トラマガ
トラマガ
トラマガ
トラマガ
トラマガ
 【前編】 【後編】
トラマガ
(2009年12月10日更新)
今号は、常に最新訳書が注目され、出版翻訳の第一線でご活躍の古屋美登里氏のインタビューをお届けいたします。原書との向き合いかた、ご自身が尊敬する翻訳家・作家のお話、翻訳に対するひたむきな情熱を、余すことなく語っていただきました。
トラマガ

<古屋 美登里>(ふるや・みどり)

【プロフィール】
神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。翻訳家、エッセイスト、明治大学講師。『夫の愛した恋人たち』『望楼館追想』(文春文庫)、『静かなアリス』『ぼくには数字が風景に見える』(講談社)、『日曜日の空は』『観光』『セックスとニューヨーク』(早川書房)など訳書多数。
 

★デスクワークで腰を痛め、一時は椅子に座るのも困難なほどに。以来8年間、週2回、友人と朝の1時間ウォーキングをしています。
★いろいろ試しましたが、肩こりには鍼がいちばん! 月に1回、治療に通っています。効きますよ。
トラマガ
――出版翻訳家になろうと思ったいきさつを教えてください。
トラマガ

 私の場合、「翻訳家になろう」と決意したことはありませんでした。少なくとも大学卒業までは、なりたいとも、なれるとも思っていませんでした。
 高校時代、国語の成績はよかったのですが、英語は赤点を取って、夏期講習に通ったこともありました。とても人に自慢できるようなレベルではありませんでした。後に私の訳書が出るようになっても、当時をよく知る友人たちは、「同姓同名の翻訳家だろう」と思っていたようで、私だと知ってとても驚いたそうです(笑)。
 
 そんな私を刺激したのは、大学時代の環境でした。まわりには博識な人が多く、話をしていると自分の知識のなさ、考えの幼さに恥ずかしくなることがしょっちゅうでした。まったく自信をもてませんでしたね。講義を受けていても、身についていない感じがしていたんですが、ふと、このままじゃダメだと思ったのです。
 自分の知識のなさを埋めるために、必死で本を読み始めました。もともと子どもの頃から本が好きで結構読んでいるほうだと思っていましたが、当然ながらまだまだこの世には私の知らない重要な本がたくさんあって、「もっと読まなければ!」と焦りました。
 
 いかに多くの本を読み、知識を吸収するか悩んだ末に出した結論が“大学を1年間休学する”ことでした。就職してしまったら、どっぷりと読書に割ける時間なんでないでしょうから。もちろん、そんなことをする学生なんていませんよ。親にも反対されましたが、休んだモノ勝ちです。やるからには、1年間、1日1冊と決めてあらゆるジャンルの本を読み、ノートにつける、というルールを決めました。王道と呼ばれる文芸作品はもちろん、それまであまり読まなかった詩やノンフィクション、果てはポルノまで、幅広く読み漁りました。
 
 この頃、原書はあまり読みませんでしたね。ジェイン・オースティンやチェスタトン、ナボコフ、カート・ヴォネガット、サリンジャーが好きで翻訳作品はよく読んでいました。ヴォネガットの場合は、翻訳を読むうち、最新作が読みたくなり、そうなると原書で読まざるを得ないわけで、買ってくるんです。で、自分のためだけの翻訳をする。
 英語で読書することは苦手でした。なぜなら、当時の私にとっては英語は学習するものでしかなく、言葉として響いてこなかったから。日本語の素晴らしい作品を読むと、まるで和紙が水をどんどん吸収するように、体と頭にすーっと入ってくるけど、英語は読んで意味がわかったとしても、体で感じることができない。ようやく人の言葉として響くようになったのが、ジョン・アーヴィングなどを読み始めてからです。すごいパワーを持った作品ですから。

トラマガ
――学生の頃、すでにご自身で翻訳をされていたのですね。それがきっかけで翻訳家になりたいとは思いませんでしたか?
トラマガ

 時間があるときに自分のために訳していただけで、その頃もまだ、翻訳家になりたいとは思っていませんでした。当時の翻訳ノートを今読み返すと恥ずかしい限りです。ただ文学が好きだったので、物を書く仕事をしたい、とは思っていました。
 
 その頃、あるご縁から『早稲田文学』の編集部に行くようになり、卒業後、編集部で編集の仕事をすることになりました。仕事といっても十分な給料が出るわけではなく、ほとんどボランティアですが、そこへ行けば文学の話ができ、同じような仲間がいた。そんな場所は他になかったので。それが楽しくて、結局3年間いました。そのときの仲間とは今もつきあっています。
 そのうち、日本語の表現が上手いという評判が広がり「文章なら古屋に任せろ」とさまざまな仕事を紹介してもらいました。紹介された仕事はユニークなものが多かったですね。例えば、雑誌『プレイボーイ』の英語版を読んで、日本語版に載せると面白そうな記事を探す仕事。英語については、どこまで正確に理解できていたかわかりませんが、記事を訳したものが載ったりもしました。
 
  また、ロマンス小説のリライトというのもありました。80年代の初めのころです。今なら日本語が下手な翻訳者なんて採用されませんが、当時はそうではなかった。訳文を読むと、訳者の混乱した頭の中が見えるようでした。そのうち、訳文だけではどうにも解決できない箇所が出てきて、結局原文を読むことに……。これなら最初から私が訳した方が早いと思い、編集者に相談したところ、あっさり翻訳を任されることになりました(笑)。
 
 2年間で3冊訳し、火が付いたように英語の勉強を始めました。受験勉強の頃と理解力がまるで違いましたね。翻訳をしているときに、疑問に感じたところ、知りたいと思ったことが次々と解決できるのですから。自分が知識として欲する英文法はこんなにも吸収できるものか、と改めて実感しました。翻訳家としてやっていけるかもしれない、と思えるようになったのは、10冊くらい訳した後でしたね。

トラマガ
――英文法を学ぶほかに、意識的に取り組んだことはありますか?
トラマガ

 昨年お亡くなりになりましたが、翻訳家の中村保男さんが書いた本を繰り返し読みました。特に『新編 英和翻訳表現辞典』という著書があって、これはボロボロになるまで何回も読みました。現在出版されているのは改訂版で、私は初版(三巻本)から愛読していました。
 中村さんはシェイクスピアの戯曲の翻訳で著名な福田恒存に師事した翻訳家で、彼が長い年月を費やし培った翻訳に関する叡知を一つの形としてまとめた、翻訳家にとってはとても有難い辞典です。翻訳家を志す人なら絶対に読んでおくべき本だと思います。
 熟読し、この一冊分の知識を習得すれば翻訳家になれる、大げさですがそういっても過言ではないくらい素晴らしい内容です。ちなみに、ほどよく酔いながら勉強して寝るというのが、情報が脳に定着する最高の条件らしく、私は夜寝る前に『翻訳表現辞典』を肴に一杯やるというのがたまらなく好きです。すみません、脱線してしまいましたね(笑)。
 
  他には、辞書を読むのはもちろん、とにかく辞書を引くことです。まだ辞書ソフトが出回っていなかった頃、右側に置いた原文を目で追いながら、左側のジーニアス辞典を左手の指の感触だけで引いて、ほぼ間違いなく該当ページを引き当てる。そんな芸当ができたくらい、辞書を引いていました。もちろん、今でも辞書は頻繁に引きますよ。日本語も英語も。1冊の辞書ではだめ。日本語を引くときも、広辞苑だけで事足りると思ってはいけません。かならず複数引かなければ。例えば角川の『必携国語辞典』は、類語の使い分けを丁寧に解説してあり、言葉の奥行きがわかります。辞書は本当に大事ですから、どんどん引いてほしいです。でも、今は辞書のソフトが充実しているので、辞書を引く時間が短縮されましたね。

トラマガ
――辞書ソフトは、いつ頃から使い始めているのですか?
トラマガ

 かなり早い時期から使っていました。コンピュータを使い始めたのも早かったですよ。まだコンピュータが一般に使われていなかったころ、コンピュータ関係の本を訳す機会があり、訳しながらこれは翻訳のためのツールだと確信し、80年代半ばから使っています。辞書ソフトを評価する記事を頼まれたこともあるので、こちらも充実しています。和英、英和はもちろん、仏語、伊語、医学用語、英英や類語なども入っています。でも、だからといって紙の辞書がいらないわけじゃない。こちらも必須です。まず、国語大辞典など、ソフトになっていない辞書は紙のものを利用しますし、昔から使っているジーニアスは、大量の書き込みがしてあるので、これも手放せません。紙版もソフト版も、良いところが違うので使い分けが必要かもしれません。
 
 こうした辞書ソフトの活用を含め、編集者とのやりとりなども今ではインターネットを介することが主流ですし、日本にいながらにして英米のデータベースにアクセスできるわけですから、翻訳家にとっていまは天国です。向こうの書評記事、新刊の情報、作家のホームページも読めます。ネットではシェイクスピアの全作品だって、「ニューヨーカー」や「ニューズ・ウィーク」の記事だって無料で読めます。本当に宝の山です。それに、疑問に思ったことや、わからない点があれば、昔は著者に手紙を書いて訊いたりしていたんですが、いまはメールですみます。パソコンは翻訳家にとって不可欠なツールです。どの翻訳家もパソコンを縦横無尽に使いこなしていらっしゃいますよ。

トラマガ
トラマガ
PICK UP

フェローでの学び方 翻訳入門<ステップ18> オンライン講座

PAGE TOP