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トラマガ

Vol.300 <前編>出版翻訳家 斉藤隆央さん

きっかけは新聞広告。
研究職からポピュラーサイエンス本の翻訳者に転身!

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(2013年7月10日更新)
ポピュラーサイエンスというジャンルの本があるのをご存じですか? サイエンスですから科学に関する本なのですが、科学にあまり詳しくない人でも興味を持って読めるように、わかりやすく書かれているのが特徴です。近年ではこのジャンルがどんどん認知され、多くのロングセラーが生まれています。斉藤隆央さんは、ポピュラーサイエンスのジャンルを専門にしている翻訳家ですが、もともとは一般企業の研究職員でした。どのようにしてこのジャンルで大活躍するようになったのか、翻訳の魅力や苦労は何か、お話を伺いました。

――ポピュラーサイエンスとひとくちにいっても、そのテーマは多岐にわたるようですね。

はい。分野の種類は、大学の理系の学部を思い出してもらえばいいと思いますが、生物、宇宙、心理、脳、数学、コンピュータなど、他にもいろいろなテーマの本が出版されています。ここ最近、書籍全般に売れゆきがよくないと言われている中では、ポピュラーサイエンスは根強いファンがいるので、大当たりはなかなかしないけれど安定しているという印象です。そのため、そこに目を付けて、新たに参入してくる出版社もあるようです。

――ポピュラーサイエンスのジャンルにはどんな本があるのか、もう少し具体的に教えていただきたいのですが、斉藤さんがこれまでに訳された本をいくつかご紹介いただけますか?

ランダムにいきますが、まず、『宇宙から恐怖がやってくる!-地球滅亡9つのシナリオ』(NHK出版)から。これはタイトルにも入っているとおり宇宙がテーマです。ちょっと怖い話なんですが、もしも地球が滅びるとしたら、どのようなシナリオが考えられるか、それを防ぐ方法はあるのか、といったことが書かれています。例えば、この間もロシアに隕石が落ちてきてニュースになりましたが、あれよりももっと大きな、恐竜を滅ぼしたような巨大な隕石が宇宙からふってきたとしたら、あるいは太陽の活動が活発になり放射線が降り注いできたら、果ては何兆年も先に宇宙そのものが滅亡したら……といったことを科学的に説明しています。ストーリー仕立てで読み物としても興味深いですよ。


 『2100年の科学ライフ』(NHK出版)はコンピュータや人工知能、ナノテクノロジー、宇宙、エネルギーなど、科学のあらゆるジャンルを含んでいます。著者のミチオ・カクさんは物理学者ですが、アメリカのテレビ番組の司会もされている方で語りがうまく、また人脈が広いので300人以上の科学者にインタビューをして書いているんです。だからこの本も、今から80数年後の近未来の単なる予測ではなく、根拠のはっきりした説得力のある予測になっています。SFの例えもたくさん出てきてわかりやすく、おもしろく読んでいるうちに、いつのまにか科学の専門用語を覚えたり、新しい知識が得られたりという本です。


『パンドラの種』(化学同人)は文明や社会問題に絡んでくる内容なので、科学に興味がない人でも身近に感じられるかもしれません。1万年ほど前に人類は農業を発明しました。それにより食物に困らなくなり、人間の生活は豊かになったと一般的には言われていますが、この本の著者はちょっと見方が変わっていて、農業が生まれたことによるデメリットを指摘しています。集団生活をするようになり疫病が広がりやすくなった、社会規範から外れる者が精神病として扱われるようになった、人口過密により環境破壊が進んだなど、縄文時代のように個別に暮らしていた頃にはなかった問題を挙げ、これからの生き方を考える参考にしようと投げかけています。


『暗号化』(紀伊國屋書店) は暗号技術について書かれた本です。現在のインターネット商取引で広く使われている公開鍵暗号が、どのように開発され、実用化されていったかが書かれています。暗号技術というサイエンスの側面だけでなく、国家安全保障のために暗号の研究を制限しようとするアメリカ政府と、一般市民の生活を守るために暗号を開発し実用化しようとした人々の人間ドラマも描かれています。ポピュラーサイエンスは基本的に科学本なのでノンフィクションですが、この作品のように科学の解説ではない、ストーリー性のあるドラマチックなものもあるんですよ。


――人間ドラマも描かれているというのは意外でした。本当にさまざまなタイプの本があるのですね。では、これまで訳した中でいちばん大変だった本は何ですか?

 そうですね、ニック・レーンの『ミトコンドリアが進化を決めた』『生命の跳躍』(みすず書房)でしょうか。ポピュラー・サイエンスといっても、中学生でも読めるものから、研究者が読んでも目新しいような情報が詰まったものまで、その難易度にはかなりの幅があります。これらの本は後者にあたるのですが、著者は現役の研究者で、今は科学ライターとしても活動している方です。『ミトコンドリア〜』のほうは、細胞のなかにある微小な器官ミトコンドリアを切り口に、それが生命活動のあらゆる領域に多大な影響を及ぼしている事実が最新の研究成果とともに語られています。『生命の跳躍』のほうは、“生命の誕生” “DNA” “光合成” など10の項目を取り上げて、これらがいかに生物界に変化をもたらしたかという仮説を、さまざまな論文をひもときながら導き出しているんです。

この2冊を翻訳したときは、とにかく調べものの大変さが並大抵ではなく、非常に苦労しました。扱っているテーマが難しく、かつ今まで誰も述べたことのないような新しい内容なので、前提となる専門知識などがないと2通りにも3通りにも読めることがあるんです。そうなると、その理論を導き出した基になる論文をひもとくしかありません。幸い母校の図書館をOBとして利用できたので助かりましたが、普通は論文を入手するだけでもひと苦労だと思います。

 訳しているときは本当に大変で、「もう二度とこういう本の依頼は受けないぞ」と思いましたが、やり終えてみると充実感のほうが勝るんですよね。まだ世の中にほとんど知られていない新しい情報を日本語にして紹介するという仕事はワクワクするし、誇りも感じるので、苦労が報われた思いがして、また依頼されたら結局受けてしまいそうです。

――調べものが多いと翻訳にも時間がかかると思いますが、1冊をどれくらいの期間で翻訳するのでしょうか。

ノンフィクション系の本は分厚いものが多く、長いものは半年くらいかかります。私の場合は、年間2〜3冊です。スピードを上げようとすると調べものなどもおろそかになるので、自分の今の実力としてはこれが精一杯かなと思いながらやっています。

――書籍の翻訳は締切が厳しいという印象があるのですが。

それはジャンルによると思います。最近だとスティーブ・ジョブズの伝記など旬のものはすぐに出さなければならないのでしょうが、ポピュラーサイエンスはすぐに古くなるようなものばかりではないので、締切は厳しくないものも多いです。特に私の場合は2冊先くらいまで予定が決まっている状態で、急ぎのものはお受けできませんから、ある程度納期に余裕がある本を依頼されることが多いですね。

――大学は理系だったそうですが、そもそも翻訳をするようになったきっかけは?

子どもの頃から文章を書くのが好きでしたね。SF小説が好きで読みあさっていましたが、そのうち自分でも書きたいと思うようになり、中学時代にはノートに自作のショート・ショートを書いて友だちと交換したりして、高校卒業ぐらいまで続けていました。
大学は、SFが好きだったせいか科学にも興味があったので、理系を選びました。でも実際に学び始めてみると研究がどうも苦手で……。そんなとき、短い英文が書いてある新聞広告を見つけたんです。それはとある翻訳の通信講座のレベル診断の文章で、訳して送ってみたところ、けっこう良い判定が返ってきたんです。もちろん、向こうも商売なので生徒を獲得するための甘い誘いだったと思うのですが(笑)。
以前から翻訳書は数多く読んでいたので翻訳者の存在は知っていましたが、それまで翻訳を仕事として意識したことはなく、もちろん自分がなれるという感覚もありませんでした。でも、文章を書くのが好きな私にとって、すでに海外で世に出ているという意味では優れた作品をもとにして、自分が書いた気分で文章にできるというのは楽しいことで、これは自分に合っているかもしれないと思い、通信講座を受けてみることにしました。それが大学3年生の頃でした。
その後、卒業論文を書く間は中断しましたが、就職して会社員になってからも翻訳の勉強は続けて、しだいに仕事をもらえるようになっていきました。

――では最初は会社員をしながら翻訳の仕事を始めたのですね?

はい。最初はビジネス文書の翻訳から原書のリーディングまで、何でもやっていました。そのうち本を1冊訳してみないかという話がきたのですが、そろそろ30歳、会社でも若手から中堅にさしかかる頃で忙しくなってきていて、両方は難しいなと思ったんです。35歳くらいまでなら再就職も可能だろうと判断し、会社を辞めて、翻訳者として5年間頑張ってみることにしました。
最終的には書籍の翻訳をメインにしたかったのですが、最初からそんなにうまくいかないでしょうから、そのときすでに受けていた実務分野の翻訳もしばらくは続けていましたね。

――5年間で順調に翻訳の仕事は増えていきましたか

最初のうちは翻訳者として名前も知られていませんし、来るものは拒まずで、苦手な分野でも何でもやりましたよ。また翻訳業界に知り合いをつくっておきたくて、通学講座に通い、そのうち先生が個人で開く勉強会に参加するようになりました。その講師の紹介である本を訳すことになったときにフリーランスの編集者さんと知り合ったのですが、その方の編集者仲間が科学系の本を訳せる翻訳者を探していたそうで、私の名前を出してくれたんです。それがきっかけで訳した『ゲノムが語る23の物語』(紀伊國屋書店)という本がけっこう話題になって、他の出版社からも声が掛かるようになり、ポピュラーサイエンスの翻訳者として認知していただけるようになりました。

――好きだったSF小説ではなく、ポピュラーサイエンスだったんですね。

SF小説が訳せたら面白いな、と思っていた時期もありましたが、フィクションには英語に強い猛者もたくさんいらして、とくにSFは、頼まれもしなくても同人誌で訳すほどマニアックな方ばかりという恐ろしい世界なので(笑)、今ではポピュラーサイエンスでよかったなと思っています。確かに研究は嫌いでしたが、大学や会社で得た知識が多少は役に立つので、その点では有利な立場にあります。それに加えて、文章を書くことが好きでしたので、理系と文系のどっちつかずがうまく活かせる仕事に就けたと思っています。

――最初からやりたい分野を絞りすぎない方が、かえって自分の専門が定まりやすいということですね。 それでは、この分野を目指して学習中の方にアドバイスをお願いします。

最終的にどんな分野の翻訳がしたいのか、皆さんそれぞれにやりたいことはあると思いますが、それ以外を切り捨てて、それだけを目指しても最初からそうそううまくはいかないでしょう。初めのうちは、当時の私のように、来るものは拒まずでやるしかないと思います。その分、器用さを求められるかもしれませんね。自分の苦手な分野でも訳さなければいけませんから。ただ、これは絶対に自分には無理だと思ったら、断る勇気を持つことも大切です。ひとつ失敗して信用をなくしたら、あとから取り戻すのはとても大変です。
そうやって、ある程度仕事が得られるようになってから、徐々に自分の分野へともっていけばいいと思います。


後編では、ポピュラーサイエンスの翻訳のポイント・注意点や、知識を身につける方法についてお話を伺いました。お楽しみに。


<さいとうたかお>

出版翻訳家。『マイクロバイオームの世界』(紀伊国屋書店)、『フューチャー・オブ・マインド』『2100年の科学ライフ』(NHK出版)、『モラルの起源』(白揚社)、『2040年の新世界:3Dプリンタの衝撃』(東洋経済新報社)、『人類はどこから来て、どこへ行くのか』(化学同人)、『脳は楽観的に考える』(柏書房)、『生命・進化・エネルギー』(みすず書房)、『タングスランおじさん』『ガリレオの指』(早川書房)、『やわらかな遺伝子』(共訳、早川書房)など訳書多数。


<主な翻訳作品>








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