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トラマガ

Vol.392 <前編>実務翻訳者 矢能千秋さん

発信者の意を汲み取って伝える、
日本人だからこそできる英訳を

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(2017年8月4日更新)
英訳をメインに翻訳者として活躍する矢能千秋さんですが、最初から翻訳を目指したわけではないそうです。会社勤めに疑問を感じ、英語力をもっと磨きたいと通訳・翻訳のスクールに通ったことがきっかけでした。通訳者になるか翻訳者になるか、翻訳支援ツールを導入するかしないか、悩みながら歩んできた道も、もう17年。FacebookやTwitterで発信する「顔の見える翻訳者」として、機械翻訳に負けない「人間翻訳者」として、講師として、出版翻訳者として、多方面に活躍する矢能さんにお話を伺いました。

日本企業が海外に向けて情報発信するお手伝いを

――翻訳歴17年ということですが、現在は主にどのような翻訳をなさっているのか教えていただけますか。

現在、主に仕事をいただいているのは、鉄道会社と地方自治体です。ドキュメントの内容でいうと、スピーチ、挨拶文、プレゼンテーション、ウェブコンテンツ、マーケティング資料、印刷物などが多いです。翻訳者になる前はコンサルティング会社勤務で、広く浅く多岐にわたる分野の仕事をしていたため、専門というものがありませんでした。それで、どんな会社でも発生するような一般的な文書の翻訳依頼を多く引き受けていたのですが、そうした種類の文書は業種を横断してニーズがあるため、かえってさまざまな業種のクライアントから依頼をいただくようになりました。

――英訳がメインだそうですね。

最初から英訳のみに絞ろうと考えていたわけではありません。自分にできるもの、合っているものを模索していった結果、残ったのが日英翻訳でした。
鉄道会社のプロジェクトでも、私以外の英訳者は英語ネイティブの方もしくは英語圏に住んでいる日本人だそうです。そんななかで私の英訳者としての位置づけは、“かゆいところに手が届く、あうんの英訳サービスがほしい時に頼む人”なんじゃないかと思っています。
英語ネイティブの方に頼むと、すらすらときれいな英語にしてくれるけれども、英語がこなれているだけに「原文と違うよね」とお客様からチェックが入ることがあるんです。想定読者は必ずしも英語ネイティブではないため、プレインな英語で日本語で書いてあることをそのまま訳してほしいというニーズが必ずあります。
それから、例えばスピーチ原稿にしても、忙しい日本人のお客様が書く原稿は、英語にするには言葉が足りない場合も多く、何を言わんとしているのか、意を汲んで伝えなければならないことがとても増えています。時には、そういう立場の方がこの文章で何を伝えるだろうかと考えて、足りない言葉を補足して英文にすることも必要です(もちろんご提案したうえで、了承を得てのことですが)。そんなときに私に依頼が来るのではないかと思っています。
日本のお客様が海外に向けて伝えたい情報を発信するお手伝いには、とてもやりがいを感じますので、英訳は私に合っていると思います。

――直取引の仕事もあるようですね。翻訳会社経由の仕事とどのような点が異なりますか?

メインの仕事は翻訳会社経由で、直取引のクライアントは全体の25%くらいでしょうか。もともと会社員時代に広告業界でエージェント業務をしていましたので、見積書の提出や納期の交渉、場合によっては自分以外の翻訳者の手配、チェッカーの手配など、すべて自分でできます。企画提案営業にもなれているので、翻訳の仕事でも直取引の場合は内容に踏み込んだご提案をするケースもあります。
翻訳会社を介すよりも翻訳料が高いことが直取引の魅力ではありますが、必ずしもよいことばかりではありません。例えば、直の場合は翻訳料がきちんと振り込まれるかどうか確認しなければなりません。遅れたり、場合によっては振り込まれなかったりというリスクもないとは言えません。その点、翻訳会社経由の場合は、見積書や交渉ごとなど翻訳以外のことは翻訳会社が代わりにしてくれます。PDFで支給される原稿を翻訳会社の担当者がテキストに変換してくれることもあります。翻訳者は翻訳だけに集中できるので、直取引よりもレートが低いのは、その分の手間代だといえます。直取引とエージェント経由、いずれにも利点があるのではないでしょうか。

回り道もした結果、たどりついた翻訳者の道

――現在は実務翻訳の日英を中心にご活躍の矢能さんですが、最初から翻訳者を目指したわけではなかったようですね。どのようにキャリアを積んでいき、最終的に翻訳者にたどり着いたのでしょうか。

英語を使って仕事をするということは昔から意識していたように思います。子どもの頃にテレビで放送されていた『兼高かおる世界の旅』が好きで、大きくなったら兼高さんみたいに世界を飛び回る、と小学生の卒業アルバムに書いていました。その夢の第一歩として、英会話教室に通わせてもらっていました。
高校の英語の先生がビートルズのファンで、夏休みの補講で洋楽を一緒に歌ったりニュース記事を読んだり、普通とは違う授業で英語がますます好きになりました。高校卒業後はその先生に勧められて外国語学部英語学科に進学することに。それが現在のキャリアにつながるスタートになりました。
その大学は海外に提携校がいくつもあって、ほとんどの学生が1年ほど留学します。私も3年次に西海岸の4年制大学に1年留学しました。留学が終わったら日本に帰って半年で卒業、そして就職となるわけですが、このまま帰国して私はどうするんだろうと考えたんです。
日本の大学ではESSに所属して英語劇にも取り組んでいましたし、英語のスピーチコンテストで入賞したこともあり、英語には多少は自信がありました。ところが留学してみると、授業やテキストの英語はそれなりに理解できるのですが、学生の日常会話が理解できないんです。このままの中途半端な英語では、仕事で使うといっても限界があります。そこで、そのまま卒業まで留学先の大学に残らせてもらったんです。結局、日本で2年半、アメリカで3年、合計5年半かかって大学を卒業しました。

――留学先で英語力を磨いて、実際に英語を生かせる仕事に就くことはできましたか?

それが、そううまくはいきませんでした。就職は、コンサルティング会社の海外事業部から内定をもらっていたのですが、私が就職した当時はバブルがはじけ気味の頃でした。いざ入社してみると海外事業部は縮小が決まっていて、関連会社の広告代理店に出向することになったのです。仕事はマーケティングです。クライアント企業から依頼を受け、展示会やセミナー、広告などさまざまな媒体を使ってビジネスマッチングを実現させるのですが、クライアントは日本の企業なので英語はまったく必要ありませんでした。
3年半ほど勤めたところで、さらに別の関連会社で海外事業部が立ち上がるという話を聞きつけ、そこへの転籍を希望しました。そちらも同じくマーケティングの仕事ですが、クライアントが米国企業で、ロサンゼルス支社の日本窓口という位置づけでしたので、今度は英語を使う機会がありました。
その部署では、結局5年半ほど働きました。最後の半年はロス支社に出向したので、毎日英語を使う日々でしたが、大学を卒業してから10年近く経っていたのと、学生時代に使っていた英語とビジネス英語とは違うこともあり、自分では専門だと思っていた英語が弱くなってきているのを身に染みて感じました。もう一度英語のてこ入れをしないといけない、そんな気持ちになりました。
そこで帰国後、平日の夜間と週末に通訳・翻訳のスクールに通うようになったんです。

――そこで転機が訪れたわけですね。英語を磨き直して転職しようと。

はい。改めて英語の勉強を始めて、この先どうしようかと考えました。当時の私は年俸制のフレックス勤務で、会社まで歩いて通える距離に住み、深夜でも休日でも構わず仕事をして、プライベートと仕事の境目がないような生活をしていました。結婚もしたいし子どももほしいと考え、半年の間に、入籍、退職、引っ越し、合資会社を設立。私はさらに1年半、通訳と翻訳の勉強にいそしみましたが、その間に子どもができて出産、ということになりました。

――通訳と翻訳、両方の勉強をしたようですが、どちらかに絞らなかったのはなぜですか?

英語をもっと磨いて仕事をしたいという思いで通訳と翻訳を学び始めましたが、最初のうちはまだ具体的にどういう方面に進むか決めていませんでした。何が自分に向いているのかわかりませんし、あらゆる可能性を追求したいと思い、翻訳と通訳の入門から実践まで、さまざまなクラスを受講しました。
子どもができて、子育てと両立するには翻訳のほうがいいかとも思いましたが、せっかく留学までしたのでリスニングやスピーキングの力を維持したいという思いがあり、通訳も諦められませんでした。雑誌などで情報を集めて、通訳のほうが稼げるとか、翻訳ならメディカルや契約書のレートがいいとか、何か情報を得れば、その勉強をしてみたり、多方面に可能性を探る時期がありました。
スクールでの学習が終わったのが2001年3月でしたが、子どもを産んだのも同じく3月。最後のほうは通学から通信に切り替えてなんとか講座を終えたんです。7カ月の早産で生まれたので、そこからしばらくは育児が大変でした。一方で、せっかく学習を終えたのに、早く仕事に結びつけないと、という焦りもありました。

――初めての翻訳の仕事はどのように得られましたか?

結局、その年の12月に翻訳の仕事の打診を受け、それが初仕事になりました。通っていたスクール系列のエージェントから紹介された仕事で、インターネットラジオの英語放送を聞いて日本語に要約するという内容でした。週5回の放送を2人で分けて、私は週に2回担当しました。通訳と翻訳の両方を勉強していたので打診があったのだと思います。リスニングがあり、また全文訳ではなく要約という、通訳と翻訳のはざまにあるような仕事でした。この仕事は2年ほど続きました。

――翻訳の仕事を始めた当初は、翻訳以外の仕事もされていたそうですね。

はい。スクールで受講したクラスのひとつに、同時通訳者の草分け的存在である村松増美先生の「通訳入門」がありました。ちょうど村松先生が「NPO法人えむ・えむ国際交流協会」を立ち上げようとしていた頃で、その事務局を手伝うことになったんです。
スクールを終えて仕事を始めると、月例会開催の通知やホームページの更新といった仕事を自宅でやることになりました。ですから私のフリーランスとしての駆け出しの頃は、NPO法人事務局の仕事と翻訳の二足のわらじでした。
村松先生は通訳者でしたので、先生の紹介で通訳の仕事の手配などもして、私自身も逐次通訳のスタッフとして加わったこともありましたが、初めてでうまく仕事がこなせず、ペアを組んだ方に迷惑を掛けてしまったことがありました。通訳者としてやっていくと心に決めていたら、それを教訓にさらに勉強に励んだかもしれませんが、その頃の私は他の仕事や子育ても忙しく、どうしても通訳を続けたいという覚悟がありませんでした。


通訳と翻訳のスクールに通い、会社員からフリーランスへの転身を図った矢能さん。NPO法人の事務局と翻訳者という二足のわらじでキャリアをスタートさせましたが、その後はどのように実績を積んでいったのでしょうか。出版翻訳にも活躍の場を広げていった経緯は後編でご紹介します。お楽しみに。

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矢能さんが講師を務める講座
通学 単科「ビジネス英訳」(2017年10月期 募集中)
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<やのうちあき>

レッドランズ大学社会人類学部卒業。大学卒業後は、コンサルティング会社でマーケティングに携わる。その後、NPOえむ・えむ国際交流協会(代表:村松増美)事務局を経て、現在フリーランス翻訳者として17年目(2017年8月時点)。主にスピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道、環境分野における日英・英日翻訳に従事する。


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『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』(河出書房新社)

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