翻訳こぼれ話

小説、ノンフィクション、児童書……フェローの講師や受講生が手がけた翻訳書にまつわる貴重なエピソードをご紹介。これを読めば本が2倍楽しめること間違いなし!

今回の作品
『心を休ませるために今日できる5つのこと』

今回は、三浦和子さんが翻訳を手がけた『心を休ませるために今日できる5つのこと』をお届けします。これまで多くの自己啓発書を翻訳してきたという三浦さんに、元パラリンピック選手の著者が書いた本作の特徴や、翻訳の裏話をうかがいました。
  • ボニー・セント・ジョン アレン・P・ヘインズ【著】三浦和子【訳】
    集英社

    <梗概>

    ストレスフルな現代生活の中で、心が疲弊しきって燃え尽きてしまわないためには、日々のちょっとした工夫を通じて小さな回復「マイクロ・レジリエンス」を積み重ねることが大切だ。元パラリンピックメダリストの著者が、マイクロ・レジリエンスの基本原則と、「自分のプライベートスペースを確保する」、「キャッチフレーズを使って気持ちを盛り上げる」などのテクニックを解説する。

今すぐできる小さな工夫で、
自分の能力を最大限に発揮する方法を解説

  • まずは、本書について簡単な解説をお願いします。

    三浦さん

     現代社会に生きる私たちは日々忙しく、ストレスをためてしまいがちです。本書は、今すぐできる小さな工夫で心を休ませ、自分の能力を最大限に発揮する方法を紹介する本です。こうした小さな回復法を「マイクロ・レジリエンス」と名づけ、5つのテクニックにまとめています。その裏づけとなる脳神経学や心理学、生理学上のエビデンス、各テクニックを活用して人生を一変させた人たちの体験談も、この本の魅力となっています。

  • 翻訳を依頼された経緯を教えてください。

    三浦さん

     数年前からリーディングのお仕事をいただいている編集者の方から依頼があり、レジュメを作成したのがきっかけです。著者のプロフィールを調べているうちにその人間的魅力に心を奪われ、本書の体系化されたシンプルなテクニックが強く印象に残りました。その後、翻訳を依頼していただき、とても嬉しかったです。

  • 著者はどのような方なのでしょうか。

    三浦さん

     著者は、ビジネスコンサルタントとして活躍中のボニー・セント・ジョン。5歳で片足の切断手術を受け、さまざまな困難を乗り越えてパラリンピックのメダリストになった女性です。7月に来日され、インタビューの様子や動画が公開されていますので、ぜひご覧になってください。「マイクロ・レジリエンス」を実践されているボニーさんは実に明るく、エネルギッシュ。いつも笑顔を絶やさず、このプログラムの効果を身をもって実証されています。

  • 元スポーツマンの書いた本ということで、何か特徴はありましたか?

    三浦さん

     実は、読む前は体育会系的なノリの啓発書ではないかと思っていたのですが、まったく違いました。本書の著者は、パラリンピックでメダルを獲得した後、ハーバード大学を優秀な成績で卒業し、オックスフォード大学のローズ奨学生に選ばれました。そしてIBMやホワイトハウスでの活躍を経て、現在はリーダーシップの専門家として、フォーチュン500の経営幹部から専業主婦/主夫まで、多くの人々を指導しています。「マイクロ・レジリエンス」は著者のユニークな人生の集大成ともいえるプログラムで、最高のパフォーマンスを引き出すように考案されたものです。著者がCEOを務めるブルー・サークル・リーダーシップ・インスティテュートのチームとともに、長年かけて開発したプログラムであるだけに、わかりやすく、よくまとまっていて、訳しやすい作品でした。ただ、脳神経学、心理学、生理学の分野の専門的な情報や引用文が多く、その調査と確認に苦労し、相当な時間を費やしました。

  • この本の「3つのP」や「3つのC」のように、啓発書には項目の形をそろえたり、それらのイニシャルから単語をつくって独自のテクニック名にしたりといったことがありますが、その部分で苦労はなかったでしょうか。

    三浦さん

     3つのPと3つのCの原語はPPPとCCCです。これをどう訳せば自然な日本語になるだろうか、とかなり悩みました。PPPは心理学者のマーティン・セリグマンが提唱したもので、CCCは著者たちが考案したアイデアです。英語圏の人がすぐ思い出せるようにまとめたのでしょうが、やはり日本人には、それぞれの訳語に原語を添える方法が一番わかりやすいのではと思い、そのように訳しました。でも悩んだだけに、この部分は今でも鮮明に覚えています。私はどちらかというとクヨクヨ考えてしまうほうなのですが、ネガティブな状況が「永続的(permanent)、普遍的(prevalent)、個人的(personal)なもの」ととらえるのではなく、「取り組むべき課題(challenge)、選択肢(choice)、真剣にコミットしていること(commitment)」に焦点を合わせるという考え方を思い出して、自分の思考を見直すようにしています。

  • また、インタビュー部分と地の文のトーンの差がアクセントになっていてとても読みやすかったのですが、このあたりは意識なさった部分でしょうか。

    三浦さん

     方針として、地の文は著者が読者に語りかけるような「だ・である調」、インタビュー部分はカジュアルな「です・ます調」、ポイントをまとめた部分は出来るだけわかりやすい「だ・である調」で訳すことにしました。原文もそのような感じでしたが、地の文とインタビュー部分のトーンを変えて単調さを避けたい、という翻訳の意図はありました。

  • これまで担当なさった本と、本書の翻訳で何か違ったやりがいや苦労があれば教えてください。

    三浦さん

     これまで担当した翻訳の多くが自己啓発書です。自己啓発書にもいろいろなタイプがあり、物語のような構成の本、研究者が書いた論文風の啓発書、カジュアルなもの、説教調の本などを訳したことがあります。本書は、綿密な調査と検証に基づいて練り上げたテクニックをまとめていますので、引用文献や情報量が多いのですが、インタビュー部分はカジュアルで親しみやすい文体になっています。ですから、論理的な文章の中に感覚的な文章を混ぜ合わせ、変化をつけながら違和感をなくすのに苦労し、同時にやりがいを感じました。

  • 著者が提唱しているマイクロ・レジリエンスのテクニックについて、三浦さんがご自身の生活に採り入れているものはありますか?

    三浦さん

     たまったストレスをリセットしてエネルギーと生産性を高める「マイクロ・レジリエンス」には、5つのテクニックがあります。脳の使い方を切り替える、原始的な恐怖をリセットする、思考のクセを見直す、体をリフレッシュする、心を活性化する―の5つです。
     1冊の本を翻訳する場合、まず原書の全体を読んで構成を把握し、じっくりと読み込んで訳出します。その後、訳文を何度も推敲し、校正と再校で全体を見直します。数カ月間、その本の世界にどっぷりと浸りますので、校了の頃には内容が体に沁み込んだような状態になっています。そんなわけで、この本のテクニックも自然に生活に採り入れることになりました。翻訳の大半はパソコンに向かって行う作業ですから、何も意識していないと際限なくのめり込んでしまいます。私は「脳の使い方を切り替える」テクニックを使って、2時間ほど集中してから軽い家事、簡単な運動、散歩をして、心を休ませる時間を作り、長期戦に耐えられるよう工夫しています。それから、自分の感情に引きずられそうになったとき、「原始的な恐怖をリセットする」ためのラベリングのテクニックも役に立ちます。自分の感情に名前をつけると、感情にブレーキをかけることができるのです。「体をリフレッシュする」水分補給のテクニックも実践し、体調の維持に効果があることを実感しています。

  • 最後に、学習中の方にメッセージをお願いいたします。

    三浦さん

     2人の娘の子育てが終わってから、若い頃に志した翻訳に再挑戦しようと、フェロー・アカデミーの通学講座で勉強を始めました。フェローの授業で印象に残っているのは、「翻訳作品は商品であり、読者を楽しませるためのもの」、そして「翻訳は学校で習った英文和訳とは違い、著者が表現したい内容を最適な日本語に置き換えること」という講師の言葉です。
    「継続は力なり」といいますが、夢を叶えるにはあきらめないこと、自分の可能性を信じて挑戦することが大切だと思います。人生は人それぞれです。私の場合、両親の介護のために翻訳に集中できない時期もありましたが、「あきらめないで続ける」をモットーに、ライフワークとしての翻訳に取り組んでいます。翻訳学校で一緒に勉強した仲間の中には、子育てに奮闘しながら翻訳を続けている方がおられ、励まされます。
     通学講座の受講をためらっているのなら、思い切って踏み出してください。目標となる先輩や励まし合う仲間に出会えますよ。

三浦和子さんのプロフィール

翻訳家。訳書に『心を休ませるために今日できる5つのこと』(集英社)、『デザインリーダーシップ』(BNN新社)、『[超訳] エマソンの「自己信頼」』(PHP研究所)、『ドラグネット 監視網社会』(祥伝社)、『華麗な女性になります!宣言』(オープンナレッジ)など。

<編集後記>

三浦さん、ありがとうございました。パフォーマンスを安定させるには、長期スパンの回復だけでなく、スポーツマンの「切り替え」にも似た短期的な回復が重要だという、元スポーツ選手らしい主張が印象的な作品でした。
スポーツが好きでよく見るので、本書で登場するテニス選手の話のように、トップ選手とそれ以外の選手との差に切り替えのうまさがあるという話は納得できる部分でした。自分はいろいろと引きずりがちなタイプなので、これからは何かマイクロ・レジリエンスのテクニックを試してみたいと思います。
(written by Takasaki)

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