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トラマガ

Vol.366 <前編>出版翻訳家 杉田七重さん × 西村書店 編集 植村志保理さん

新訳『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』が
教えてくれた、翻訳のさらなる可能性。

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(2016年4月5日更新)
あの不朽の名作『不思議の国のアリス』刊行から150年を迎えた2015年。国際アンデルセン賞を受賞した絵本画家ロバート・イングペンの精緻な挿絵と、翻訳家・杉田七重さんによる読みやすい訳で、新たな『不思議の国のアリス』そして『鏡の国のアリス』が誕生しました。数多くの詩と言葉あそびで飾られた原文を、どのようにひもといて日本語として綴り直したのでしょうか。その訳業を二人三脚で成し遂げた翻訳者・杉田さんと株式会社西村書店の編集者・植村さんに、たっぷりとお話を伺いました。

大人にもよろこんでもらえる新訳・愛蔵版『不思議の国のアリス』を!

――まずは編集ご担当の植村さんにお尋ねします。『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』翻訳出版の経緯をお聞かせください。

植村:西村書店では、児童文学の古典の名作を美しい絵とともにご紹介しようという取り組みを続けておりまして、『赤毛のアン』『秘密の花園』などの新訳を翻訳出版してまいりました。そんななか出会ったのが、ロバート・イングペンさんというオーストラリアの挿絵画家が新たに挿絵を描きおこして2009年に発行された新装絵本“Alice’s Adventures In Wonderland”でした。小社にはすでに他の画家による『不思議の国のアリス』もあったのですが、この作品の初版の発行は1865年ですから、2015年には150周年を迎えます。イングペンさんは『鏡の国のアリス』の方も描いていて、ちょうどいいタイミングでもありましたので、2015年中に新訳をぜひ翻訳出版したいと企画しました。

――本を拝見しましたが、イングペンさんの挿絵は美しい絵画のようで、本当に魅力的ですね。

植村:1986年に国際アンデルセン賞を受賞されている世界的に有名な画家です。イングペンさんの描く絵は、リアリティがあって、しかもユーモラスで、とても魅力的なんです。アリスの絵本は他にもたくさん出ていますが、このイングペンさんの素敵な絵とそれに合う新訳で新たなアリスをお届けしたいというのが弊社の願いでした。

――そこで翻訳者として植村さんが選んだのが、杉田七重さんだったのですね。

植村:はい。杉田さんには以前、私が編集を担当した本の翻訳をお願いして、一緒に仕事をしたことがありました。
 

杉田:植村さんとは、知り合いの編集者さんの紹介でお目にかかったのですが、初めて伺った際にご挨拶がてらシノプシスを持って行ったんです。その本を気に入って版権取得に動いてくださったのですが、残念ながらすでに他社に押さえられてしまっていて……。それからしばらくして植村さんから、私が持って行った作品とテイストが似ている作品があるので翻訳してみませんか、と声をかけてくださって。そうしてできあがったのが『バンヤンの木 ぼくと父さんの嘘』でした。
 

植村:杉田さんは感動的な作品から児童書のコメディーまで幅広く訳されていて、文章も読みやすくて明快でしたので、ぜひ一緒にお仕事したいと思って声をかけました。実際に仕事をしてみると、私がしつこく何度も質問したところにも、杉田さんはこちらが考えている以上に深く考え、練り直して代案を提示するなど、最後まで気持ちよく対応してくださいました。
このアリスという作品は言葉あそびや詩が多く、おそらく翻訳者さんとのやりとりも頻繁になるだろうと予想できました。そのため、やりとりがスムーズな方で、そして何よりもこちらの考えをくみ取って、それに応えてくださる方でなければならないと考え、今までの仕事を振り返って、杉田さんだったら応えてくださるんじゃないかと思いお願いしました。

――翻訳の依頼を受けたときの杉田さんのお気持ちは?

杉田:最初のお仕事をしてから、しばらく時間が経っていたので、ご連絡をいただいたときはびっくりしました。それが、あの有名な『不思議の国のアリス』の新訳のお話で、さらにびっくり! 「私でいいの!?」と思いつつも、「絶対にやりたい!」と思いましたね。

――具体的に、翻訳はどのように進められたのですか?

植村:この本を翻訳出版することが決まって、社内でもいろいろと話し合いました。その結果、絵本ではありますが、子ども向けに平易にわかりやすくすることはあまり意識せずに、大人の読者にもよろこんでもらえる読み応えのあるものにしよう、ということで方針がかたまりました。
杉田さんに翻訳をお引き受けいただいて、最初に打ち合わせをしたのが2014年7月です。出版社としての方針をお話しして、まず秋くらいに第1章の翻訳を見せてくださいとお願いしました。
 

杉田:そこまではわりとスムーズに進みましたよね。
 

植村:そうですね。第1章を読んだ感じでは、「である調」でシャープな印象だし、スピード感があってどんどん読み進められると思いました。 若干少年っぽい感じで訳されていて、表紙に描かれた走っているアリスとも雰囲気が合っている気がしたので、この調子で進めてくださいとお願いしました。それで、『不思議の国のアリス』の残りと『鏡の国のアリス』の全部を、年が明けて1月には見せてくださいね、と約束しました。
 

杉田:でも、それからが大変でした。まず『不思議の国のアリス』の第2章以降すべてを訳しましたが、これにものすごく時間が掛かってしまったのです。次々と出てくるダジャレや言葉あそびを日本語でどう表現するか考えはじめると、あっという間に時間が過ぎてしまって……。『鏡の国のアリス』に取りかかったころには、明らかに残り時間が足りないとわかって焦りました。しかも『鏡の国〜』のほうがさらに輪をかけて難しく、言葉あそびもよりいっそう理屈っぽくなっていったんです。
それでも、とりあえず締切だけは死守しようと最後まで訳したのですが、完全な息切れ状態で、植村さんには「杉田さん、『鏡の国〜』のほうは疲れてましたね」って言われてしまいました(苦笑)。

――植村さんは、どのあたりで見抜いたんですか?

植村:そうですね。例えば、例えば、何人も登場人物がいるのに、語調が似てきてしまって、キャラクターの違いが感じられなくなってしまうかな、と思いましたね。 それで、ここから先は1冊ずつきちんと仕上げていこうということになって、まずは『不思議の国〜』の校正に入りました。初校ゲラに私が鉛筆を入れて杉田さんに直してもらい、再校ゲラも同じようにやりとりして、結局、三校までしっかり見てもらいました。
訳者さんにあまり負担をかけたくないので、通常、見てもらうのは再校ゲラまでを心がけていますが、今回に限っては、それでは無理でしたね。三校もすべて杉田さんに見てもらい、その後も細かいところをいくつかご相談して、ようやく2015年10月に発行することができました。
『鏡の国〜』のほうは『不思議の国〜』が三校に進んだあたりから見直しを始めて急ピッチで進めて、何とか年内の12月の発行にこぎつけました。

英語の言葉あそびを日本語にするという不可能を可能に!

――この本の翻訳は、どのあたりがいちばん難しかったですか?

杉田:作中に詩がたくさん出てくるのですが、acrostic(折句)といって、詩の各行の頭の文字だけをつなげると言葉になる、という言葉あそびが盛り込まれていたんです。『鏡の国〜』の最後に出てくる詩がそれで、原文では行頭のアルファベットをつなげると“ALICE PLEASANCE LIDDELL”というアリスのフルネームになるんです。これを、どう日本語にすればいいのか、本当に悩みました。日本語と英語の詩のリズムを維持しつつ情景や情趣を表現し、さらに行頭でアリスの名前を綴るなんて不可能です。だから私は、折句は無視して、普通に訳して植村さんにお渡ししました。
 

植村:最初はそうでしたね。確かに詩としては情景が浮かぶような美しい言葉で訳されていて、満足のいくものだったのですが……。
 

杉田:そう、植村さんも最初は「わかりました。日本語と英語とでは文の構造が違うから無理ですよね」と理解してくださって。ところが、再校ゲラを見てみたら、「やっぱり折句にしてみましょうか」って書き込みがあったんです。
そこからが大変でした。どうすれば原文の意味と言葉あそびの両方を盛り込めるのか、何度もやりとりして、案を出し合って……。あちらを立てればこちらが立たずで、本当に悩みました。いろいろいじりまわしていると、いつのまにか詩のリズムがくずれてくるのですが、これについては植村さんに随分助けていただきました。
 

植村:日本語訳のほうは、行頭のひらがなを拾って読むとある文章になるんです。どんな文章が出来上がったかはお楽しみなので、ここでは伏せておきますが。もちろん詩の内容のほうも、情趣豊かに訳されています。
 

杉田:出来上がったときは本当にうれしかったです。もし植村さんがゲラに書き込んだ、あの一言がなければ、いま本となって印刷されている、あの訳は生まれなかった。私がボクサーで、植村さんはセコンドですよね。倒れそうな私にタオルを投げるか、それとも「まだいける。もうちょっと頑張れ」と戦わせるか。今回、植村さんが「まだ力を出し切っていない。もうちょっとやってみようよ」と背中を押してくださったからこそ挑戦する勇気がわき、完成させることができたんです。自分の力を、もう一段引き上げてもらったな、という気がしています。

――この作品にはダジャレもたくさん出てくるようですね。

杉田:はい、もうダジャレの連続です。それも英語の言葉あそびだから直訳してもおもしろさは出ないので、日本語で同じおもしろさをどう出せるか、苦労しました。例えば、海の学校の先生の話で「先生は“Turtle”(ウミガメ)だったけど、“Tortoise”(リクガメ)と呼んでいた。なぜなら“taught us”(私たちに教えていた)だったから」というくだりがあります。ここを私は
 

「ウミガメなのにどうしてタツノオトシゴ?」アリスが聞いた。
「先生は教壇にタツノ・・・がオシゴト・・・・だから」
 

と訳しました。
 

植村:既訳を当たってみると、やっぱりカメに関する言葉で訳している方が多かったので、「タツノオトシゴでいいのかな?」とも思ったのですが、Tortoiseという単語そのものが重要なのではなく、先生だからこんなあだ名が付いたんだ、というところが大事で、「教壇にタツノがオシゴト」と「タツノオトシゴ」で日本の読者が読んだときに言葉あそびのおもしろさが原文と同じように伝わるのだから、これでいいと思いました。キャロルの原著を読んだ読者が笑える場面で、翻訳を読む読者も笑えるように、という杉田さんの熱意を実感した場面のひとつです。
 

杉田:私は最初、既訳書は一切読まず、自分のフィルターを通して自由に訳していました。そうすると何とかおもしろくしようとして、自分でも気づかないうちに原文を離れすぎてしまうきらいがありました。その点、植村さんは有名な既訳を一通り見ていらして、原文とも照合してくださる。私が行き過ぎたときはストップをかけてくれるので、安心してのびのびと訳すことができました。

――編集するうえで難しかったところもありますか?

植村:そうですね、この本は絵本といっても192ページあって、全編にわたりイラストが入っているので、イラストに合うように訳文を配置しなければなりませんでした。英語から日本語に訳すと文字量が多くなる傾向にあるので、文意を変えずにいかに言い回しなどを工夫して文字量を少なくするか、というところに苦労しました。
 

杉田:レイアウトは植村さんにお任せしていて、私が最初に訳すときは文字量は考えていないので、訳文を実際にイラストにはめ込んでみると、文字がイラストにかぶってしまったり、ネズミが会話しているイラストなのに、そのネズミの会話文はページをめくったあとに出てきたりと、いろいろと修正しなければならないところがありました。
 

植村:でも杉田さんは、そんなに大きな直しは必要ない文字量に最初から仕上げてくださったので、さすがだなと思いました。微調整はいろいろとありましたけど、楽しかったですよ。「ここ、あと1行減らさないと、ネズミの頭が文字で隠れてしまう」みたいな。
 

杉田:そうそう。そんなとき植村さんは、ただ単に「ここを1行減らしてください」ではなく「例えば、ここをこう言い換えれば文字数を減らせますが」と代案まで提示してくれたので、本当に助かりました。


本というのは、まさに編集者と翻訳者の共同作業なんですね。この仕事をやり終えたことで、翻訳者としてもっと研究し、もっと粘れば、もっと良い訳ができる、そんな自信がわいてきたという杉田さん。後編では、さかのぼって杉田さんがどのようにして翻訳者になったのか、お話を伺いました。ご自身が実践した勉強法も教えていただきました。お楽しみに!


杉田先生が講師を務める講座

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<すぎたななえ>

1963年、東京都生まれ。東京学芸大学卒業。小学校の教諭として10年間勤めた後、翻訳家に。主な訳書に『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(西村書店)、『霧のなかの白い犬』(あかね書房)、『王宮のトラと闘技場のトラ』(さ・え・ら書房)、『手紙 その消えゆく世界をたどる旅』(柏書房)、『炎と茨の王女』シリーズ(東京創元社)『ソハの地下水道』(集英社)、『石を積む人』(求龍堂)『小公女セーラ』『小公子セドリック』『クリスマス・キャロル』(角川書店)などがある。

<うえむらしほり>

株式会社西村書店 総合企画部・編集。


<杉田さんの主な翻訳作品>


『霧のなかの白い犬』(あかね書房)


『最後の1分』 (東京創元社)


『ゾウと旅した戦争の冬』(徳間書店)


『発電所のねむるまち』(あかね書房)


『ハティのはてしない空』(鈴木出版)

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