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トラマガ

Vol.318<前編>出版翻訳家 村岡美枝さん

贈ることで心が伝わる、それが本。
子どもたちに、そんな本を届けたい。


(2014年4月10日更新)
 今月のゲストは出版翻訳家の村岡美枝さんです。いま放送中のNHKドラマ『花子とアン』の主人公になった『赤毛のアン』の翻訳家、村岡花子さんのお孫さんで、自らも翻訳家として活躍しています。子どもの本にかかわる仕事をしたいと思ったのは、子どもの頃からお祖母さまやお母さんに物語の読み聞かせをしてもらった記憶があったから。自身も同じ翻訳家という道を歩むことになった美枝さんに、翻訳の話、お祖母さまの思い出、そして『赤毛のアン』について、たっぷり伺いました。

構造も文化も違う言葉の架け橋、翻訳っておもしろそう

――子どもの頃から英語に接する機会があったそうですね。

 はい。父の仕事の関係で、幼稚園に上がる頃から小学校2年生までの2年あまり、アメリカに住んでいたことがあります。言語習得にはちょうどよい年代ですよね。アメリカ人の子どもたちが通う地元の幼稚園に入って、おそらく最初の1カ月ほどは先生やお友達が何を言っているのかわからなかったのだと思います。でも、それが大変だったとか困ったという記憶はなく、遊びの中で自然にコミュニケーションがとれるようになっていったようです。今思うと、あの頃が私の人生の中でいちばん英語がしゃべれて、聞き取れていたんじゃないでしょうか(笑)。隣の部屋にいる両親が、遊びに来たお友達と私のどちらがしゃべっているのかわからないくらい自然に英語を話していたそうです。
 日本と違って、アメリカの学校には目の色や肌の色、国籍の違う子どもたちがいっぱいいます。ベースとなる文化が違っても、同じようなことに笑ったり、泣いたり、怒ったりするんだ、ということを幼い頃に実感したことが、今思うととても貴重なことだったと思います。

――日本に帰国されてからは、英語とはどのようにつき合いましたか?

 小学2年生で帰ってきてしまったので、普通だったら日本語の洪水の中で英語をどんどん忘れていくと思いますが、母も本が好きでしたし、娘がせっかく覚えた英語を忘れ去らないようにという配慮もあったのでしょう、英語の本の読み聞かせをして、英語と接する機会をつくってくれました。母がアメリカ人の友人に、自分の母親は『赤毛のアン』というカナダの物語を翻訳したと話すと、その友人は「アメリカにも大自然で生きる女の子の物語があるのよ」と『大草原の小さな家』を勧めてくれたそうです。帰国後、『大草原〜』のシリーズを、毎晩少しずつ母と一緒に読み進めていくのは楽しいことでした。そのおかげで、英語は特別なものじゃなく身近にあるもので、中学に入ってからもずっと好きな教科でした。
 高校では、文法の授業はあまり好きではありませんでしたが、英語教育が盛んな学校だったので、サイドリーダーとして童話や小説、ギリシャ神話、映画のシナリオなどを読む授業があって、そちらは大好きでした。それから、受験のために塾に通っていたのですが、その英語の先生が言葉にこだわりのある方で、小説や英字新聞などから引用した英語の「名文」を1枚のプリントにして生徒に配り、訳させるんです。意訳しすぎはだめだけど、日本語らしくなければいけないとおっしゃって、そのときに言葉を選ぶこと、表現することの難しさと楽しさを体験しました。構造も文化も違う言語の架け橋として、翻訳っておもしろそうだなと意識しはじめたのはこの頃だったかもしれません。

――英語や翻訳、あるいは本に関して、お祖母さまとの思い出はありますか?

 祖母が亡くなったのは私が小学3年生のときでしたので、文学について語り合ったというような思い出は残念ながらありません。ただ、祖母の家に行くと本がたくさんあって、仕事の途中でも手を止めて、いろんな本を読んでくれたり、語り聞かせてくれたりしました。登場人物や動物になりきって、声色を変えて臨場感たっぷりに聞かせてくれるので、それはそれは子ども心にわくわくするひとときでした。どれが外国文学の翻訳ものでどれが日本の物語なのか、作者や訳者が誰なのか、祖母が書いたお話なのかどうかとか、意識したことはまったくありませんでした。
 『赤毛のアン』も、小学校中学年の頃にはストーリーを知っていたので、それまでに児童版のどれかを読んだはずなのですが、いつごろ読んだのかはよく覚えていないんです。祖母からも母からも、「これはお祖母ちゃんが訳した本だから読みなさい」などと言われたことは一切ありませんでしたから。見渡せば本ばかりという牧草地帯に放牧されている感じですね(笑)。ただただムシャムシャと読んでいました。

――実際に翻訳家になられたわけですが、いつごろから意識しはじめたのですか?

 大学生になって将来のことを考え始めた頃、英語が好きだから何か英語を生かせる仕事に就きたい、どんな仕事があるだろうと思ったとき、いちばん身近に感じたのは、やはり祖母がたずさわっていた翻訳という仕事でした。
 大学は英文科で、古いものから新しいものまで英米の作品をたくさん読む機会がありました。修士を終え、いよいよ仕事に就くというときに、子どもの本に関する世界的ネットワーク組織であるIBBY(国際児童図書評議会)の国際会議が数年後に日本で開催されることを知り、その日本支部であるJBBY(日本国際児童図書評議会)の事務局のスタッフとしてお手伝いさせていただけることになったんです。そこで、作家、翻訳家、イラストレーター、研究者、編集者など、さまざまな立場で本に関わっている方たちと接するうちに、自分も本の世界で何かできればいいなと思うようになり、翻訳という仕事が心の中に再浮上してきました。

――本のなかでも、子どもの本に特に興味があったのですね。

 そうですね。祖母はいろんな方へよく本を贈っていたようです。自分が訳した本に「愛するみどりへ」と書いて母(みどりさん)に手渡したり、自分の本じゃなくても娘に読んでほしい本にはメッセージを書いて贈ったり。夫にも、お友達のお子さんにも、同じように贈っていました。自分が読んで、いい本だと思い、だから誰かに読んでもらいたいと思う。言葉で説明しなくても、本を贈ることで思いが託される。本ってそういうものだと思うんです。
 祖母から母へ、母から私や妹に贈られた本というのは、必ずしもサインがなくても、贈った人の思いが詰まっているんですよね。そんなふうに贈られる本にかかわる仕事がしたいという思いがあり、だから子どもの本に興味が向いたのかもしれませんね。

言葉に詰まったら、まず心を自由にする

――最初に訳されたのはどのような本でしたか?

 若手の作家志望、翻訳者志望、編集者などが集まって自由に話し合う勉強会などに参加するようになり、そこで知り合った編集者の方から声を掛けていただき、リーディングをするようになりました。エージェントから預かってきた原書の中から、どの本を翻訳出版するか編集会議にかけて決めるわけですが、その資料として原書を読んでレジュメを書く仕事です。何冊かリーディングをするうちに、「この本を訳してみない?」と言われたのが最初の仕事でした。  『あらしのくれたおくりもの』という小学校低学年くらいから読めるお話です。大人の本のように黙って読むだけではなく、大人が子どもに読んであげることもある本。実際に子どもたちに読み聞かせることにも興味がありましたし、大学時代から劇を観たり演じたりが好きでしたので、声に出して楽しむような物語を訳してみたいという思いがあったので、願ってもないお仕事でした。
 難しい言葉は避け、子どもたちの心にすんなり入るような言葉選ぶように努めました。ただ、子どもは本の中でちょっと難しい言葉、背伸びした言葉に出会い、覚えていく、という楽しみもあるので、そのへんのさじ加減には心をくだきました。訳したあと、声に出して読んでみたり、甥っ子に聞かせて反応をみたり、どうすれば生き生きと伝わるか、自然な流れやリズム感を意識しながら試行錯誤しました。

――2012年には「赤毛のアン」シリーズの最新刊『アンの想い出の日々』を訳されていますね。

 実はこの作品は1942年にモンゴメリが亡くなる直前に書き上げ、完全原稿として出版社に届けられていたそうです。しかし、すぐには出版されず、1970年代に短編集として、内容を端折った不完全な形で出版されていたことが研究者の発見でわかったんです。モンゴメリが本当に伝えたかったことは、モンゴメリが書いたとおりの完全な形でないと伝わらないと、2009年に完全版の“The Blythes are Quoted”がカナダで出版されていました。
 私がこの作品を知ることになったのは、“Anne of Green Gables ”出版100周年に当たる2008年に、新潮文庫の祖母のアン・シリーズ10巻の訳文の見直しをさせていただいたことがきっかけでした。新潮文庫版の『赤毛のアン』の初版が1954年ですので、50年以上経っていました。翻訳したのは戦時中ですから、古びてしまっている言葉もあるでしょう、それを今の読者に読みやすいように少々手直しをしたほうがいいかもしれない、ということで見直しをさせていただくことになったんです。その作業をしていたときに、エージェントから新潮社さんに、こんな作品があると“The Blythes are Quoted”の出版前のゲラが届けられたました。読んでみると、まさにモンゴメリがアンシリーズを通して伝えたかったことが響いてくる作品でした。ぜひ「赤毛のアン」シリーズに加えてくださいとお返事したのですが、そのときは、まさか私自身が翻訳させていただけるとは思っていませんでした。

――すでに10巻あるシリーズの最終巻ということで、翻訳で苦労した点はありますか?

 モンゴメリが最晩年に仕上げた作品だけに、人生の嬉しいことも悲しいことも辛いことも描かれています。ほのぼのとした物語もありますが、人間の暗い面も描かれていたり、胸にぐさりと刺さるような物語もあったりして、モンゴメリが最後の最後に伝えたかった世界を描き出せるだろうか、とプレッシャーを感じたりもしましたが、同時におもしろくもありました。
 短編小説では、村の人々が主役なので、シリーズの統一感はそれほど気にしたわけではありませんが、それでもアンの家族がときおり顔を出しますので、長年のファンの方が読んでも違和感のないようにしたいと思いました。ただ、意識してそうしたというよりは、祖母の文章をずっと読んできていたので、「アンはこう話すだろう」などと自然に話し言葉が聞こえてくるようでした。
 難しかったのは、たくさん差し挟まれている詩の訳です。英語で読んで、心の中に湧き上がったイメージを日本語で表すわけですが、自分の語彙のつたなさに情けなくなりました。自分が訳したものを読み返すと、がっかりするくらい美しくなくて……。向き合いすぎると言葉って出てこなくて焦るばかり、何カ月か寝かせておくことにして、その間に散文のほうを訳し、それから改めて今度は訳文だけと向き合って推敲しました。字面にとらわれるのではなく、その奥に流れている「詩の感情」を汲みとること、心が自由にならないと詩は訳せない…とつくづく感じました。何かまったく別のことをしているときにふっと言葉が降りてくる、そういう日々でした。


お祖母さまと同じ翻訳家になった美枝さん。後編では、改めて向き合った『赤毛のアン』について、そして祖母、村岡花子さんの翻訳についてお話しを伺いました。お楽しみに。
(取材協力:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)

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村岡 美枝
(むらおかみえ)

翻訳家。日本女子大学大学院博士課程前期修了。アメリカ文学専攻。『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子さんの孫で、母みどりさんの遺志を継ぎ、祖母花子さんの書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として妹恵理さんと共に保存する。訳書に『アンの想い出の日々』(新潮社)、『ウェールズのクリスマスの想い出』(瑞雲舎)、『うわさの恋人』(金の星社)、『あらしのくれたおくりもの』(ベネッセ)などがある。

  • 最新情報
    連続テレビ小説「花子とアン」
    NHK総合(月-土)午前8:00〜8:15ほか放送中!


<訳書>


『アンの想い出の日々(上)』(新潮社)


『アンの想い出の日々(下)』(新潮社)


『ウェールズのクリスマスの想い出』(瑞雲舎)

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