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トラマガ

Vol.346 <前編>出版翻訳家 西田佳子さん

ミステリーから子どもの本、そして『わたしはマララ』との出合い。
翻訳者として自らも良い原書を探して伝えたい。

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(2015年6月10日更新)
 今回お話を伺ったのは、出版翻訳家の西田佳子さんです。一昨年、恩師である金原瑞人さんと共訳でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの手記『わたしはマララ』を翻訳された西田さん。大学卒業後は、いったん一般企業に就職されたそうですが、その後、どうして翻訳家をめざすようになったのか、そしてどのように最初の仕事を得たのか、お話を伺いました。デビューして最初の数年は順調だったものの、仕事が思うように進まないスランプの時期もあったそうです。それをどのように乗り越えたのか、仕事のほかに大切なものについても語っていただきました。

翻訳を学んで気づいた、日本語をつむぐことの面白さ

――西田さんはYA(ヤングアダルト)や子ども向けの本をたくさん翻訳していらっしゃいますが、ご自身も子どもの頃から本を読むのは好きでしたか?

 本は好きでしたね。でも、本の虫というほどじゃないので、読書量は普通だったと思います。『ドリトル先生』シリーズが好きで、よく読んでいました。日本名作シリーズなども読んでいましたが、今思い返すと、ちょっとエキゾチックな感じに憧れを感じて、翻訳ものをたくさん読んでいたような気がします。

――では、英語はどうでしょう。得意科目でしたか?

 英語は中学校に入って学び始めて、いちばん好きな教科ではありましたが、高校に入るとけっこう難しくなっていって、得意科目と言えるほどではありませんでした。ただ、何を思ったのか、大学進学のときに「外語大に行きたい」と思ってしまって……。よく覚えていませんが、外国語学部という響きをカッコイイと思ったとか、そんな単純なことだった気がします。ひとり暮らしへの憧れもあって、東京の大学を目指すことに決め、それからようやく英語の勉強に身を入れるようになりました。

――見事合格して進学されたわけですが、憧れの「外国語学部」はどうでしたか?

 入学して、最初に先生から「しゃべれるようになりたかったら、英会話学校に行きなさい」と言われてびっくりしました。実際に大学で勉強したのは、古英語や英語の歴史、あるいはアメリカやイギリスにまつわるさまざまな勉強。「そうか、大学の外国語学部は、会話じゃなくて“言語を学問するところ”なんだ」って、入学後に気がついて……。でも、それはそれで面白かったんです。ただ、成績はあまりパッとしなくて、英語よりも第二外国語の中国語にはまったりしていました(笑)。

――翻訳についてはいかがでしょう。触れる機会はありましたか?

 はい、大学時代に翻訳会社でアルバイトをする機会がありました。中国語を一生懸命がんばっていたら先生が目を掛けてくださって、知り合いの方が経営する翻訳会社でアルバイトしてみないかと、紹介してくださったんです。大学4年生になると授業も少なくなるので、週に2回はフルタイムでオフィスに出向いて、いろいろ教えてもらいました。医薬品関係の実務翻訳だったので、専門的な内容が私にはとても難しくて、これを自分の仕事にするのは無理そうだなと思いました。
 ただ、翻訳に触れたことで、この頃からどこか頭の片隅で「小説の翻訳も面白そうだな」と考えるようになりました。ただ、あの頃は「私は帰国子女でもないし、英語もしゃべれないし、無理無理」と自分の中で打ち消してしまっていましたが。

――大学卒業後はどのような道に進まれたのですか?

 当時はバブルで、就職はわりとスムーズでした。人気があったのが銀行や証券会社などの金融系。流されやすい私は、何も考えずにその風潮に乗って、証券会社に就職しました。英語を使う部署に配属されたのですが、それでも証券会社なので数字はぜったいに出てきます。入社して、仕事を始めてから思い出しました。私は数字が苦手だったということを……。先輩から「西田さん、このデータ間違えてたよ」とたびたび言われて、「ああ、私には向いてない」と痛感。その結果、「やっぱり私には翻訳のほうが向いている!」となって、翻訳学校の通信講座を始めたんです。

――翻訳家に転身を、と考えたわけですね。通信講座はいかがでしたか?

 通信講座では、提出した課題が添削されて点数がつき、毎月、優秀者が発表されました。上位に名前が上がる人は毎回だいたい同じで、「ああ、今月もまたこの人に負けた……」と悔しがり、翌月自分の名前が上にあると「やったー」と、最初はそんな感じでのめり込んでいきました。
 1年くらいの通信講座を終えた頃には、本格的に翻訳をやりたいという気持ちが芽生えていて、通学講座に通うようになりました。翻訳に邁進するために会社も辞めました。結局、証券会社に勤めたのは2年足らずでしたね。幸い、学生時代にアルバイトをしていた翻訳会社に連絡したら、在宅でできる翻訳の仕事をいただけることになったので、通学講座で勉強しながら実務翻訳の仕事もしました。

――翻訳を学んでみて感じた、翻訳の魅力とはどういうところですか?

 通学講座に通い始めて強く思ったのが、「翻訳っていちばん肝心なのは日本語の表現なんだな」ということでした。日本語については、それまであまり意識したことがなかったんですよね。今ごろ気付いたの?という感じではありますが、翻訳を勉強していくうちに、書くことって面白いなと思い始めました。
 通学講座では金原瑞人先生に教わったのですが、先生の訳されたものを読んで、「こんなふうに読みやすい文を書けるようになりたい」と欲も出てきて、書くことに刺激を感じていましたね。

仕事のスランプを救ったのは仲間の存在

――出版翻訳の最初の仕事は、どのように得られましたか?

 私が翻訳を学習していた頃は、インターネットが普及するちょっと前で、パソコン通信という電話回線を使ったテキストベースの情報サービスがあって、そのなかの「翻訳フォーラム」に参加していました。翻訳者や編集者など、翻訳に興味がある方々が集う場所で、いろいろな方と知り合いになれたんです。そのつながりで出版社を紹介していただき、いくつか仕事につながりました。
 最初の訳書は、講談社文庫から1993年に刊行された『大統領をめざした少年』です。紹介された編集の方に「この本の第1章を訳してみますか?」と言われて、訳して提出したところ、「いいですね。では、1冊訳してください」とトントン拍子で話が進み、それが初の訳書となりました。同じ頃、早川書房の『ミステリマガジン』からもお仕事をいただき、短編をいくつか訳しました。
 今と違い、翻訳ものが結構はやっていた時代だったと思います。ミステリーブームが始まって、講談社文庫から「検屍官」シリーズが刊行されたのが1992年でしたから。今よりは、新人がデビューしやすい時代だったかもしれませんね。

――では、その後も順調に仕事がつながっていきましたか?

 はい、そうですね。講談社からは最初の訳書の次に、ロンドン警視庁のエリート警視キンケイドが活躍するミステリー作品をご依頼いただき、これがシリーズ物だったので、実務系の仕事はやめて出版翻訳の仕事だけで生活できるようになりました。この『キンケイド警視』シリーズは1、2年に1本のペースで現在も続いていて、最新刊の第13弾がこの6月に発売されます。

――ただ、何年か前までは仕事に行き詰まったスランプの時期もあったそうですね。

 はい。翻訳者として滑り出しはスムーズで、27歳で最初の訳書を出してから数年は順調でしたが、それから間もなく、スランプに襲われたんです。プライベートの悩みが原因で、翻訳の仕事に没頭できなくなってしまった時期がありました。翻訳を学び始めて、わりと早くに仕事に結びついたため、忙しくなってすぐに翻訳学校をやめてしまったので、同じような境遇の友人が1人もいませんでした。頼れるのは翻訳学校時代の恩師である金原瑞人先生だけ。先生には本当にいろいろと助けていただきましたが、それでも愚痴を聞いてもらったり、気晴らしにおしゃべりしたり、というわけにはいきません。なんだか、どんどん気持ちがふさいでいって、頼まれた仕事を何とかこなすだけ、積極的になれない時期を10年ほども過ごしました。

――そこから、どのようにして復活できたのですか?

 きっかけは、翻訳仲間ができたことだったような気がします。金原先生を通して知り合った同じくらいの年代の出版翻訳家の方々なんですが、今でも関係が続いていてときどき女子会をしているんです。翻訳の話はまったくしないこともありますし、したとしても他愛もない話、例えば「締切に間に合いそうにない、どうしようー」というような泣き言だったり(笑)。書籍の翻訳者はみんな、何カ月も同じテーマにどっぷりつかることの繰り返しです。それが時にはストレスになることもあるんですよね。でも、そんなことも友達に聞いてもらったら、それだけでけっこうスッキリするもの。笑い話にして、翌日からまた仕事を頑張れる、ということがありますね。
 もちろん、翻訳でいい訳文が浮かばないときに意見をもらったり、「この作家知っている?」と情報交換をしたり、そういう大事な話もします。そうそう、機械系の情報は友人から教えてもらうことが多いですね。どのメーカーの電子辞書がいいとか、どこで買うと安いとか、パソコンの使い方はこれが便利だよとか。
 仕事を離れて息抜きできる時間が必要だったんでしょうね。気持ちが明るくなっていったら、仕事も前より一生懸命取り組めるようになって、どんどん良い方に向かっていきました。

――ひとりで取り組む翻訳の仕事には、ストレス発散も重要なんですね。

 そうですね。ストレス発散と、それから運動不足解消も大切です。日々、運動不足で危機的状況に陥り、このままじゃまずいとウォーキングを始め、そのうち翻訳家仲間がランニングをしていることを知り、一緒に走るようになりました。
 自慢じゃないけど、体育は「1」を取ったことがあるほど苦手で、ランニングなんて「私がやることじゃない。何キロも走るなんてあり得ない!」と思っていたのですが、仲間と駅伝大会に出たりするうちに本当に楽しくなってきて、名古屋ウィメンズマラソンでは42.195kmを完走しました。
 友達ともよく話すんですが、マラソンって翻訳とよく似ているんですよね。ひたすら長い42キロのスタート地点は、翻訳でいえば400ページの原書を手渡されて新しい仕事に取りかかるとき。とにかく長い、孤独な時間のスタートです。マラソンは1人じゃゴールできません。大会スタッフ、ボランティアの方々、励ましてくれる友達がいて、それでやっと走りきれる。ただ、やっぱり自分が走らないと絶対にゴールはできない。翻訳もそうです。編集者や家族や友人が支えてくれるけど、でも自分が訳さないことには少しも前には進まない。それに、どちらもゴールの向こうには達成感が待っています。

――なるほど、マラソンも翻訳も完走を目指してコツコツと、ですね。

 ランニング以外では伝統芸能にも興味があって、ときどき出かけています。最初のきっかけは文楽でした。浄瑠璃の日本語って言葉遊びが多かったり、響きを重視していたり、とても凝っていて面白いんですよね。落語は思い切り笑ってストレス発散できますし、気軽に行けるのがいいですね。


 翻訳の勉強を始めて間もなく仕事をゲットし、好調な滑り出しの西田さんでしたが、スランプの時期も経験。それを乗り越えるためには、仕事とプライベートのバランスがポイントだったようです。気持ちが上向きになると、仕事もますます順調に。後編では、これまでに訳した本について、そして最近積極的に行っている持ち込みについてお話を伺います。

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西田佳子(にしだ よしこ)

愛知県名古屋市出身。東京外国語大学英米語学科卒業。大学卒業後、証券会社に2年ほど勤め、在職中から翻訳を学び始める。初めての訳書は1993年に刊行された『大統領をめざした少年』(講談社)。主な訳書に、「キンケイド警視」シリーズ(講談社)、「ミッシング・パーソンズ」シリーズ(理論社)、『赤毛のアン』『小公子セドリック』(以上、西村書店)、『わたしはマララ』(学研パブリッシング)などがある。法政大学、神奈川工科大学で英語の非常勤講師も務める。

<訳書/共訳書>


「わたしはマララ」(学研パブリッシング:共訳)


「マララさん こんにちは」(西村書店)


「警視の因縁」(講談社)


「テラプト先生がいるから」(静山社)


「赤毛のアン」(西村書店)

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