トラマガ
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 【前編】 【後編】
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(2013年9月10日更新)
翻訳歴36年、優に100冊を超える訳書を持つ田村義進さん。文芸翻訳家が職業として成り立ち始めた時代、いかにして翻訳者になったのか、その経緯をお話しいただきました。また30年以上翻訳をしてきてなお、とにかく訳すことが好きとおっしゃる田村さんに、翻訳の極意について語っていただきました。文芸翻訳家を目指す方、必読です。

<田村義進>(たむらよしのぶ)
★仕事は、昔は夜型だったが、最近は朝型。遅くとも6時には起きて、朝ご飯を食べたら翻訳を始めます。
★土日も休まず、ずーっと仕事。ときどきしんどいなと思った日が休日。休みの日の過ごし方は、本を読んでいることが多いですね。
★最近はまっているのが宮部みゆきの時代小説。読み漁っています。
★趣味は旅行。といっても最近は行っていませんが、大旅行の計画を温めているところです。

トラマガ
――田村さんが翻訳家になられた1970年代は、まだ今のような翻訳学校はなかったそうですね。そのような時代に、どんなふうに翻訳家になられたのか、その経緯を教えていただけますか?
トラマガ

 大学を2年で中退して、ヨーロッパ放浪の旅に出ました。行きの航空券と2カ月分の生活費だけを持ってね。当時はそういう若者がけっこういて、旅の途中で知り合った人と情報交換しながら放浪を続けていました。
 それで、暇な時間に本が読みたかったんだけど、日本の本は高すぎて手が出なくてね。結果として洋書を手に取るようになりました。アガサ・クリスティとか、聞いたことのある作家の本を手当たり次第に読みましたね。その頃、まだ翻訳を仕事にしようとは考えていませんでしたが、その時の読書がベースになったのかもしれません。
 放浪を続けるうちに美術家の友だちがけっこうできて、交流するうちに銅版画をやりたいと思うようになったんです。それが理由で、放浪を始めて2年後に日本に帰ることにしました。神田にある銅版画の工房に1年間通ったものの、結局は才能がないなと気づいて諦めるんですがね。
 目指すものがなくなって、また旅に出ようと。今度はインドに行きたいなと思ったんですが、そのためには旅費が必要です。そんなとき翻訳者をしている友人から、下訳のアルバイトの話があったんです。インドの旅費くらいは稼げるからと言われて。

トラマガ
――最初はアルバイトのつもりで、軽い気持ちで翻訳を引き受けたと。
トラマガ

合衆国最後の日 そうです。ヨーロッパでは洋書ばかり読んでいたんだけど、日本に帰国して翻訳小説を読んだら、読みづらくてね。訳者にもよると思うんだけど、原書のほうが簡単に読めるんです。このくらいの翻訳なら自分でもできるんじゃないかなって。そんなことを思った矢先に下訳を頼まれたので、やってみようかなと。
 それが映画の原作本で、映画の公開に間に合わせなければならなくて急いでいたようなんです。分納することになって、最初の3分の1を渡したんですが、その時点で、これなら本人の名前で出していいんじゃないか、ということになって、下訳の予定がいきなり僕の名前で出ることになったんです。それが徳間書店から1977年に刊行された『合衆国最後の日』という作品で、図らずも僕の最初の訳書になりました。

トラマガ
――それで、翻訳料を手にしてインド旅行に出かけたんですか?
トラマガ

 それが、結局インドにはその後しばらく行けなかったんです。当時、ある出版社でバイトをしていたんですよ。といっても本に関わる仕事ではなく、地下のボイラー室なんですが。けっこう広い場所で、誰も来ないし、合間に銅版画の制作ができるという理由で選んだバイトでした。その出版社の部長さんが同じ高校の出身者で、「訳書が出たんです」と報告したら喜んでくれてね。翻訳書を出している出版社に知り合いがいるからと紹介してくれた。それが早川書房で、挨拶に行ったらすぐに長編1本と短編1本の翻訳を依頼されました。
 おかげでインド旅行はすっとんじゃった。1970年代というと、ちょうど文芸翻訳というのが職業として成立し始めた時期で、翻訳者の需要が多かった時代だと思います。その後も仕事が途切れずに来るようになって、結局インドに行ったのは、それから5年くらい経ってからでした。

トラマガ
――アルバイトのつもりが、本格的に翻訳の仕事を始めることとなったわけですね。
トラマガ

そうです。そのころから、これはちょっとまずいなと思い始めました。僕の技量で仕事をするなんて、向こう見ずというか、調子がよすぎるんじゃないかと思ってね。それで仕事と並行して、翻訳修業のつもりで、原書と訳書を突き合わせる作業を始めました。小笠原豊樹さんの訳書なんかを使って、3作品くらいやったかな。うまい表現があったらノートに抜き書きして、そんなふうに翻訳のスキルを磨いたというか……。スキルを磨くまではいかなかったかもしれないけど、少なくとも当時の翻訳のスタンダードがどのへんにあるのかが見えたような気がします。

トラマガ
――その後もずっと仕事は途切れずに続いたんですか? 
トラマガ

 これまでに1度だけ、仕事の依頼が途切れた時期があってね。翻訳を始めて5年目か6年目か、そのくらいだったかな。それまでは、今やっている仕事が終わるまでには次の仕事の話がきているという状況だったんだけど、納品しても次の仕事が決まっていなくて、結局2週間ほど経ってようやく次の仕事の話が来た。そのときの気持ちは今でも覚えています。やはり自由業なので、仕事が途切れると不安になりますよね。 

トラマガ
――新人の頃、仕事が途切れたこと以外に大変だったことはありますか? 
トラマガ

 逆に、断れない仕事を抱えて大変だったこともありますね。僕らの世代のこの分野の翻訳者は、早川書房の『ミステリマガジン』という雑誌の短編の翻訳で修業を積んで、そこで認められて長編の翻訳依頼が来るというパターンが多かった。僕の場合は紹介だったのでいきなり長編も訳させてもらったんだけど、それでも雑誌の短編もほとんど毎月訳していたんです。雑誌のほうが締め切りがキツくて大変なんだけど、新人だから断われないわけです。
 雑誌は短編がメインですが、ときには長編を2回か3回に分けて掲載することもあって、それはけっこう分量があるから大変なんです。あるとき編集者が電話を掛けてきて「田村さん、今、ものすごく忙しいですか?」と聞いてくるんですよ。

トラマガ
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――「忙しいですか?」じゃなくて「ものすごく忙しいですか?」なんですね。
トラマガ

迷路そう。依頼する側も心得たものです。そう聞かれたら、ええ、ものすごく忙しいとは答えにくいですよね(笑)。結局、180ページを10日ほどで訳すことになりました。中断させた仕事には後でしわ寄せが来るから、しばらくはキツかったですね。でも、当時は若かったし、1カ月くらいならどんなに忙しくても大丈夫だった。そういう頼み方から、どうしてもお願いしたいという担当者の熱意も伝わってくるしね。打算抜きで、引き受けたいという気持ちになるから、それはそれで嫌じゃなかった。その作品はその後、単行本になりました。フィリップ・マクドナルドの『迷路』という作品です。

トラマガ
――他にも想い出に残っている作品をいくつかご紹介いただけますか?
トラマガ

 ウォーレン・マーフィーという作家の作品で、保険調査員のトレースが謎を解く7冊のシリーズものがあるのですが、これが切れの良いアメリカンジョーク満載でね。刊行は1980年代ですが、当時の翻訳小説の多くは、ジョークは直訳されていて、日本語として読んでも面白くもなんともない、訳注が入っていて、それを読んで初めてジョークとわかる、そんな訳し方が多かったんです。でも、僕としては「それはちょっと違うだろう」という思いがあってね。日本語として読んで笑えなければ翻訳の意味がないでしょう。原文からまったく離れてもいけないけれど、ぴったりくっついていてもうまくいかない。つかず離れずのさじ加減がむずかしいところです。

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――当時としては画期的だったんでしょうね。評判はいかがでしたか?
トラマガ

復習はお好き? 書評家でエッセイストの向井敏さんがとても気にいってくださり、いろいろなところでプッシュしてくれました。あと、そのシリーズに対しては、ファンレターがいっぱい出版社宛に届きました。僕自身、そういう経験はあのときだけ。嬉しかったです。ひとつかわいらしいのがあって、淡路島に住む中学生の女の子から「とても楽しみにしています。次はおこづかいを貯めて買います」ってね。シリーズの次の訳書が出たときに1冊送ってあげたことを覚えています。
 トレース・シリーズは7作で終わりになりましたが、その後、同じようにジョーク満載の『復讐はお好き?』(カール・ハイアセン作)という作品を訳しました。これは2008年の「このミステリーがすごい!」で2位に選ばれ、売れ行きもまずまずでしでした。

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――ジョークの翻訳は難しそうですね。他にはどんな苦労がありましたか?
トラマガ

夜を深く葬れ  調べもので苦労したのが、ウィリアム・マッキルヴァニーの『夜を深く葬れ』という作品です。やたら難しい作品で、わからないことがいろいろと出てきて、イギリス大使館や政府観光局、知り合いの外国人などに聞いてまわりました。その作品の中に「君はどの宗教を信じている?」「パーティック・シッスルだ」という会話が出てきたんです。会話の流れからすると、宗教のセクトの一つとしか思えないんだけど、どうもしっくりこない。あちこち聞いてまわったのですが、たまたま聞いた相手がスコットランド人で、ようやく判明しました。スコットランドのサッカーチームの名前だったんです。今ならインターネット検索で一発でわかるんですけどね。

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――インターネットが普及して、調べものはかなり楽になったのでしょうか?
トラマガ

 うーん、そうですね。まあ、結果論としては今のほうが調べやすくなったんだけど……。昔は翻訳者も編集者もわからなければ、読者もわからない。それはそれでいいかな、という部分がありましたが、今は読者も簡単に調べられるから、翻訳者もしっかり調べなければならない。そういう意味では、手間は昔も今もそんなに変わりません。

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田村さんが疑問を感じている“翻訳における訳注のあり方”などについて、後編では、より詳しく解説していただきます。他にも翻訳の際にどのようなことを心がけているのか、お話しいただきます。お楽しみに。

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