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トラマガ

Vol.350 <前編>実務翻訳者 田中千鶴香さん

翻訳は“言語サービス”。
さらに高まるニーズに対応するためには

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(2015年8月10日更新)
 今回、お話を伺ったのはIT分野の翻訳者、田中千鶴香さんです。中学・高校のいわゆる学校の英語教育では英語が好きになれなかったという田中さん。なぜ外国語大学を目指そうと思ったのか? そして、メーカー勤務や英語講師、通訳の仕事を経て、最終的にIT技術翻訳者になった理由は? 人生にはさまざまな岐路があり選択を迫られますが、それは時に偶然の産物だったり、時に熟慮の末の決断であったりします。果たして、田中さんの場合はどうだったのでしょうか。前編では、文系出身の田中さんがIT専門の翻訳者になるまでのお話を伺いました。

英語の基礎力は、塾の先生の“丸暗記”学習法で

――英語との出会いは小学4年生だったそうですね。

 はい、近所に英語塾があったので、そこに通い始めました。親としては、中学になってから学校の授業で困らないように早めに準備をさせようという思いがあったようです。でもその塾は、近所に住んでいた画家のおじさんが生活費を稼ぐために副業で開いたものでした。先生は英語圏で育ったハーフだから日本の英語教育にまったく馴染みがなく、中学の授業の準備を期待されても、どうすればいいかわからなかったんですよね。最初の2年間は英語で歌ったり、絵を描いたり、そんな自由な授業でした。でも、それがとても楽しくて、塾が大好きになりました。
 6年生になったら、先生も何とか文法を教えないと、と思ったんでしょうね。ただ、そのやり方は独特で、基本は丸暗記でした。文法を一通り説明したら、そのあとは先生が作った英文をとにかく覚えろと。指名されて、全部間違えずに暗唱できたらアイスクリームがもらえるんです。それを目当てに一生懸命覚えました(笑)。
 ただ暗記するだけなんですが、簡単なものとはいえちゃんとした文章を声に出していると、きっともっと話せるようになるんだろうな、と思えてワクワクしたことを覚えています。

――最初の英語体験はとても楽しいものだったのですね。中学に入って、学校で学び始めてからはどうでしたか?

 塾の効果はあったようで、授業で困りはしなかったし、成績も悪くはありませんでした。でも、好きではありませんでした。教科書に出てくる話はつまらない、先生の説明もわかるけどワクワクはしない。肯定文を否定文にしたり、穴埋めをしたりという、いわゆる学校英語に対して「どうして、こんなことやらなくちゃいけないんだろう」って思っていました。それで、だんだん英語が嫌いになっていったんです。
 ただ、塾はずっと続けていました。不定詞も、関係代名詞も、仮定法も、全部同じ丸暗記の方法で教わりました。だから文法はかなりきちんと勉強したんですよ。ほかに、読みごたえのある文章をたくさん読まされました。「アナリシスをしろ」と先生が言うと、原文の構造を文法的に解説するんです。受験英語とは違ったので辞めていく人も多かったんですが、私は結局、高校卒業まで同じ塾に通い続けました。

――英語が嫌いになった田中さんが、なぜ外国語大学を目指したのですか?

 志望校を決めたのは高校3年のお正月も明けてから、願書を出すギリギリのタイミングでした。うちの父は大正生まれの頑固者で「女子に学はいらない」というタイプ。どうしても行きたいなら地元の福岡の大学にしろと言われていました。親の思い通りになるものか、大学はどうしても家を出たいと思っていたのですが、具体的に将来の夢や目標があったわけでもなく、親を説得できないままギリギリになってしまっていました。
 国公立大学入試の受付が始まって、新聞で発表になった合格倍率を何気なく見ていると、やけに倍率の高い大学がありました。東京外国語大学英米学科、初めて見る名前です。いったいどんな大学だろうと興味がわいて、本屋で赤本を立ち読みしました。赤本には過去の入試問題が載っています。それを見て、この大学に一目惚れ。絶対にこの大学に行きたいと思いました。

――一目惚れした入試問題とは?

 学校英語でよくあるような問題も少しはあったのですが、あとは今までに見たことのないような問題ばかりでした。例えば、ある短編小説の最初の段落と最後の段落が書かれていて「その間をつなぐ物語を××ワード以内で書きなさい」というようなもの。想像力をかき立てる、挑戦したくなるような問題が並んでいました。本気になって親を説得したら、地元の大学も受けるという条件付きで受験を許してくれました。「どうせ受からないだろう」と高をくくっていたのかもしれません。

――それで、見事合格したのですね。

 はい。絶対にこの大学に行きたいと思ってからは、一生懸命勉強しました。ただし受験英語を勉強したのではなく、志望校の過去問題を片っ端から勉強しました。当時の東京外国語大学の過去問は受験英語とはまるで違ったので、むしろ楽しみました。その甲斐あってか無事合格し、母の援護もあって父を説得して上京することができました。

子育てとの両立を目指し、翻訳一本にキャリアを絞る

――憧れて入った大学の授業は、いかがでしたか?

 大学の授業の印象は、とにかく“本格的”ということでした。今と違ってインターネットのない時代、福岡から上京した18才の娘には、イギリス人教授が英語のみで授業をするだけで驚きでしたから。ただ楽しかったのは授業だけじゃなくて……。素晴らしい先生に、素晴らしい内容の授業で勉強し放題だったのですから、今にして思えばもっと頑張るべきだったんですよね。結局、サークル活動に熱中し、あっという間に4年が過ぎてしまいました。

――卒業後の進路については、どのように考えていましたか?

 私が卒業した頃は、まだ男女雇用機会均等法もありませんでしたから、女性は就職しても男性社員のアシスタントというのが一般的でした。私は自立して早く一人前になりたいと思っていたので、女性の先輩が入社して活躍している会社を選んで就職試験を受けました。武器となるのは、やはり語学力です。結局、自動車会社に就職が決まり、希望どおり海外広報を担当しました。

――外国語大学を卒業して、語学を生かして一般企業に就職。まだ、この段階では翻訳者になろうとは考えていなかったようですね。

 はい、この頃はまだ、翻訳の仕事はまったく頭にありませんでした。
 海外広報部では英語版広報誌の編集を任されました。記事の英訳とアートディレクションは外部の専門業者に委託していたので、私の仕事は、企画を立てて元になる日本語の記事を作ることと、業者から上がってきた誌面をチェックすることでした。
 国際会議の資料を英訳する仕事もありました。社内のネイティブとチームを組んで、まず私が英訳し、それをネイティブの方がチェックして書き直す、という流れです。それから、部長や副社長に頼まれてレターや資料の英訳をすることも多かったです。
 仕事には、やりがいを感じていました。結婚して子どもができて、それでも働き続けたいと思っていたのですが、実は妊娠初期に状態がよくなくて、お医者さまから「子どもは諦めた方がいい」と言われてしまったんです。結果的には無事に生まれましたが、そのときに会社を辞めました。それから数年後に翻訳の仕事を始めることになるのですが、もしこの出来事がなかったら、翻訳者にはならずにずっと会社で働き続けていたと思います。

――そうですか、人生どう転ぶかわかりませんね。会社を辞め、出産を経て、それからどうしましたか?

 5年くらいは専業主婦で、家事と子育てに専念しました。でも、仕事をしたいという気持ちはずっとあったので、上の子が5才、下の子が2才になったとき、知人に誘われて英語専門学校の講師の仕事を始めました。それからしばらくして東京から神奈川に引っ越すことになり、子育てとの両立を考えると、やはりフリーランスでできる翻訳や通訳の仕事がいいなと思って、徐々にそちらの仕事にシフトしていきました。

――翻訳と通訳、最初は両方やっていたのですね。

 はい、そうです。通訳は英語講師として働きながら、専門学校に通ってスキルを身につけました。最初に受けた仕事が、ソフトウエア開発会社からの依頼で、取引先のアテンド通訳でした。その会社にわりと気に入っていただいて、その後も頻繁にお仕事をいただきました。
 翻訳のほうは、求人情報を見たり、「アメリア」で仕事情報をチェックして、日英・英日ともに、いくつか翻訳会社のトライアルを受けました。自動車会社での実務や翻訳の経験が役立ったのか、わりとすぐに合格してお仕事をいただけるようになりました。
 英語講師の仕事をしていた頃に通訳の仕事を始め、引っ越して講師を辞めてから翻訳の仕事を始めて、最初の頃は通訳と翻訳、半々くらいの割合でやっていました。翻訳を始めたのは1995年くらいだったと思います。

――通訳と翻訳、どちらかに絞らず両方やっていたのは、どうしてですか?

 通訳は拘束時間が長いので、子育てとの兼ね合いを考えると、家でできる翻訳の仕事も入れたほうがスケジュールを組みやすかったからです。でも、その後は少しずつ翻訳にシフトしていきました。講師をしていた頃は学童保育や友人宅に子どもを預けていましたが、引っ越した先ではそれができなくなったので、家にいて子どもとちゃんと向き合える時間を作りたいと思ったんです。それで徐々に、通訳よりも翻訳に重きを置くようになっていきました。

――翻訳ではどのような内容の仕事を受けていたのですか?

 最初の頃は得意分野と呼べるものがなかったので、会社案内やカタログなど一般的なビジネス文書の依頼が多かったです。自動車分野は多少の専門知識があったので、一応アピールはしましたが、トライアルになると自動車以外も含めた「機械」になってしまい、それはあまり自信がなかったので……。
 そのうちTradosという翻訳支援ソフトが日本に入ってきたのを知り、販売元が開いた講習会に参加しました。当時としてはかなり高額なソフトでしたが、「これはきっと仕事に役立つだろう」、そして何よりも「このソフトは面白そう!」と思ったので、購入を決めました。ちょうど、ITバブルの真っ只中で、次から次へと仕事が来て、経験と実績を積んで専門分野と呼べるようになりました。


文系出身にもかかわらず、ITを専門分野にしてしまった田中さん。どのようにしてITの専門知識を身につけたのでしょうか? さらに後編では、機械翻訳、ISO17100など、翻訳業界で気になるキーワードについてもお話を伺います。お楽しみに。

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田中千鶴香<たなかちづか>

東京外国語大学英米語学科を卒業後、自動車メーカーの海外広報部で英語版広報誌の編集にたずさわる。退職し、5年ほど育児に専念した後に、英語専門学校の講師を経て、1995年よりフリーランス翻訳者・通訳者となる。IT系企業の通訳を多くこなし専門知識を身につけたことから、翻訳でも次第にITを専門分野にしていく。その後、翻訳専業となり、IT技術翻訳者として現在に至る。日本翻訳連盟(JTF)理事、標準スタイルガイド検討委員長。

<関連リンク>
田中さんのHP
「日本翻訳連盟」

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