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トラマガ

Vol.380 <前編>出版翻訳家 中谷友紀子さん

原書の面白さをつかみ、レジュメで伝える
リーディングが翻訳者としての原点です

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(2016年11月4日更新)
『ゴーン・ガール』『マダム・マロリーと魔法のスパイス』など、映画化もされた話題の小説を翻訳している中谷友紀子さん。実は翻訳家になりたいと思い始めたのは社会人になってからだそうです。勉強をはじめて間もなく、立て続けにコンテストに入賞して喜んだのも束の間、そこからが長い道のりでした。修業時代にこなしたリーディングの数は100冊以上。でも、その努力の積み重ねが翻訳家になった今を支えていると中谷さんは言います。それではまず、翻訳家になるまでの道のりからお話を伺いましょう。

訳文のパワーに圧倒され、翻訳家を目指すことに

――翻訳家になろうと思ったのは社会人になってからということですが、その前から翻訳書には親しんでいたのでしょうか?

外国の物語は子どものころからよく読んでいました。とくに記憶に残っているのは、『シャーロック・ホームズの冒険』と『長くつ下のピッピ』です。「まだらの紐」が怖くて眠れなくなったり、ピッピの登場シーンで笑いころげたりしたことをよく覚えています。いまも、どんな本が好きかと考えると、ミステリと笑える話ばかりなので、まるで変わっていないなという感じですね。クレイグ・ライスのマローン・シリーズはとくにお気に入りです。
ふりかえってみると、翻訳作品は、毎日の生活のなかで閉塞感というか、息苦しさをおぼえたりしたとき、とくに熱中して読んできたような気がします。本を開けば、そこにはちがう風景や、ちがう常識・価値観があたりまえのように広がっていて、自由な気持ちになれるというか。逆に、はるか遠い世界なのに、似たようなことで人が悩んでいたりして、なんだかほっとすることもありますね。

――英語についてはいかがでしょう。いつごろから興味がありましたか?

中学1年のとき、父の仕事で3か月間アメリカに家族で住む機会があって、そのとき親しくしていた方から、おすすめの本をプレゼントしてもらったんです。ジョン・D・フィッツジェラルドの“The Great Brain(邦題『トムのあだなは大頭脳』)”という児童文学のシリーズでした。でも、帰国してから読んでみようと思ったら、完全にちんぷんかんぷんで、一瞬で挫折してしまいました。
そのままずっとほったらかしだったんですが、高校生になって、ふと思いだして読んでみたら、すごく面白かったんです。いつのまにか、語彙も読む力もある程度はついていたのか、英語で書かれているのに、“読解する”という感じではなく、物語がするすると頭に入ってきて。その感覚がとても新鮮で心地よかったのを覚えています。子ども向けのやさしい言葉で書かれていたのがよかったんでしょうね。英語が読める楽しさを知ったのは、そのときのような気がします。でも、その面白さを日本語にするのが至難の業だということは、当時はぜんぜんわかっていませんでした。

――学生時代に翻訳の仕事に目覚めることなく、卒業後は別の道に進まれたんですね。

はい。大学では政治学を専攻して、卒業後は新聞社に入社しました。といっても、漠然と異文化交流にかかわる仕事がしたいと思っていたので、編集局ではなくて、文化イベントの企画・運営をする事業部門を希望したんです。結局、配属されたのは広告局だったのですが、そこで校正・校閲の基本を教わりました。新聞社と出版社では、校正記号や用語がちがう部分もあるのですが、大体のところは共通しているので、ありがたいことに、いまその経験がとても役に立っています。

――その後、どういうきっかけで翻訳をしたいと思うようになったのですか?

働いて2年が過ぎたころ、広告の仕事が向いていない気がしてきました。なんとなく行き詰まりを感じるようになり、笑えるミステリが無性に読みたくてあれこれ探すうち、のちに師匠となる田村義進先生が訳されたウォーレン・マーフィーの『二日酔いのバラード』と、浅羽莢子さん訳のジル・チャーチル『ゴミと罰』に出会ったんです。それはもう、面白かったです。訳文から、読者を楽しませよう、笑わせようとする気持ちがこれでもかというほど伝わってきて。翻訳ってすごい、自分もこんなことができたら、と思うようになりました。

――それでご自身でも翻訳家を目指そうと決めたのですね。そこからどんなアプローチを始めたのでしょうか?

まずは働きながら通信講座を修了しました。期間は1年ぐらいで、出版翻訳のコースだったと思います。当時は課題を答案用紙に手書きして、郵送で提出していましたね。それから、退職後に大阪で出版翻訳の通学講座にも1年通いました。通信講座では基礎が身につき、通学講座ではより実践的なテクニックを学べたと思います。通学してとくによかったのは、大勢のクラスメートの訳と比べることで、自分の訳の欠点がよりはっきりわかったことですね。
勉強をはじめて、翻訳の世界は思っていたよりずっと奥深いなと気づきました。答えはひとつじゃないし、100%完璧な訳だってない。ゴールへの最短コースみたいなものも、たぶんないですよね。でもそこが面白いから、飽きっぽいわたしでも、投げだしてしまわないで続けられたんだと思います。
翻訳の勉強と同時に、とにかく読解力をつけようと、原書をなるべくたくさん読むようにもしました。勉強だと思うと、また一瞬で挫折する自信があったので、純粋に自分の好きなジャンルのものを選ぶことにしました。まずは何回読んでも面白いクリスティからはじめて、そのあとコージー・ミステリやウィメンズ・フィクションを続けて読みました。ノルマはとくに決めていませんでしたが、合わないと思った本は途中でやめて、とにかく速くたくさん読むことを目標にしました。気に入ったものは、いくつかレジュメも書いてみましたね。20冊くらい読んだころから、長文を読むストレスがなくなってきて、物語に没頭できるようになったような気がします。

100冊以上のリーディングで力をつけ、大きなチャンスを!

――翻訳の勉強をはじめて間もなく、コンテストに入賞されたそうですね。

はい。翻訳者ネットワーク「アメリア」の新人翻訳家コンテストでは2回優秀賞をいただきました。それから、他社の翻訳新人賞で優秀賞をいただいたときは、特典として短篇集『アメリカミステリ傑作選2000』の訳者のひとりに加えてもらいました。各自、数篇ずつを担当して、個別に編集者の方とゲラのやりとりをするという形でした。ウェストレイク「お持ち帰り」、カミンスキー「ミリアムを探せ」など、一流作家の作品をいきなり訳すことができて、興奮しましたね。とくにウェストレイクはコミカルな作品だったので、楽しい訳にするぞ、とはりきっていました。いま読みかえすと、必死な感じがばればれで、恥ずかしいですが……。

――順調な滑り出しだったのですね。

そうですね、勉強をはじめてわりとすぐに入賞できたので、当時は、けっこう早くものになるかも、なんて甘いことを考えていた気がします。でも、そこからが長かったですね。リーディングの仕事はずっと続けていて、ミステリを中心にエンタテインメント作品をたくさん読みましたが、訳書刊行にはなかなかつながりませんでした。いま思うと、通学講座を終えたあとの数年間は、目指すべき方向がわからなくなって、少しモチベーションも落ちてしまっていたような気がします。
やる気が復活するきっかけになったのは、田村先生を講師に招いた勉強会に参加するようになったことです。勉強をはじめて8年後、2002年ごろだったと思います。通学講座修了後は細々と独学をつづけるしかなく、不安だったので、募集を知ってすぐに応募しました。
勉強会は自主運営ということもあって、いい意味で仲間同士の気楽さがあり、最初から発言しやすい雰囲気でした。年に6~8回、1回3時間だけのクラスだったので、受け身でいるともったいないですから。気がねなく意見を言ったり質問できたりする環境は、とてもありがたかったです。
勉強会でやる気を取り戻したおかげか、アメリアのトライアルに合格して、2003年に初の単独訳書の『うまくいく室内のカラー計画』(産調出版、現ガイアブックス)を出すことができました。そのあと、『妖怪バイブル』『イングリッシュローズ図鑑』など、図鑑や事典、ビジュアル本の訳書が産調出版から数冊出て、本をまるごと1冊訳すのにも、少しずつ慣れていきました。

――仕事をするようになったいま、勉強会で学んだことで役立っていると思うことは何ですか?

田村先生の訳はシャープかつしなやかで、とにかくしびれるのですが、勉強会で教わってみると、その訳を生みだすために驚くほど丁寧に手がかけられていることがわかりました。その細やかさに圧倒されましたね。それと同時に、先生は、作品全体のテーマや流れに沿った訳をつけることをいつも意識しなさいとおっしゃいます。でも最初の何年かは、誤訳がないかとか、先生と同じ訳語を選べたかといった単語レベルでの細かな点だけに注目して、一喜一憂していた気がします。それが精いっぱいだったんですね。実際に1冊の本を仕事で訳すようになって、つねに全体を見渡す目を持って訳すことの大切さを、ようやく理解できたように感じています。

――はじめは、目指していた出版翻訳以外でも、仕事の機会があれば受けていたそうですね。

最初に受けた翻訳関連の仕事は、機械翻訳の後編集でした。そのあと、短期間ですが、コンピュータのマニュアルなどの翻訳をしていたこともあります。2009年から数年のあいだは、BBCワールドニュースの日本語サイトに掲載される記事やコラムの翻訳もしていました。すべてアメリアのトライアルを受けて、仕事につながったものです。とくに記事の翻訳は、アフリカの飢餓やソマリアの海賊問題といった硬派な国際ニュースから、イギリスのロイヤルウェディングなどの時事ネタ、人気タレントのインタビューなど、毎回さまざまなトピックを扱うので、楽しかったですね。あれこれ調べ物をしたり、内容によってふさわしい文体を考えたりしたことが、いま役立っていると思います。

――勉強会に参加しはじめて数年後に、大きなチャンスが訪れたそうですね。

はい。田村先生より、版権エージェントをご紹介いただいたのですが、そのご縁でリーディングをしたギリアン・フリンの第2作『冥闇』(小学館)が、ラッキーにも翻訳者としての長篇デビュー作になりました。そのエージェントからのご依頼でリーディングの仕事をいただいてレジュメを書いた3つ目の作品だったと思います。夢だった長篇の翻訳、しかもいちばん好きなミステリ作品だったので、うれしさのあまり、しばらく現実とは思えず、ボーッとなっていましたね。

――これまでにリーディングは、かなりの数をこなしてきましたか?

リーディングの仕事は翻訳の勉強をはじめた当初からしていて、これまでに100冊以上のレジュメを書いたと思います。当時、大阪で開講していたアメリアのリーディング講座に参加して、そのあとリーダーとして何社かの出版社にご紹介いただいたのがはじまりでした。
レジュメを書くのは昔も今も大好きなんですが、最初のころに書いたものを読み返すと、われながら硬くてつまらないなと思いますね。形式を整えるほうに気を取られて、作品の面白さを語る熱さのようなものが十分に表現できていなかった気がします。ここ数年心がけているのは、「ひとつの物語として楽しめるような、メリハリのきいたあらすじを書くこと」、それから「感想の書き出しには、なるべくインパクトのある表現や、いちばんアピールしたい内容を持ってくること」です。
だんだんと編集者の方の印象に残るレジュメが書けるようになってきたのか、最近はうれしいことに、翻訳の仕事につながるケースも出てきました。リンゼイ・J・パーマー『スキャンダラス 女たちの編集部』(早川書房)や、映画化もされたリチャード・C・モレイス『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(集英社)がそうです。『マダム・マロリー ~』は、以前、フランス南部に1年住んでいた経験をお伝えしていたのを、編集者の方が覚えていてくださって、フランスが舞台の料理人の話ということで読ませていただき、翻訳にもつながりました。料理の描写がすばらしくて、読んでいるだけでおなかが空いてきてしまう作品ですが、前にレシピ本を訳した経験も生かせたと思っています。
翻訳の勉強も、リーディングの仕事も、地道につづけてきて、ほんとうによかったです。レジュメを100冊以上書いてきて、このまま翻訳の仕事にはつながらないのかなと弱気になったときもありましたが、いまふりかえると、その積み重ねが生きたんだなと思えます。


たくさん原書を読み、リーディングの仕事は進んで引き受け、100冊以上のレジュメを書いてきたという中谷さん。そのころの地道な努力がいまにつながっているのですね。後半では中谷さんが翻訳で苦労した点、ジャンルによって気をつけている点などを伺いました。お楽しみに!

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<なかたにゆきこ>

神奈川県生まれ。京都大学法学部卒業。翻訳家の田村義進氏に師事する。ミステリ小説の翻訳を中心に手掛ける。主な訳書に『冥闇』『ゴーン・ガール』(小学館)、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(集英社)、「神々と戦士たち」シリーズ(あすなろ書房)などがある。現在は関西在住。

<主な翻訳作品>


『冥闇』(小学館)


『妖怪バイブル』(産調出版)


『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(集英社)


『神々と戦士たち』シリーズ 第1巻『青銅の短剣』(あすなろ書房)


『スキャンダラス 女たちの編集部』(早川書房)


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