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トラマガ

Vol.368 <前編>オペラ翻訳家 三浦真弓さん

オペラにおける“歌う翻訳”とは、
歌に込められたドラマを表現すること

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(2016年5月6日更新)
ヨーロッパを起源とし、イタリア語、ドイツ語、フランス語、などで演じられるオペラ・オペレッタ。三浦真弓さんは、その歌詞やセリフを日本語に翻訳するオペラ翻訳家です。観客としてオペラに魅了され、学生時代にはアルバイトで舞台の裏方仕事を経験。オペラをさらに深く理解したいと三大主要言語を習得したことで翻訳を依頼されるようになったそうです。オペラには“読む翻訳”と“歌う翻訳”があるのだとか。それでは、華やかで壮大なオペラの舞台を支える翻訳という仕事をご紹介いただきましょう。

原語のオペラを深く感じるために、母国語を媒介にする

――三浦さんはオペラを専門に翻訳なさっているそうですね。

私自身は、自分を“歌う翻訳”の専門家、つまり「オペラ・オペレッタ訳詞家」だと考えています。でも訳詞作成のためには、まず“読む翻訳”(=台本の対訳や関連資料の翻訳)をしなくてはなりませんので、「オペラ・オペレッタ翻訳家」でもあります。これらすべてをオペラの翻訳と考えて、1つの作品の全幕の翻訳はもちろん、どの部分・どの組み合わせの翻訳のご依頼でもお受けしています。

――“歌う翻訳”と“読む翻訳”ですか。もう少し具体的に説明していただけますか?

はい。劇場公演のパンフレットやCDのリーフレットの中に、原語の歌詞と日本語の対訳が付いていることがありますよね。それは、実際に音楽に乗せて歌う歌詞とは違います。歌うためではなく、原語の歌詞の内容を知るための翻訳、それが“読む翻訳”です。“読む翻訳”はパンフレットなどに載せるために依頼されることもありますが、“歌う翻訳”をするために自分にとって必要だから“読む翻訳”をするということもあります。
人によってやり方はいろいろあると思いますが、私の場合、“歌う翻訳”は、必ず“読む翻訳”の段階を踏まないとできないんです。私自身、英語圏に住んで20年近くなり、いわゆる「生活言語」としては英語情報を英語のまま処理できるようになりましたが、「オペラを原語で聴く・読む」のは、文学作品を味わい、抽象的な思考をする「学習言語」の次元。母国語である日本語で自分の中に一度落としこんでから原語に戻らないと「本当にわかった気がしない」のです。でも、ここをしっかりやれば、驚くほど「わかった気がする」ところへ行けます。
これを私は「ヨコの感動をタテにする」と呼んでいますが、「タテにする(日本語に翻訳する)」のはあくまで迂回路にすぎず、最終目的は翻訳という橋を通って向こう岸へ渡り、オリジナルの「ヨコの感動」を味わえるようになることです。

――なるほど、オペラという芸術を深く味わうために、まずは母国語で理解するということですね。日本では、オペラは原語のまま上演されることも多いと思いますが、どのような上演形態がありますか?

大きく分けて3種類あると思います。外国語のオペラを原語のまま歌うオペラと、それを日本語に訳して歌うオペラ(訳詞上演)、それから歌のみ原語でセリフは日本語という折衷上演もあります。
日本で上演されるオペラは、ほとんどの場合、原語での上演です。「オペラを聴きに行く」というと、オリジナル原語で歌われる舞台を想像される方が多いのではないでしょうか。
私がかかわっている訳詞上演は、聞き手にとって、どちらかといえば入門的な位置づけになると思います。近年は字幕付きの公演も増えていますが、字幕を読むために舞台から視線がそれることになります。歌詞とセリフが日本語であれば舞台から目をそらさずに内容が理解できる。リアルタイムに舞台で起こっていることを楽しむことができるんです。
それからもうひとつ、訳詞上演は歌い手にとっても感情移入がしやすいというメリットがあります。母国語は言葉の通りに感情を込めて歌えますので、人物や物語への共感が深まり、いずれオリジナル原語で歌う際の参考にもなります。
オペラファンの方々からは「訳詞上演は邪道だ。オペラはオリジナルの原語で楽しむべき」という意見もおありだと思います。私もオペラファンの一人として、そのお気持ちはよくわかります。言葉がわからなくても、音楽のすばらしさを味わい、演技や舞台効果などからドラマを感じ取るという楽しみ方もありますし。でも、やはり刻々に歌われていく言葉がわかると、ドラマがより立体的になり、もう一つ先の次元のすばらしさに触れられるというのが私の実感です。訳詞上演は、そのための橋渡しですね。
ですから、訳詞上演は、原語のオリジナル作品を理解するためのアプローチの一つ、と前向きにとらえて気軽に体験していただきたいですし、こうした日本語の助けを利用することで、原語作品をより深く楽しんでいただけたらと思っています。

訳詞で再現したいのは、聞き手が受け取る「感情」や「映像」

――オペラの翻訳の仕事は、どういうところから依頼されるのですか?

発注元は、オペラ上演団体、コンサートを主催する劇場や演奏家が所属するマネジメント会社、そして歌手個人など、さまざまです。個人的な勉強資料としてご依頼いただくこともありますが、ほとんどの場合は、演奏会での「演奏」や「配布物」として発表されることを前提とした作品・原稿です。
“読む翻訳”(対訳・翻訳)については作業代として原稿料をいただき、“歌う翻訳”(訳詞作品)の場合はJASRAC(日本音楽著作権協会)経由で使用料金の分配を受け取る、という仕組みです。

――1つの作品を訳す流れを教えてください。

まず、訳そうとする作品に関する資料をできる限り入手して勉強することから始めます。事典・研究書・雑誌・ネット記事・CD やDVDなどの音源・映像および付属の解説・対訳など、読むもの・聴くもの・観るもの何でも。日本語資料があればもちろん便利でありがたいですが、それがないからこそ私が翻訳を依頼されているという場合も多いので、自分で読める英・伊・独・仏語のどの資料でも利用します。
作品研究と並行して「台本翻訳」をします。長大なオペラ全幕でも、数分間の単独曲でも、歌というものは一つのストーリーとして「筋が通る」ことが大事なので、登場人物の一貫性や筋書きの整合性に神経を使います。オペラは、私たちのいる「21世紀の日本」からみれば遠い時代・遠くの国の物語、ときには架空の場所を舞台とすることもあるので、単語の意味だけでなく、風俗や道具が当時持っていた意味、それらが物語のその箇所で使われた意図、といった背景を理解しなくてはなりません。宗教的な儀式や、王族・貴族の位階や身ぶり、またト書きで指定された舞台や衣装の色・人物配置を図像学(イコノグラフィー)的に読み解きます。
オペラ特有の事情としては、イタリアを舞台にフランス人とイタリア人がフランス語で歌うなど、国も時代も入り乱れていることも多く、そのどれが作品にとって本質的な要素なのか、それとも、単にフィクションとしての作り事なのか、を見極めることも必要です。

――訳詞に入るまでに、かなり調べなければならないのですね。

そうなんです。ここまで出来るかぎり研究して、ようやく「訳詞作成」に移ります。台本を丸ごと自分の中に取り込まずに、部分的な理解に基づいて訳詞を決定するのは危険だからです。
どの作品も、最初の一語を確定するまでは、「こんな歌、絶対に日本語になりっこない」と頭を抱えて七転八倒します。でも、どこか1フレーズでも「これでいける」と確信できる日本語が見つかれば、80%くらい出来たも同然です。
そもそも外国語にあてて作曲された音楽に、文法も単語も違う日本語を当て直すということ自体に無理があるのですが、「歌われるに値する人間的な心情」はいつの時代・どこの国の人であれ人類共通だと信じて、その同じ心情を現代日本人の心に引き起こせるような日本語表現を探します。
“読む翻訳”(台本翻訳)ではなるべく多くの要素を正確に「残す」ように努めますが、“歌う翻訳”(訳詞作成)ではたった一つのストーリーラインを紡ぐために他を「捨て」なくてはなりません。また、音符の数も、音楽の流れも、オリジナル原語に合わせて決まっているので、そこに逐語訳の日本語を当てはめても滑稽な歌になるだけです。訳詞において再現したいのは、原詞に含まれる一つ一つの言葉ではなく、それらの言葉のつらなりによって喚起される「感情」や「映像」、つまり歌が聞き手に及ぼす「効果」なので、原詞でも訳詞でも「そのフレーズを同じ表情で歌える」という地点を目指しています。

――三浦さんは長らく米国在住だということですが、オペラを翻訳するうえで影響はありますか?

私は、オペラ翻訳を始めた3年後、夫の米国長期出張に伴って渡米しました。当初は1年間の滞在予定でしたが、それが延び、今年で米国在住18年となります。オペラを翻訳するうえで、米国在住であることのメリットは大きいです。というのも、アメリカはオペラ資料の宝庫なんです。
オペラ作品そのものの主要言語は伊・独・仏語を中心とするヨーロッパ言語ですが、オペラに関する資料(対訳・研究論文・事典など)においては国際語である英語が圧倒的で、あらゆる資料が英語に訳され、英語で書かれて揃っているんです。オペラの楽譜も、アメリカでは公立図書館から無料で借り出せたり、地元の音楽大学の図書館で閲覧することができます。珍しいオペレッタの楽譜・資料は、パフォーミングアーツ専門の図書館であるニューヨーク市立図書館の別館まで調査に行くこともできます。

――これまでに翻訳したなかで、特に印象に残っている作品は何ですか?

まず1つは、イタリアオペラで初めて訳した作品、ヴェルディ《仮面舞踏会》(1999年発表)です。この傑作を訳すために、イタリア語を必死で追い上げ勉強しました。
また、憧れのフランス語オペラ、グノー《ファウスト》(2009年発表)に取り組んだ年も忘れられません。ゲーテ『ファウスト』を原作とする壮大なテーマ、オペラとしても非常な大作であり、あまりに美しい音楽で個人的にも好きすぎて、これを訳すには技術的にまだまだだと怖じ気づきましたが、体力も気力も充実した30代のうちに取り組んでおいて本当によかったと今は思っています。オペラ全幕の新訳に取り組むには非常にエネルギーが必要ですので。



オペラの魅力にとりつかれ、オペラ翻訳という道を独自に切り拓いてきた三浦さん。後編では、三浦さんがどのようにしてオペラ翻訳をするようになったのか、歩んできた道についてお話しいただきました。お楽しみに。

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<みうらまゆみ>

早稲田大学第一文学部(哲学専修)卒、東京都立大学大学院人文科学研究科(哲学専攻)修士課程を2000年に修了。大学院在学中の1995年よりオペラの翻訳をはじめる。初めて訳したオペラ《ホフマン物語》(オッフェンバック作曲)はフランス語からの翻訳(共訳)だった。翌1996年にはドイツ語オペレッタ《伯爵令嬢マリツァ》(カールマン作曲)の全幕を訳す。また1999年にはイタリア語オペラ《仮面舞踏会》(ヴェルディ作曲)を訳し、オペラの三大主要言語である仏・独・伊すべての翻訳に携わる。ほぼ1年に1作のペースで全幕作品を翻訳し、単独曲の訳詞を多数発表するほか、演奏会評の執筆(日本語、英語)やオペラ関連記事の翻訳紹介なども手がける。

<関連リンク>
■公式ブログ:「オペラ・オペレッタ訳詞家の書斎」
■Twitterアカウント:@mayumiura


<主な翻訳作品>

オッフェンバック「ホフマン物語」(共訳)、ウェーバー「魔弾の射手」(以下全訳)、マイアベーア「悪魔のロベール」、ドニゼッティ「愛の妙薬」、ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」「仮面舞踏会」「運命の力」、グノー「ファウスト」、ビゼー「真珠採り」、オッフェンバック「天国と地獄」「美しきエレーヌ」、ミレッカー「乞食学生」、メサジェ「ヴェロニック」、カールマン「伯爵令嬢マリツァ」「シカゴ大公令嬢」(日本初演)「モンマルトルのすみれ」(日本初演)、J.シュトラウス二世「王子メトゥザレム」(日本初演)、J.シュトラウス二世=E.コルンゴルト編曲「こうもり」(編曲版日本初演)他。



「オペレッタアリア名曲集 ソプラノ/メゾソプラノ -ドイツ語作品編-」(田辺とおる編/三浦真弓ほか 日本語歌詞 ドレミ楽譜出版社・2014年再版)
※全22曲中6曲の訳詞を提供



「イタリアオペラアリア名曲集 テノール」(フランコ・マウリッリ編/三浦真弓 対訳協力・ドレミ楽譜出版社・2005年)


<次回公演情報>

カールマン作曲
喜歌劇「マリツァ伯爵令嬢」
(日本語訳詞上演)

2016年9月11日(日)
練馬区立練馬文化センター大ホール

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