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トラマガ

Vol.340 <前編>翻訳家・小説家・ミュージシャン 西崎憲さん

翻訳、執筆、そして音楽。好きな事は全部やる。
夢は「日本翻訳大賞」を10年続けること!

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(2015年3月10日更新)
 2015年4月19日、第1回「日本翻訳大賞」が決定します。今月は、この賞の生みの親である西崎憲さんにお話をうかがいました。高校卒業後、ミュージシャンを目指して青森から上京しミュージシャンとして実績を重ねつつ、なぜ一方で翻訳を始めたのでしょうか。出版翻訳家は、「英語ができるから小説を訳す」のではなく、「小説を訳したいから英語を勉強する」人のほうが向いているとおっしゃる西崎さん。小説を訳すために翻訳者はどうあるべきなのか、翻訳企画持ち込み成功者としてのアドバイスも見逃せません。

好きな作家の作品をもっと読みたい、そうだ自分で訳そう!

――翻訳はどのようなきっかけで始めたのですか?

 本を読むのが好きだったんです。子どもの頃は誰もがよく読むようなSFミステリーなんかを読んでいましたが、高校を卒業したくらいから本格的に好きになって。日本の小説も読んでいたけど、海外文学の方が多かった。なかでもA・E・コッパードという短篇作家が好きで、翻訳されているものは全部読んでしまって、当時はあまり翻訳されていなくて、あっという間に読むものがなくなってしまったんです。だったら原文で読むしかないなと思っていたら、ちょうど翻訳をやっている友人の中野善夫さんから「いっしょに翻訳の同人誌を作らないか」と誘われたんです。彼も僕と同じくコッパードが好きで、コッパードの短篇作品を自分たちで訳そうと。当時、27歳くらいだったかな。英語はまったく駄目だったんだけど、英語を勉強しつつコッパードの本が読めるいい機会だと思って、その話に乗ることにしました。

――好きな作家の作品が読みたいから、それが翻訳を始めたきっかけだったんですね。同人誌はうまくいきましたか?

 それが結局、同人誌は出なかったんですよ(笑)。6人くらい仲間が集まって、それぞれに自分の訳したい作品を選んで訳すことになってね。僕は最後まで訳し終えたんだけど、何人かの訳は完成しなかった。だから同人誌は幻に終わりました。

――そうですか。でも、西崎さんご自身はこのとき翻訳の楽しさに開眼したとか?

 翻訳をしたのは、コッパードの作品を自分自身が読みたいというのが一番の目的だったから、そのときは翻訳について、そこまで深くは考えませんでしたね。何しろ、「taught」がわからなくて辞書を引いたら「teach」の過去形って書いてあって、そういえばそんなのがあったな、ってそんなレベルでしたから(苦笑)。
 ただ、使命感には目覚めましたね。僕は根底のところに裏方志向があって、「僕と同じようにコッパードを読みたい人がいるはずだ。僕が訳したら、みんな読めるじゃないか」と考えました。かなりマイナーな作家ですから、日本の読者はせいぜい3000人くらいでしょうが、だからこそ読み手に対する愛みたいなものがわき上がってきましたね。
 それと、英文解釈ってクイズみたいなところがあるじゃないですか。わからない、わからないと何時間も考えるのが性格的に向いているみたいで、苦しみじゃなくて楽しみなんですよね。まあ、翻訳家はみんなそうだと思いますが。

――同人誌が幻となったからには、全国の読者に届けるためには何とか世に出さないといけないわけですよね。

 そうですね。コッパードの作品はその後も何篇か訳し続けていました。そんなとき、本を書いている知人から、「出版社が企画の持ち込みを受け付けるみたいだよ」という話を聞いて、編集者さんを紹介してもらったんです。国書刊行会という出版社で、結果としては、最初の持ち込み企画がいきなり採用されました。 持ち込み企画が採用された訳書「怪奇小説の世紀」シリーズ 普通は有り得ない話ですよね。 しかも採用された企画は、コッパードを含めたいろいろな作家の幻想怪奇作品を集めた全3巻のアンソロジーで、全40作品くらいある大型の企画だったんです。
 後から聞いた話ですが、話を聞いてくれた編集者が、当時は編集者として駆け出しで、意欲的に企画を出し始めた頃だったそうです。かつ社内的にも何か新しい大きな企画はないかと探していた時期だったらしく、前後3カ月ずれていたらあの企画は通らなかったでしょう。それくらいタイミングがよかったようです。その時の編集者がいま名編集者として有名な藤原義也さんで、藤原さんとはそれから20年以上、ずっと一緒にいろんな企画を一緒にさせていただいてます。

――企画が採用されることも大変なことですが、当時は翻訳者としてまったく実績のなかった西崎さんが翻訳者として採用されることも、なかなか難しいことですよね。

 「幻想怪奇」という分野だったのがよかったのかなと思います。もっと学術的なものだったら、偉い先生の監修を付けようとか、大学の先生に訳してもらおう、という話になっていたかもしれないけれど、あまり有名な専門家がいないニッチな分野ですからね。でも僕は自分の好きな世界だったから詳しかった。その時に提出した企画書にも、同分野の百何十作品というリストを作って添付しました。その知識を評価してもらったということなのかもしれません。

――持ち込みはなかなか成功しないと言われますが、タイミングも大事だし、しかしそれ以上に自分自身の準備も大事だということですね。

 ひとつ、持ち込みをする方へのアドバイスなんですが、自分が推したい企画があるとしても、それ1つだけじゃなくて3つくらい用意することをお勧めします。自分がどんなにいいと思った企画でも、編集者の目に留まるとは限らない。それよりも、最後に雑談のように「他にこういうのもありますよ」と出した企画が意外と「それ、いいね」となることがけっこうあるんですよ。だから、企画を見てもらえる機会があれば、最低でも3つくらいは用意した方がいいと思います。自分の知識の幅を見せる意味でもね。

好きなことは全部やりたい、翻訳も小説も音楽も

――翻訳を始めた当初、英語力はあまり高くなかったとのことでしたが、翻訳の力はどのように伸ばしていったのですか?

 まず、本を読みました。英語関係のものは何でも、常に持ち歩いて読んでいましたね。特によく読んだのは、当時多かった誤訳について書かれた本。それから文法書や英作文に関するものも。同時に、独学では限界があるなと思っていたので、ニフティサーブの「翻訳フォーラム」で行われていたオンライン勉強会に参加しました。これはすごく勉強になりましたね。誰でも基本的な知識の抜けってあると思うんです。それは独学ではなかなか気づかないから補いきれない。例えば、「in my book」というのは作家以外の登場人物が使ったら「自分の本の中」ではなく「自分の意見では」という意味だけど、そういう種類の慣用句や成語は自分で訳しているだけでは気づきません。他の人の訳を見てアレっと思うわけです。そういうものを1つずつ潰していくためにも、勉強会は僕にとって意義がありました。

――その後、翻訳だけではなくご自身で執筆されるようになったのは、どういうきっかけですか?

 作家になったきっかけは、第14回日本ファンタジーノベル大賞に応募して、大賞をいただいたことです。なぜ応募したかというと……、あるとき夢に女性が出てきて「応募しなさい」って言ったんです(笑)。ハッと目覚めて募集要項を確認してみたら、締切まであと1カ月。それから急いで300枚を書き上げて応募したら、大賞をいただけたというわけです。
 小説は同人誌で短いのを少し書いてはいたんだけど、翻訳がすごく楽しかったので文章を書く欲求はそこで満たされていました。でも、そんなふうに背中を押された感じになって……。賞をいただいて思ったのは、「僕より優れた作家はいっぱいいるけれど、まったく同じ人間はいない。僕が書けば世の中にいまあるのとはちょっと違った本が1冊増えるわけで、それもまた意味があるのかな」と。以来、書くことも楽しんでいます。

――翻訳、小説、音楽と、どれも専門性の高い分野ですが、どれかに絞ろうと思ったことはありませんか?

 もともと音楽をメインに考えていましたが、本もすごく好きで。こっちは仕事で、こっちは趣味とか、そういう意識がないんですよね。やりたいこと、好きなことは、全部やりたい。だから、3つを並行して、主に締め切りが近いものから順番にやる、という感じですね。
 作曲や小説はスランプがあって、先に進めないときがあるんですが、翻訳はとりあえず原文があるので、心理的には一番楽ですね。難しいところは後回しにすればいい。ストレスなく、一番楽しめるのが翻訳です。ありがたいことに、ずっと続けていると解釈的にわからないところとか表現につまることとかもどんどん減ってくるので、楽しく訳しています。

――最近の訳書と、今後の予定について、いくつか教えていただけますか。

 最新の訳書は『郵便局と蛇』というコッパードの短篇集です。初めて訳した短篇「辛子の野原」も含まれています。もちろん単行本化、文庫本化のときに手を入れています。デビューして5年くらいのものは誰しも誤訳があると思います。ケアレスミスとか、解釈力不足とか。ひとつの言語を正確にほかの言語に移しかえるってほんとうに大変なことなんです。もちろん完璧を目指しますが、それはたぶん神様にしかできない。
 『ピース』のジーン・ウルフは難解と言われている作家で、わけのわからないことが説明なしでいっぱい出てくるので難しかったですね。不可解なものは不可解なままに訳さなければいけない。悲しいとか、嬉しいなんていう言葉のつらなりだけでは表現できないからこそ、そのような表現になっている。そういう曖昧なものを、ちゃんと曖昧なまま良さが出るようにできれば、それがたぶん最高の訳だと思います。
 この後も翻訳のほうは『アンナ・カヴァン傑作集』など、ありがたいことに2、3年先まで予定が詰まっています。それから、今ロックミュージックの歴史について本を書いています。その中には歌詞の抄訳を150曲くらい載せる予定です。歌詞は本当は全部載せたかったんだけど、著作権の問題があって。本だから音楽は聞こえてこないんだけど、歌詞があると聞こえてくるような気がするものですね。
 小説のほうでは、初めてジュヴナイルの執筆に取りかかっています。会計士や弁護士のように「物語士」という資格がある世界の話で、気の弱い高校生が物語士になり、物語の力によってさまざまな問題を解決していくというお話です。


 好きな作家にのめり込み、好きな分野の知識を蓄え、持ち込みを成功させた西崎さん。その後も多方面で活躍している西崎さんが、このたび「日本翻訳大賞」を創設しました。後編では、この賞について詳しくお話を伺います。どうぞお楽しみに。

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西崎 憲(にしざき けん)

1955年青森県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して上京する。音楽活動のかたわら、海外文学好きが高じて、未訳の作品を自身で翻訳するようになる。「自分が読みたい本は他の人も読みたいはず」と出版社に翻訳書の出版企画を持ち込み採用され、翻訳家としてデビューする。初の訳書は『怪奇小説の世紀』(全3巻、国書刊行会、1992-93年)。2002年に『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、小説家としてもデビュー。現在も翻訳家、小説家、ミュージシャンのすべての顔を持つ。音楽レーベル「dog and me records」主宰。主な訳書に『郵便局と蛇』『エドガー・アラン・ポー短篇集』(以上、ちくま文庫)、共訳書に『ピース』(国書刊行会)、著書に『蕃東国年代記』(新潮社)、『ゆみに町ガイドブック』(河出書房新社)等がある。

<最新情報>

・4月10日(金)@代官山TSUTAYA
「日本翻訳大賞」選考委員5人によるトークイベント


・4月19日(日)
「日本翻訳大賞」授賞式・受賞パーティ


<関連リンク>

Twitter

「日本翻訳大賞」HP

「日本翻訳大賞」Twitter


<訳書/共訳書>


「郵便局と蛇: A・E・コッパード短篇集」(ちくま文庫)


「ピース」(国書刊行会)


「ヘミングウェイ短篇集」(ちくま文庫)

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