Mummy-Dの「言葉のチカラ」

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Mummy-D
ラッパー

プロフィール

ラッパー、プロデューサー。1970年横浜市生まれ。ヒップホップ・グループ「ライムスター」のラッパー、プロデューサーで、グループのトータル・ディレクションを担う司令塔。1989年宇多丸とグループ結成。ライブ活動を中心に黎明期より日本のヒップホップ・シーンを牽引してきた。ジャンル外からの信望も厚く、椎名林檎、スガシカオなど多くのアーティストの様々なジャンルの作品にプロデュース、客演で参加。また2004年にSUPER BUTTER DOG(当時)のギターリスト竹内朋康と、ラップ+ギター・ユニット「マボロシ」を結成し、2008年までに3枚のアルバムをリリース、革新的な音楽を模索した。最近はライムスターで意欲的な活動をみせながら一方で、ドラマ、CM、舞台にと役者業やナレーターなど活躍の場をひろげている。

ラッパーにとって「言葉」とは?

ラッパーにとって「言葉」は武器であり、リズムである。
「コ!」「ト!」「バ!」と3発撃てる実弾である。
僕らの世界では、それは誰かの声帯に依存してのみ存在する「音」そのものなのだ。
確かに歌詞カードなるものは存在するのだが、それを「読む」ことによって得られる情報は、その「銃声」が本来持つ魅力の10分の1以下に過ぎない。
どのようなビート上で、どんなタイミングで、どんなスピードで、どんなキャラクター、ニュアンスで放たれるのか、それによって聴き手の受ける印象は全く変わってしまう。

さらに、僕らにとって「言葉」とは音楽、特にリズムを構成するための「手段」である側面が強い。極端なことを言えば、聴感上のキレや楽しさのために、意味や整合性を犠牲にする瞬間すらあり、かつそれが音楽的には「正解」なことも。世に中身のないパーティーラップが蔓延する所以である(キライじゃないけど)。

しかしそれだけでは「ラッパー」ではあるが、「リリシスト」とは言えない。
「ラップ・ミュージック」ではあるが、文化としての「ヒップホップ」とも言えない。
それがリアルなストーリーテリングなのか、アブストラクトな言葉のコラージュなのか、ダブル、トリプルミーニングを駆使した技巧派なのか、スタイルは様々だが、上記のようなハードルを越えた上でやはり、ハッとさせる「言葉」の連なりがそこになければ、巷間はおろか、コアなシーンの内部でも「リリシスト」の称号を勝ち取ることは出来ないのである。

「ラップ」というものはリズムの要素の強い「歌唱法」であり、「うた」の一形態であるのだが、一般的な「うた」の数倍以上の「言葉」を詰め込むことができる。
フレンドリーな旋律の代わりに、話し言葉に近い生々しさで、聴き手の心にダイレクトに訴えかけることができる(と信じている)。だとすれば、未熟な僕らのジャンルにはまだまだ新しい表現が産まれる余地がある。
「言葉にならない」をコトバにする義務がある。
「きみはひとりじゃない」の新しい言い方をひねりださなければ、表現者としての存在意義がないのである。

これはラッパーに限った話ではないのかもしれない。
「言葉」を生業としている以上、受け手の存在やポピュラリティーを意識しつつも、せめて、せめて一行だけでも、未だ誰も探し得なかった「言葉」の連なりを見つけ出す。それこそが僕らに課された課題であり、「言葉」に生きるものの醍醐味であると考える。
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