翻訳こぼれ話

小説、ノンフィクション、児童書……フェローの講師や受講生が手がけた翻訳書にまつわる貴重なエピソードをご紹介。これを読めば本が2倍楽しめること間違いなし!

今回の作品
『問いかけ続ける 世界最強のオールブラックスが受け継いできた15の行動規範』

今回は、恒川正志さんが翻訳を手がけた『問いかけ続ける 世界最強のオールブラックスが受け継いできた15の行動規範』をお届けします。本書はラグビーのニュージーランド代表オールブラックスを取材したドキュメンタリーであり、同時にそこから抽出された哲学を紹介する啓発書でもあり……とさまざまな顔を持っています。訳者の恒川さんはどんなことを意識しながら翻訳に取り組んだのかをうかがいました。
  • ジェイムズ・カー【著】恒川正志【訳】
    東洋館出版社

    <梗概>

    86%という驚異の勝率を誇る世界最強のラグビーチーム、オールブラックスことニュージーランド代表。そのオールブラックスが最強であり続けているのは、単に優れた選手を集めているからだけではなく、確固たる哲学のもと、優れた人間を集めているからにほかならない。そこにはスポーツにとどまらない、ビジネスの世界や一般社会にも通じるリーダーシップやチームビルディングの原則がある。本書では、「小さなことを大事にする」や「チームファーストの精神」など、その原則を15章にわけて紹介する。

論理と具体的な現場のエピソードの対比で、
哲学を肌感覚として実感しながら読んでいける作品

  • まずは、本書について簡単な解説をお願いします。

    恒川さん

     驚異的な勝率を誇るラグビーニュージーランド代表、オールブラックスの強さにはどんな秘密が隠されているのか。常に勝ちつづけるには何が必要なのか。本書はそうした問いかけのもと、5週間にわたる密着取材を通してコーチ陣や選手に多角的にインタビューを行い、古今の文献からの引用も交えながら、勝つチームの法則を考察した作品です。話が論理的に進められる部分と、スポーツやチームの活動のエピソードが生き生きと語られる部分が対比的に配置されていて、頭で理解しながら肌感覚としても捉えられるように構成されているのが本書の魅力だと思います。

  • 翻訳を依頼された経緯について教えていただけますか?

    恒川さん

     版元さんが版権エージェントを通して翻訳者を探していて、そのとき恩師から声をかけていただきました。トライアルとして1章分の試訳を提出した後、正式に翻訳を依頼されました。

  • 全体を通して重厚な印象を受けたのですが、作品のトーンについて、翻訳で意識なさった部分はあるでしょうか。

    恒川さん

     特に原文以上に重厚にしようと心がけたわけではありません。先ほど簡単に述べたように、本書では論理的にかっちりと記述される部分と、臨場感をもって生き生きと描写される部分が対置されています。どちらの部分についても、原文を読んだときの印象に従って訳していったので、その対比ということについては頭にあったかもしれませんが、自然にこうなったというほうが近いと思います。

  • スポーツマンやビジネスパーソンの考え方、心構えがさまざまに紹介される作品だと思いますが、まとめるのに苦労はなかったでしょうか。

    恒川さん

     考え方を紹介する部分では文献からの引用や例示も多かったのですが、引用部分や例示と論理の展開にやや距離があるように思われる箇所があり、最小限にその隙間を埋めるようにしました。あとから読みなおしてみて、もう少し言葉を足したり、思いきって表現を変えたりしたほうがわかりやすかったかなと思う箇所もあります。

  • 引用のお話との関連で、本書には日本語訳が出ている他著の文言が多く挿入されていますね。調べものが大変だったのではないでしょうか

    恒川さん

     そこが一番大変で、時間がかかった部分でもあります。引用されている箇所はほんの一行であっても、元の著作ではどういう文脈で述べられているかを知るために広く目を通す必要があったり、本書の前後の文脈に合わせて微調整する必要があったりと、引用ならではの苦労もありました。引用以外でも調べものが必要な個所は多かったのですが、調べもの自体はとても楽しく、連鎖的に調べているうちに、調べはじめた最初の目的を忘れてしまうこともしばしばでした。

  • また台詞の部分について、ですます調と、である調のものがありますが、どのように使い分けていらっしゃるのでしょうか。

    恒川さん

     語り口調についてはずいぶん悩みました。台詞といっても、著者のインタビューにコーチ陣や選手、ビジネスパーソンが答えたもの、コーチや選手がチームのメンバーに語りかけているもの、ラグビー以外のスポーツ選手の言葉など、いろいろな状況での発言が出てきます。結局、著者のインタビューに答えたもので、基本的に話者の考えが述べられている箇所は、ですます調にしました。話者のキャラクターよりも話の内容を前面に出すためです。ただ、感情がこめられた部分や、経験、回想を語る部分など、本人の性格が表れているような箇所ではである調(〇〇だよ、〇〇だね)にしたところもあります。そのため、同一人物の発話でも内容によって口調が異なっているところもあると思います。選手同士やコーチと選手の間の会話は、関係の近さを感じたため、である調にしています。そのように、誰が誰に語っているかという関係性を考慮して口調を使い分けました。

  • ポイントとなる用語については、漢字にするものと、カタカナにするものはどのように使い分けていらっしゃるのでしょうか。

    恒川さん

     ビジネスやスポーツのキーワードとして使用されるような用語で、日本語にすると埋もれてしまいそうなものについては、目に留まりやすくするためにカタカナにしています。マインドセット、フィジカル/メンタルなどがその例です。

  • 恒川さんは実務翻訳のお仕事を手がけているとうかがっていますが、実務と書籍の違いは何か体感なさったでしょうか。

    恒川さん

     実務翻訳と出版翻訳の作業形態という点では、見なおしのスパンの違いをいちばん感じました。実務の場合は納品したものに対して確認依頼やフィードバックが1回返されるかどうかという程度ですが、書籍では初校、再校があるため、最終的な形になるまでにある程度の時間をおいて何度も読み返すことになります。フェローで出版翻訳を学んでいたときの恩師からも常々言われていた、忘れたころに(別の人が書いた文章を読むように)読み返すことの重要性を実感しました。
     また、対象読者の違いという点では、実務翻訳では基本的にその分野を専門としている人を対象としていますが、書籍の翻訳では(書籍にもよりますが)対象読者の幅が広くなります。そのため、実務では原文に補足を加えて訳すことはあまりありませんが、書籍では文化の違いを埋めたり内容の理解を助けたりするために、不自然にならない程度に補足的な説明を文章中に埋めこむという作業も必要になりました。

  • 最後に、学習中の方にメッセージをお願いいたします。

    恒川さん

     夢を形にしようと思ったら、一番大切なのはあきらめないことだと思います。チャンスはいつめぐってくるかわかりません。チャンスが明日訪れるかもしれないのに、あきらめてしまっては、夢は夢のまま終わってしまいます。翻訳は上達や自分の位置が自覚しにくく、このまま続けていても意味がないのではないか、という気持ちになってしまうこともあると思います。そんななかでも、どうしても訳書を出したいという強い希望を持ち、あきらめずに続けていれば、方法や必要なことはおのずと見えてくるのではないでしょうか。私にとっては、フェローのクラスの仲間たちが次々と訳書を出していったことも大きな刺激となり、「次は自分が……」という気持ちを持続させてくれました。デビューまでにはずいぶん時間がかかってしまいました。でも、ここまでひっぱってきてくれたのは、あきらめの悪さだったかもしれません。

恒川正志さんのプロフィール

翻訳家。訳書に『問いかけ続ける』(東洋館出版社)。実務翻訳には2001年より携わり、IT、通信、機械、環境等の分野で各種文書の英日翻訳を手がける。

<編集後記>

恒川さん、ありがとうございました。スポーツの世界では、アメリカを中心にデータ重視の実利的な考え方が広く浸透していますが、オールブラックスのような最強チームが人間としての品性や学びの姿勢という、いわば精神論を最も重視していたのは少し驚きでした。
また、実務翻訳と出版翻訳でフィードバックや見直しのスピード感が違うという話も印象的でした。その部分も、自分に向いている翻訳ジャンルを見極めるひとつの基準になりそうですね。
(written by Takasaki)

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