トラマガ
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 【前編】 【後編】
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(2012年1月10日更新)
デビューのきっかけが人違い!? と信じられないエピソードで始まる柿沼氏の翻訳家人生ですが、それが成り立ったのは文芸作品が好きで和洋問わず大量にそして深く読み込んでいたこと、人に読んでもらう文章の鍛錬をしてきたこと、そうした土台があったからこそ。さまざまなジャンルの翻訳を手がける柿沼氏にお話をおうかがいしました。
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<柿沼 瑛子>(かきぬま えいこ)

★昔から完璧な朝型。6時には必ず目が覚める。
★午後は仕事効率がガクンと落ちるので、頭を使うことは午前中に集中して済ませます。
★ひざを痛めてからやめていますが、かつては登山講座の講師をし、受講生を連れて山に登る本格的な元祖山ガール。
★音楽の趣味も半端ではなく、市民講座でアメリカン・ミュージックの講義をするほど。
★実は、ここだけの話、KinKi Kidsと関ジャニ∞とラルク・アン・シエルのファン。コンサートには万難を排しても(?)出かけます。

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――翻訳者になったきっかけは?
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特に翻訳者を志していたわけではないんだけど、本は好きでよく読んでました。大学ではワセダミステリクラブに所属していて、出身者は北村薫さんなど作家が多くいます。当時はミステリの評論家や翻訳者が多くて、先輩がリーディング用に出版社から預かってきた洋書をこっそり読ませてもらったり、原書に触れる機会も多かったですね。
 卒業後に就職した靴の小売店は3年で辞めて、そのあと官公庁のアルバイトをしていた頃に、クラブの先輩を通して雑誌の書評を書かないかと声をかけていただいて、20代女性をターゲットとした雑誌『オリーブ』『Hanako』で後輩の女の子と2人で4年ほど書評欄を担当していました。でも編集長が変わったタイミングでライターも入れ替えになり、副収入が途絶えてしまったんです。ちょうどその頃、登山に興味を持ち始めたばかりで、道具を揃えたり、山岳会の会費を払ったり、交通費が掛かったりでお金が必要で、何か次のアルバイトはないものかと探していました。そんなとき、クラブの創成期の大先輩、翻訳家の仁賀克雄さんから下訳をやらないかとお声がかかったんです。これは大チャンスですよね。断る手はないと、喜んでお引き受けしました。

 ただ、実はこれが人違いだったんです。当時ミステリクラブの後輩が、勝手にペンネーム「柿沼瑛子」で翻訳作品を同人誌に発表していて、それを見た仁賀さんが、勘違いして私に声をかけてきたと。
 まあ、きっかけはどうあれ下訳を始めたわけですが、それまで長編の翻訳なんてしたことがなかったから、もう大変でした。まずペースが掴めないし、できると思ったところも全然できない。カナヅチのまま崖から海に放り出された(自分から飛び込んだのですが)状態です。ただ、このときの経験がすごくいい勉強になりましたね。わからないところが出てくると、すでに翻訳家でデビューしていた後輩の宮脇孝雄さんを捕まえて聞きまくりました。わからないところをまとめて持っていくと、丁寧に教えてくれました。あの窮地を乗り切れたのは、彼のおかげですね。
 3カ月の予定の下訳は結局5カ月かかってしまい、迷惑をかけたんですが、なんとかお眼鏡にかなったようで、次からは下訳ではなく自分の名前で1冊任されるようになりました。それが私の翻訳家デビューです

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――初めての長編の翻訳で認められたというのは、すごいことですね。
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 やはり、書評を書いていた経験が生かせたんだと思います。文章を書いて、人様に見せてお金をもらうわけですから、独りよがりではいけない。ましてや読者が若い女性で、どんな文化レベルの人が読んでもわかるように書かなければいけなかったので、あのときの文章を書く訓練が役に立ちました。当時は作品を取り上げた作家さんから「よくぞ、ここまで読み込んでくださいました」という嬉しいお手紙をいただいたりしていましたから。
 学生時代に本をよく読んでいたのは、あれは翻訳のためではなく読むのが好きだから読んでいたわけだけど、自分で好きになれるものを探して欲望にまかせて(?)読んでいくと、熱い思いがある分、言い回しや文章自体もどんどん吸収できてしまうんですよね。この読書体験も、間接的には役に立っていたのではないかと思います。

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――デビュー後はいかがでしたか?
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 当時はホラーブームで、朝日ソノラマのソノラマ文庫シリーズの仕事がしばらく続きました。デビューは『月を盗んだ少年』(デイヴィス・グラッブ著)という作品です。ホラーは特に得意だったわけではありませんが、その後に訳したロバート・ブロックやクラーク・A・スミスはもともと好きな作家だったので、喜んで訳しました。
 下訳も含めて3年ほどは官公庁のアルバイトと翻訳の二足のわらじでやっていたのですが、だんだん疲れてきて……。家の事情もありましたし、平日は9時から5時まで働いて、山岳会の集まりに出かけ、月に2回は山登りに行って。山に行くために車の免許が必要だと、教習所に通っていたし。これでよく3カ月に1冊訳していたなぁと。若さでしょうか。今では絶対に無理ですね(笑)。まあ、そんな調子で疲れてしまって、アルバイトを辞めて翻訳専業になったんです。専業になった頃の年収は78万円。親元で暮らしていたからこそできたというわけです。

 ところが専業になって間もなくソノラマ文庫シリーズが終わり、仕事がなくなって困ってしまって……。ですが、ライター時代に出版社の編集者さんと知り合いになっていたので、いろいろと紹介していただいて、社会思想社の教養文庫のゲームブック、早川書房のモダンホラーのシリーズを訳させていただいたりしました。その後は、ゲイ文学が中心になります。

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――ゲイ文学を翻訳するようになったきっかけは?
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 もともとこのジャンルが好きで、澁澤龍彦や森茉莉などの作品をよく読んでいたんです。学生時代には萩尾望都や竹宮惠子らの漫画家が登場して人気を博していました。まわりの編集者にもゲイ文学に興味のある人たちが多くて。やはり早稲田ミステリクラブ出身者の佐川俊彦氏が当時編集していた専門雑誌『JUNE』の誌面で、私が「ゲイ文学洋書ガイド」を始めたのが、ちょうどゲイブームの始まりの頃で、その後は知り合いの編集者から依頼が来て、ここで紹介した洋書を片っ端から訳させてもらいました。ブームは3年ほど続きましたね。
 で、このブームが終わったあとです。私が始めてミステリを訳したのは。もともとミステリが好きだったのに、翻訳を始めて10年目にしてようやくミステリ作品の依頼があったんです。ハヤカワポケットミステリの『稲妻に乗れ』という作品でしたが、このときは嬉しかったですね。デビューがホラーだと、どうしてもそのジャンルが続いてしまうんですよね。

 ロマンスを訳すようになったのはそれよりもさらに後で、2000年以降です。クラブの先輩で遊牧社という編集プロダクションをなさっている方がいて、お話をいただいてハーレクインを訳したのが最初です。しばらくロマンスのブームが続き、ノーラ・ロバーツなども訳しましたが、最近はブームのときほど多くはなく、他にはミステリやSFなどを訳しています。


後編では、それぞれの分野の翻訳の特徴や、出版翻訳家を目指して学習中の方へ今どんな勉強をすべきかアドバイスをいただきました。

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