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トラマガ

Vol.393 <後編>実務翻訳者 矢能千秋さん

発信者の意を汲み取って伝える、
日本人だからこそできる英訳を

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(2017年8月15日更新)
コンサルティング会社での約10年の経験の後に、自身のキャリアを考え直し、通訳・翻訳の道を志した矢能さん。さまざまな可能性を探った結果、子育てと両立させながら自分の能力を発揮できる仕事としてたどり着いたのが翻訳者の道でした。現在、フリーランス翻訳者として17年目。安定した仕事をこなしながら、矢能さんが考えるのは次の10年です。自分はどうなりたいのか、何ができるのか、模索した結果、1冊の本の翻訳に携わる機会を得ました。仕事の幅をますます広げる矢能さん。その秘訣は?

無理せず自分らしく「人間翻訳者」が私の仕事

――フリーランス翻訳者として仕事をスタートさせたわけですが、仕事は順調でしたか?

仕事が軌道に乗るまでの数年間は、怖いもの知らずで依頼される仕事はすべて請けていました。ですから、契約書、論文、株主総会の案内、会計報告書など、ジャンルもさまざまでした。
今振り返ると、スクールを出てからすぐに翻訳一本ではなく、NPO事務局の仕事と2本柱で収入を得られたのは、とても恵まれていたと思います。多くの駆け出し翻訳者の皆さんは、昨日まで課題をやっていたのに、今日からフリーランスとして、いきなり厳しい納期で、仕事を選ぶこともままならず、プロの仕事をするという状態に置かれます。私の場合は、事務局の仕事で半分以上の収入を得ていたので、無理に仕事を詰め込む必要もなく、勉強する時間も取れました。例えば、契約書の仕事を初めて請けたときは、関連本を3冊ほど読んで調べてから翻訳に取りかかったりしていましたね。英訳では「英語ネイティブチェックを掛けないとダメだよ」と村松先生に言われたので、英語ネイティブのチェッカーを探して、一緒に組んで仕事をしていました。

――二足のわらじの期間は、その後もずっと続いたのですか?

それが、村松先生がご病気になってしまわれたため、事務局の仕事は4年半で終了しました。そうなると翻訳の仕事をもっと増やさなければなりません。幸い、先生やスクールのクラスメートが紹介してくれたこともあり、仕事量は徐々に増やしていくことができました。そのとき紹介していただいた仕事のひとつに鉄道会社の翻訳プロジェクトがありました。プロジェクトの末席に加えてもらってから12年間経ちますが、現在でも私のメインの仕事として続いています。

――鉄道というと専門知識が必要な分野のように思いますが、その点は大丈夫だったのでしょうか?

「鉄道案件はできますか?」と尋ねられて、「きかんしゃトーマスとプラレールで鍛えています」と答えたのを覚えています。鉄道は息子とよく近所の車両センターに見学に行っていました。
ただ、新人として参加させていただいたので、いきなり難しい仕事は振られませんでした。どんな業種であれ、会社で発生するドキュメントには多種多様なものがあります。鉄道会社だからといって鉄道の専門知識が必要なものばかりではなく、書簡などの一般的なものもあります。最初はそういう文書から始めて、OJTで教えてもらいながら、徐々にテクニカルな内容も訳せるようになっていきました。

――矢能さんの名刺には「人間翻訳者」と書いてありますね。これはどういう意味でしょう?

「人間翻訳者」は私の屋号です。翻訳ツールをあまり使わずに翻訳をしているので、それをこのように表現しています。
実務翻訳を生業としている者として、私もTradosくらいできなければと思い、購入したことがあります。個人レッスンも受けて、使えるようになったのですが、どうも相性が悪いというか、自分の思うような仕上がりにならなくて……。翻訳する以外のことに神経を使わなければならないのがわずらわしく、どうしてもなじめませんでした。
そこで考え方を切り替えたんです。ツールが使える人は大勢いるから、私である必要はないと。私は、私である必要があるものを訳せばいいんだという考え方に落ち着きました。

――それは具体的にはどのような翻訳ですか?

翻訳支援ツールを使わない案件も、まだまだたくさんあります。Tradosのような翻訳支援ツールは、過去の翻訳資源の再利用ですよね。過去の翻訳がTM(トランスレーション・メモリー)に入っていて、それを効率よく再利用できるようにツールが補助してくれると。ということは、過去の翻訳がない新規の案件や繰り返しがない案件に使ってもさほど利点はありません。そういういきさつで、私のところには新規の案件の依頼が集まってくるようになりました。
例えば、経営企画の「長期計画書」や今後10年間の「経営ビジョン」、販売促進の「プレゼンテーション用資料」などは、常に見直して新しいものを作成しなければなりません。社長や役員の「あいさつ」やカンファレンスでの「オープニングスピーチ」「クロージングスピーチ」などもそうです。言ってみれば、スピーカーの顔が見える文章ですね。過去に似たようなものがあったとしても、それと同じ訳文にする必要はない。常に表現や言葉を見なおし、スピーカーの思いを伝える文章でなければならないので、既訳に捕らわれずに翻訳した方が仕上がりがよく、翻訳支援ツールには合わない案件といえるでしょう。
このような翻訳案件は内容重視で、「この人に頼めば大丈夫」と指名でいただくことが多いので、リピートの仕事になります。担当の方が異動したら仕事が来なくなったという話も聞きますが、指名していただける仕事の請け方であれば、たとえ担当の方が異動になっても、後任の方に引き継がれていき、また声をかけていただけます。
いわば、ひとつひとつテーラーメイドの翻訳ですね。もちろん過去の原稿にも目を通しますが、昨年と今年は同じである必要はありませんし、常に新しい情報を取り入れつつ提案させてもらうことで、はじめて対等なビジネスパートナーになれると思っています。

自分でゴールはつくらない。新たなことに挑戦を!

――最近は出版翻訳の仕事も始められていますね。どういうきっかけだったのでしょう?

2012年にある対談に参加して、フリーランス翻訳者の仕事観についていろいろと話をさせてもらいました。当時は翻訳者になって13年目くらいでしたが、そこで「出版翻訳。夢ですね」と発言しているんです。あまり意図していたわけではなく、無意識でした。実務翻訳はスピードを求められるため、瞬発力が必要です。それなら何歳まで続けられるだろうと考えたんです。企業の定年の時期、65歳くらいかなと想像しました。発注側の担当者のほうが若くなってくると、あまり年上の翻訳者には依頼したくないと思うかもしれません。
では、その先はどうしよう。そこで考えたのが、仕事の柱を増やすことで収入を安定させよう、ということでした。実務翻訳という柱に加えて、2012年には講師の仕事を始めました。そして次に増やしたいと思った柱が出版翻訳でした。

――同じ翻訳とはいえ、実務と出版ではフィールドが大きく違います。どのようにして出版翻訳の世界に入っていったのですか?

“顔の見える翻訳者”になろうと思い、東日本大震災の後くらいからTwitterやFacebookを始めました。言われた通りに翻訳するだけじゃなくて、提案営業を積極的にしていこうと考えたからです。おかげで、徐々に紹介や直取引が増えていきました。
また、多くの翻訳者の方とつながることもできました。あるときFacebookを見ていたら、出版翻訳の方々が参加する会の写真を目にしたんです。隣の芝生は青いんですよね(笑)。「いいな、私もあそこに行きたいな」と思いました。
夢を夢だと言うだけではそれで終わりです。具体的に行動を起こしたら叶うかもしれません。産業翻訳と出版翻訳の二足のわらじを履いている先輩方にいろいろと話を伺い、翌年の会の受付を手伝わせてもらいました。そのときに幹事をされていた編集者の方にご挨拶させていただき、年が明けてから鉄道の本のゲラ校正を手伝わせてもらったんです。
その年の後半に翻訳の打診をいただいたのがミツバチの本でした。『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』(河出書房新社)という本ですが、3名の共訳で、私は第1章と図鑑の部分を担当させてもらっています。

――実務翻訳の仕事をしつつ、書籍の翻訳もするというのは大変ではなかったですか。どのように両立させたのでしょう?

そうですね、実務翻訳を完全に休むことはリスクが大きいので避けたいところです。そこで両立させるためのバランスを考えました。
実務翻訳の仕事で、自分がどれくらいの量を翻訳できるのか知るために、私はずっとどのくらいの期間で何枚を訳したか記録を取っていました。今までの最高は1か月で200枚でしたが、ここまで多いと文章も荒れてきます。150枚くらいなら問題ないだろうと判断しました。
それで、編集者の方から「1か月でどれくらいできますか?」と尋ねられたときに、私は100ページと答えたんです。実務翻訳と出版翻訳のページ数は必ずしも一致しませんが、出版翻訳100ページ、実務翻訳50ページと考えて、取引のある翻訳会社の担当の方には「ちょっと大きな仕事が入りました」と連絡して、レギュラーで担当させてもらっていた案件に絞ってもらえるようにお願いしました。
よく、駆け出しの翻訳者で、自分がどのくらい翻訳できるかわからない、という方がいますが、過去の記録を見ればだいたい判断できますので、データをためておくといいと思います。

――実務翻訳では英訳がメインだということでしたが、出版翻訳では和訳になりますね。その点で不安はありませんでしたか?

英訳するときにも英文をたくさん読みますし、留学していたおかげで英文を読むのは苦にならなかったので、原文を読んで解釈するほうは、問題ないだろうと思っていました。原稿を読ませてもらいましたが、図鑑ということで本文自体は比較的プレインな英語でした。固有名詞の調べものには苦戦しましたが、監修の先生も見てくださるとのことでしたし、これほどの機会はないとお受けしました。
日本語のほうは、出版翻訳をいつか手がけたいと口に出したころから、勉強会などに参加するようにしていました。やりたい、やりたいと言っていたのに、いざ仕事が来て、スキルがないということでは困るので、自分なりに準備は整えていました。

――その後、さらに出版翻訳の講座で勉強を続けているそうですね。

はい。自分の文章が本になり、自分の名前が表紙に載るわけです。そこには大きな責任があると身に染みて感じました。
多くの方がお金を出して本を買ってくれると考えると、実務翻訳よりも広い読者層を想定した、読みやすい日本語が求められます。納期が厳しく、スピードが求められる仕事も少なくないと聞きます。刊行点数や冊数が減ってきている昨今の状況を考えると、私が以降も依頼をいただくためには、もっと勉強しなければと思いました。今でもいくつかの勉強会に参加しています。

――現在は講師業のほうもなさっていますが、こちらはどういう理由で始められたのですか?

実は、以前は講師の仕事にはあまり関心がありませんでした。でも、子育てを経験したからでしょうか。ひとが育つのを見るのは楽しいと思うようになりました。
スクールを出て翻訳会社のトライアルを受け、いきなりフリーランスの翻訳者になってしまうと、戸惑うことがたくさんあるんじゃないかと思います。何も知らないから、ただ言われるがままという状態で仕事を始めたり、戸惑いながらツールを使ったり……。人はそれぞれ、自分に合うやりかたがあるので、それを発見するためにお役に立てればと思います。

――フェロー・アカデミーでは2017年10月から通学講座「ビジネス英訳」をご担当いただきます。この講座の特徴を教えていただけますか?

授業は1か月に1回、課題はA4で1枚程度のものを2週間で訳してメールで提出してもらいます。それを添削して授業で解説するというサイクルです。
1枚程度なら、プロであれば1時間で訳せる量です。それに2週間をかけるのはなぜかというと、調べる時間が十分にあるということです。インターネット上を探せばお手本となる対訳がいくらでも見つかります。初めて訳す種類の文書であっても、しっかり調べて取り組めば、完成度の高いものが出来上がるはずです。調べずに訳した文書は、読めばすぐにわかります。提出する訳文には、必ずやる気の度合いが反映されますので、覚悟を持って取り組んでいただきたいと思っています。
半年の講座でどこまで身につけていただけるかは、その方の意欲次第でもありますが、こちらが気になったところはどんどん指摘しますし、フリーランス翻訳者として活躍するための心構えなど、私に伝えられることはできる限り伝えるつもりです。また、「伝達ミスのないクリアな訳文を目指す」という点はフリーランスと共通していますので、社内で翻訳をしているという方も歓迎です。3年後の東京オリンピックやインバウンドの増加などもあり、日本人英訳者の活躍の場は広がっていくと思います。本気で取り組んで、そのまま仕事に結びつくスキルを身につけていただきたいです。


編集後記

独自の考え方で翻訳者としての道を切り拓いてきた矢能さん。とても好奇心旺盛、向上心のある方で、生き生きと楽しみながら、ぐんぐん前へ進んでいく、そんな印象を受けました。次の本を出すのが現在の目標だとか。その知らせが届くことを楽しみにしています。

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矢能さんが講師を務める講座
通学 単科「ビジネス英訳」(2017年10月期 募集中)
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<やのうちあき>

レッドランズ大学社会人類学部卒業。大学卒業後は、コンサルティング会社でマーケティングに携わる。その後、NPOえむ・えむ国際交流協会(代表:村松増美)事務局を経て、現在フリーランス翻訳者として17年目(2017年8月時点)。主にスピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道、環境分野における日英・英日翻訳に従事する。


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JAT(日本翻訳者協会)掲載のプロフィール


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『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』(河出書房新社)

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