一緒に腹を立てたり、すれちがってしまった家族の心のふれあいにほろりとしてしまったり……人間のドラマに浸れる愉しい時間でした。
とはいえ、苦労した点もありました。前作『海辺の幽霊ゲストハウス』は3冊目のノンフィクションを訳した直後から訳出をスタートしたのですが、大航海時代の中国とイギリスを舞台にした古地図をめぐる謎解きにどっぷり浸かっていたので、ユーモア小説への頭の切り替えはなかなかむずかしかったです。特に苦労したのは、登場人物でひとりだけしばらくイメージが定まらなかったキャラクターがいたことです。「人物の声」がなかなか聞こえてこなかったと言えばいいでしょうか。そのほかの登場人物は、演じてもらうとしたらどの俳優さんがいいか、ぱっと浮かんでキャスティングできたのですが、そのキャラクターだけは頭のなかで役者を何度も交代させてしまいました。主人公との会話をどうするか試行錯誤を繰り返し、最終的には編集者と相談して、落ち着くべきところに着地できたと思います。
──先ほどもお話にあったとおり、キャラクター同士のかけ合いに特徴がある作品だと思うのですが、ユーモラスな会話というのは意味を取るのがかなり難しいのではと思いました。実際はいかがでしたか?
藤井
さん:
1作目でこの人はこんなことを言う人というイメージができあがっていて、それぞれのキャラクターがはっきりしていましたので、会話だけを取り出して特別むずかしいということはなかったように思います。ただユーモア作品なので、全編を通して面白さが伝わる日本語になるよう意識はしました。かけ合いという意味では、アメリカのシチュエーション・コメディなども参考になりました。
──日本人には馴染みのない言葉について、訳註にするものと、文章に入れ込むものを分けているように感じたのですが、使い分けの基準があれば教えてください。
藤井
さん:
訳註については、読む人の負担をなるべく減らせるよう文章に盛り込めるところは盛り込むようにしましたが、特に使い分けの基準というのはないです。しいてあげれば、師匠の田口俊樹先生の『翻訳文を書く極意十個条』のひとつ「恋と戦争と翻訳にルールはない」でしょうか。翻訳して伝えるということはただでさえむずかしいのだから、ルールにこだわらず、伝えるために必要なことはなんでもやりなさいという教えです。
──最後に、学習中の方にメッセージをお願いいたします。
藤井
さん:
出版の翻訳を学んでみようと思ったきっかけですが……10年ほどまえ、深刻な病気かもしれない疑いがあり、検査結果を待つあいだ、人生に残された時間で自分は何がしたいのかと考えました。それで出た答えが本の翻訳でした。出版の翻訳は遠い世界のことと決めてかかっていたのですが、やってみないことには悔いが残るだろうと思い、フェローの門を叩きました(ありがたいことに検査結果に問題はなく、心配は杞憂に終わりました)。フェローで学んでよかったことは、まず訳業を尊敬できるプロの翻訳家から直接指導を受けられたことです。ひとりで翻訳をしていて迷いが出てきたとき、先生の説明を聞くと、考えが整理されて思考の揺れやぶれが修正されるというか、眼のまえの霧がぱっと晴れる感覚があり、よい訳、自分が目指したい訳という基準が自分のなかで明確化されるように思いました。先生にはリーディングや下訳など直接仕事に結びつくチャンスや出版翻訳業界の集まりなどで編集者と知り合う機会をいただき、ご縁を結んでいただきました。これもありがたかったです。
出版の翻訳を学びはじめて日が浅かった頃、なかなか進歩が感じられず「この道でよかったのか」と疑念が湧くこともあったのですが、そんなとき何気なく励ましてくれた先輩と出会えたのも大きな財産になっています。勉強自体は一生終わりがありませんが、学校に通うことができるという恵まれた時期は人生でそう何度も訪れないことと思いますので、その機会を生かすことができてよかったと思っています。
藤井美佐子さんのプロフィール:
翻訳家。訳書に『海辺の幽霊ゲストハウス』、『150歳の依頼人』(東京創元社)、『毛の人類史 なぜ人には毛が必要なのか』、『セルデンの中国地図 消えた古地図400年の謎を解く』、『歴史でわかる科学入門』、『食糧の帝国――食物が決定づけた文明の勃興と崩壊』(太田出版)。
藤井さん、ありがとうございました。藤井さんのおっしゃるとおり、この作品はキャラクター同士のやり取りが印象的で、特に女性同士のユーモアと皮肉のこもったやり取りに魅力を感じました。
また、学習中のエピソードも印象的でした。インタビューにもあるとおり、翻訳は正解のない世界で、人や会社によって意見や姿勢が大きく異なることも珍しくありません。そんなとき、指針となる先生の教えがあれば、立ち返る原点を作ることができますよね。
(written by Takasaki)
藤井さんが受講した講座はこちら
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