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トラマガ

Vol.319<後編>出版翻訳家 村岡美枝さん

贈ることで心が伝わる、それが本。
子どもたちに、そんな本を届けたい。


(2014年4月25日更新)
 出版より50年以上経った祖母の訳書『赤毛のアン』と真っ正面から向き合った美枝さん。そのとき、いろいろなものが見えてきました。言葉は時代と共に変化し、昔の言葉は古くなる。しかし、古いという理由だけでは切り捨てられないものがそこにはあったのです。戦時下という状況にありながら、つむぎだされた生命感あふれる言葉のかずかず。そこに翻訳の神髄を見ることができるのではないでしょうか。

言葉ではなく作家の心を訳す

――『赤毛のアン』原作出版100周年を機に、お祖母さまの翻訳を原文と照らし合わせながら確認する作業をされたということですが、翻訳者になった今、改めてお祖母さまの翻訳と向き合っていかがでしたか?

 アンの物語は大人になってからも何度も読んでいましたが、原文と照らし合わせながらすべてを読み通したのはそのときが初めてでした。「ここの表現、うまいな」と思うところもたくさんあり、祖母の翻訳の味を再確認する楽しい時間でした。
 例えば、物語には、アン、マシュウ、マリラ、リンド夫人、ラベンダー夫人、スーザンなど、個性的な人々が登場しますが、祖母の翻訳は話し言葉に特徴があります。話し方でキャラクターを立たせているので、誰々が言いました、というト書きがなかったとしても会話文だけで誰が話しているかわかるんです。
 それから、モンゴメリは風景描写も素晴らしいのですが、たくさんの副詞や形容詞で飾られた文章が、ピリオドなく延々と続くことがあるんです。祖母の訳は日本語らしい流れとリズム感で、風景をパノラマ的に見渡しているような、本当にその場に立っているような気にさせる描写になっていて、その巧みさにうなるような箇所もたくさんありました。語彙の豊かさや詩的情緒を放つ言葉の選び方は、若い頃から佐佐木信綱門下で短歌や日本の古典文学を深く学んだ礎があるからこその感覚だと思います。明治の人ならではですね。

――見直しをして、古い表現を新しく変えた箇所はありましたか?

 はい、何カ所かありました。例えば、「教会の檀家」は「教会の信者」にしました。でも、“直した”より、結局“直さなかった”言葉のほうが多いんです。今なら「キルト」や「パッチワーク」と訳すところですが、祖母はその当時の日本人にわかりやすいようにと「刺し子」や「つぎもの」と訳していました。今の感覚ですと「正確」ではないかもしれませんが、ひと針ひと針、思いを込めて刺すという、異なる文化の二つの言語の奥にある心情の共通点をすくいあげて選んだこの言葉は残したいと思いました。また、ちょっと古めかしくても、詩的でロマンティックな香りのする言葉は、アンの物語の世界の「感情」を表すものだと思いますし、日本語としてずっととっておきたいものですよね。「たゆとう」とか「おとなしやかな」とか「そぞろ歩く」とか「世世かぎりなく」とか「えもいわれぬ」とか……。

――お祖母さまは生涯、舞台となったプリンス・エドワード島もカナダも、訪れる機会はなかったそうですね。

 そうです。祖母がこの作品を訳していたとき、日本は第二次世界大戦のまっただ中でしたから、カナダに行くどころか、敵性語である英語の本を持っていることなど公にできない時代です。頼りになるのは辞書と、それから想像力ですよね。モンゴメリの見ていた風景を実際に見たからといってうまく訳せるかといえば、そうではない。作家が本当に書きたいのは、目の前の風景ではなく、その奥にある何かなのでしょうから、おそらく祖母は原文を読み込むことで奥にある真理を探り、想像の翼を広げて、訳していたんだと思います。
 それから10代の頃に東洋英和女学校で学んだことも大きかったと思います。東洋英和は、明治初期、カナダ人宣教師が創設した女学校で、祖母の家は貧しかったのですが、熱心なクリスチャンだった父親の働きかけで奨学生として寄宿舎に入ることができたのです。そこでは、モンゴメリと同世代のカナダ人宣教師たちから、英語はもちろん、キリスト教に基づく人間教育を受けました。聖句をテニスンやシェイクスピアの文学を通して学びました。英和で過ごした10年間がなければ全く違う翻訳になっていたかもしれないくらい、村岡花子の文学者としての、また人間としての土台を決定づけたと言っても過言ではありません。

――11歳で孤児院から引き取られたアンと、10歳で女学校の寄宿舎に入った花子さんの境遇は似ているところがありますね。

 大人になってから、祖母の人生について母から聞いたり、随筆などを読んで知りましたが、アンと祖母には共通点がいくつもあることに気づきました。アンを通して祖母の人となりをあらためて知るというような感じです。祖母の女学校時代の雑記帳が残っているのですが、それを読むと、寄宿舎の窓辺に落ちてきた桜の花びらに名前を付けて呼び掛けていたりして、空想好きだったアンと同じようなことをしています。アンが話す言葉は、「〜ことよ」「〜じゃないこと」「〜じゃなくって」となぜか女学生言葉なんですよね。11歳まで孤児院で育った女の子が女学生言葉というのは、突き詰めればおかしいかもしれませんが、祖母が女学校時代に友と交わしていたやわらかなな言葉の響きが、アンの声となって聞こえてきたのではないかと思います。

――戦時中、出版のめどもまったく立っていない本を一人で訳し続けていたことに、何か運命的なものを感じますね。

 最初に読んだとき、生活文化や空気感が、なんて自分の女学校時代と似ているんだろうと思ったでしょうね。この本に出会うために今までがあったのではなかったかと。外は焼け野原、飛び交うのは軍国調のあらっぽい言葉。だからこそ、モンゴメリの紡ぎ出す美しい言葉に潤され、文学者として感覚が研ぎ澄まされ、訳さずにはいられなくなったのだと思います。
 「曲がり角を曲がったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」(『赤毛のアン』最終章「道の曲がり角」より)さまざまな困難にぶつかり、何度も曲がり角を曲がりながら、祖母もいつもそう思って生きてきました。翻訳をしながらこの言葉にどんなに励まされたことでしょう。どんな時にも女性や子どもたちが夢と希望をもって生きてほしい。本を通してそのことを伝えたい。強い使命感を持ち、平和への祈りを込めて訳し続けていたのだと思います。想像もできないような状況ですよね。アンの物語は平凡の尊さに気づかさせてくれます。今の豊かな時代には、平凡はつまらないと思われてしまうかもしれませんが、祖母の歩んでいた時代には、貧しくて勉強したくてもできなかったり、戦争で自由が奪われたり、「あたりまえのこと」を手に入れるために一生懸命だったのでしょう。

若者の心に本を通して種をまく

――花子さんは『赤毛のアン』以外にも、親子で読める平凡な、ゆえに普遍的な物語を届けることを生涯続けられたそうですね。

 祖母は24歳の時に初めての本を出版しています。その序文にこんなことを書いています。 「……姉も妹も父も母も一緒に集まって声に出して読んでも困ることのないような家庭向きの読み物がたくさんに此の日本にも出版されるようにとの祈りでございました。此所に収めた十三篇もそうした考であちこちから選び出したものを訳したのでございますが、或は平凡すぎるとの誹(そしり)を受けるかもしれませぬ。然し私は『平凡』ということは強ち恥ではないと思ひます。寧ろ貴いものだと考えます。…… 洗練された『平凡』。それは直ちに非凡に通ずるものだと思って居りますから。……」アンと出会うまでも、出会ってからも、祖母はぶれない視点で物語を選び、多くの本を世に送り出していますが、まさにアンの物語は祖母が目指していた「洗練された平凡」だったんじゃないかと思うんです。 自分の人生観と合致する作品に出会えた祖母は翻訳者として本当に幸せだったと思います。
 私も大人になってから祖母と語り合いたかったと思いますが、それは叶いません。1991年から祖母の書斎を再現した場所を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として蔵書や原稿、愛用品を保存し、予約制で公開してきたのですが、祖母の手がけた作品を読んで下さった方々から、「生きる力をもらった」「道を照らしてもらった」というお話を聞かせていただく度に、祖母が本に託してまいた種が多くの方たちの心の中でじっくりと育ち、美しい花を咲かせているのだなあとしみじみ感じました。村岡花子が生涯の情熱を傾けて取り組んだ仕事の意味をあらためて考えるきっかけとなりました。

――今後の活動について、教えてください。

 もちろんおもしろい作品との出会いを求め続けたい、そして翻訳できたらいいなと思います。それと同時にこれからも祖母の仕事を大事に守っていきたいと思っています。今年はモンゴメリの生誕140年と日加修好85周年にあたる年で、『モンゴメリと花子の赤毛のアン展』が3月後半より甲府を皮切りに開催中で、全国各地を巡回します。展覧会に蔵書や直筆の翻訳原稿、仕事机などを貸出していますので、残念ながら記念館のほうはしばらく休館になります。
 それから、つい先日(2014年3月31日)から『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(村岡恵理著)を原案として、NHKの連続テレビ小説『花子とアン』が始まりました。これを機に、また多くの方に『赤毛のアン』や村岡花子のことを知っていただければ嬉しく思います。今年はその他にも、祖母の生まれ故郷の甲府市にある山梨県立文学館、祖母が仕事を始めた場所であり、祖父と出会い、『赤毛のアン』の原書を贈ってくれたミス・ショーと出会った場所でもある銀座の教文館、明治・大正・昭和の時代の雑誌の挿絵など出版美術の企画展を開催する弥生美術館でも、それぞれに異なった視点からの「村岡花子展」が企画されています。

――最後に、翻訳を学習中の方にメッセージをお願いします。

 そうですね、私自身、翻訳するときに心がけていることがあります。それは自分の心を豊かにすることです。もちろん英語力をつけたり、翻訳のスキルを学ぶことは大事ですが、読書を楽しんだり、絵画を鑑賞したり、音楽を聴いたり、旅に出たりすることも、とても大事だと思うんです。特に文学作品の翻訳というのは、訳す人によってまったく違うものになります。訳す人の心のフィルターを通るからですよね。その人が選ぶ言葉、表現する文章というのは、その人そのものです。だからものごとをしなやかに受けとめられるようにゆとりある心を保ちたいものだと。締切に追われて本に向かいすぎてきりきりしている時って本当に言葉が出てこなくなります。そんなときは、散歩して、空を仰いだり、花を愛でたりしてみてはいかがでしょう。心がふっとゆるんで、いい言葉が降ってくるかもしれません。


(取材協力:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)


編集後記

私も少女時代に『赤毛のアン』を読みました。一生懸命ひたむきに生きるアンから目が離せなくなって、一気に読んだことを思い出します。しかし、その翻訳者についてはまったく知りませんでした。信念を持って子どもの本を作り続けた花子さん、そしてお孫さんの美枝さんがその思いを受け継いでいます。いつの時代の子どもたちにも『赤毛のアン』を読んでほしい、そう思います。

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村岡 美枝
(むらおかみえ)

翻訳家。日本女子大学大学院博士課程前期修了。アメリカ文学専攻。『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子さんの孫で、母みどりさんの遺志を継ぎ、祖母花子さんの書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として妹恵理さんと共に保存する。訳書に『アンの想い出の日々』(新潮社)、『ウェールズのクリスマスの想い出』(瑞雲舎)、『うわさの恋人』(金の星社)、『あらしのくれたおくりもの』(ベネッセ)などがある。

  • 最新情報
    連続テレビ小説「花子とアン」
    NHK総合(月-土)午前8:00〜8:15ほか放送中!


<訳書>


『アンの想い出の日々(上)』(新潮社)


『アンの想い出の日々(下)』(新潮社)


『ウェールズのクリスマスの想い出』(瑞雲舎)

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