阿部寿美代さん
NHK国際部記者を経て、1998年『ゆりかごの死~乳幼児突然死症候群(SIDS)の光と影』で、第29回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。現在は英語・フランス語・ドイツ語の出版翻訳者として活躍中。
NHK国際部記者を経て、1998年『ゆりかごの死~乳幼児突然死症候群(SIDS)の光と影』で、第29回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。現在は英語・フランス語・ドイツ語の出版翻訳者として活躍中。
オーディションに合格して出版翻訳家デビュー
翻訳会社トランネットのオーディションに合格し、2013年2月に『パリ・ヴァーサス・ニューヨーク~二つの都市のヴィジュアル・マッチ』でデビューしました。パリに育ち、ニューヨークを愛する新進アーティストが、両都市の風物を色鮮やかなイラストで対比させたグラフィック集です。英語とフランス語のごく短いコメントを、日本の読者がクスリと笑ってくれるように訳すのは、もはや禅問答の世界。文字数は少なかったのですが、翻訳者のセンスが試される、なかなかハードルの高いデビュー作でした。
その年の秋からは翻訳会社リベルを通じて、これまでに4冊のノンフィクションを手がけました。私にとって2作目となったのは『戦争と演説~歴史をつくった指導者たちの言葉』。原書は英語でしたが、引用されていた独仏首脳の演説はそれぞれドイツ語とフランス語の原典を探しました。ド・ゴールやヒトラーが実際に口にした言葉にあたったことで、よりリアルな訳ができたかなと思っています。また次の『クリスチアーネの真実~薬物依存、売春、蘇生への道』はドイツ語の本でしたが、国外向けに再構成したフランス語版からの翻訳ということでお受けしました。ところがそれが誤訳だらけ! 泣く泣く、フランス語ほど得意ではないドイツ語の原書から訳す羽目になりました。でも結局、それからドイツ語のリーディングもいただけるようになり、お仕事の幅が広がったのです。
英語だけでなく2、3か国語できると、本当に有利だと思いました。
受講をきっかけに伸び悩みを打破
NHKで記者をした後、ノンフィクション作家として再出発しようとしたのですが、本当によいものは私生活を全部犠牲にしないと書けないのです。そろそろ自分の生活がしたかったので断念し、子どもを3人育てました。でも本が好きで暇さえあれば読んでいるような生活だったので、1番下の子が小学校に上がった時、自宅にいながらジャーナリストとしての経験も活かせる翻訳に挑戦してみることにしました。
2011年にアメリアに入会して定例トライアルへの応募を開始し、オーディションも受け始めました。ところが1年経ってもトライアルの成績は伸びず、オーディションも不合格続き。やはり独学には無理があると思い、2012年の9月からフェローの通信講座「マスターコース」の受講を始めました。
数か月後、オーディションに合格して初仕事をいただきました。講師の先生から「『著者が日本人だったらこう書くだろう』という意識で」と教わったことで、翻訳への姿勢が変わったのかもしれません。
迷ったら講師の教えに立ち返る
フェローでは1年半の間に、通信と通学を合わせて3講座を受講しました。ある先生は「日本語としての読みやすさ」を、ある先生は「何も足さず、何も引かない」という原文重視の姿勢を強調されていましたが、その兼ね合いはいまだにつかみ切れていません。
日本語にした時に不自然になる場合、原文をどれだけ「補って」いいのかは、出版社の方針によっても大きく変わってくるようですね。でもとにかく迷ったら、まずは一度、基本に立ち返って原文とじっくり向き合ってみるようにしています。
翻訳という仕事の魅力
私の訳ひとつで、この本はよくも悪くもなる……そう思うと、翻訳という仕事に大きなやりがいと責任を感じます。 作業としては、納得できるまで言葉や表現を工夫できるところが楽しいですね。記者時代はつねにスピード勝負で、あまり言い回しを吟味している暇もありませんでしたが、今は納品するまでに何回も見直すようにしています。なかなか納得する言葉や表現までたどり着かないのですが、日本語としてすっと流れるように仕上がるとほっとします。
今のところご縁があるのはノンフィクションばかりですが、フィクションにも挑戦したいですし、小学校で読み聞かせのボランティアをしているので、そこで読めるような絵本も訳してみたいです。
記者時代にはよく、「中学生にもわかるように書け」と言われました。その頃の気持ちを忘れず、複雑な内容でも一度で頭に入るような、しかも味のある日本語を目指してがんばろうと思っています。