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トラマガ

Vol.382 <前編>イタリア語翻訳家・ラジオDJ 野村雅夫さん

企画も翻訳も運営もすべて自前。
イタリア文化発信の源、その名は「京都ドーナッツクラブ」

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(2016年12月5日更新)
皆さんは「京都ドーナッツクラブ」をご存じですか? その名前からは想像つかないかもしれませんが、実はイタリア文化を日本に紹介する活動を行っているグループです。その主宰者であり、イタリア語翻訳家・ラジオDJでもある野村雅夫さんにお話を伺いました。イタリア人と日本人のハーフだという野村さんですが、幼少期より日本で育った根っからの日本人。そんな野村さんがなぜドーナッツクラブを作ったのか、結成から11年、どのようなイタリアの文化を紹介してきたのか、いろいろとお話を伺いました。

イタリアとの文化の架け橋、ドーナッツクラブを結成

――現在、イタリア文化を日本に紹介する活動をなさっているということですが、野村さんご自身、イタリア人とのハーフだそうですね。

はい。母がイタリア人で父が日本人、見た目はこのとおり洋風です(笑)。ただ、生まれてすぐ日本に来たので、18歳までイタリアとはほとんど関係なく、完全に日本人として育ちました。もともと英語は好きだったので、大学受験を迎え進路を決めるときに、海外のことを学びたいなと思い、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)を受験することに決めたのですが、このときも最初からイタリア語に決めていたわけではなくて、中東にも興味があったのでアラビア語やトルコ語もいいな、などといろいろと迷ったりして。でも結果的には、自分のルーツであるイタリアのことをあまりにも知らないなということに気づいて、イタリア語を学ぶことを選んだんです。ですからイタリアに深く興味を持つようになったのは大学に入ってからなんです。

――そうですか。もともとイタリア語が話せたわけではなく、スタートラインは他の学生と一緒だったんですね。

そうです。でも、「あいつハーフだからイタリア語できて当然だよな」ってきっと思われるだろうと最初はかなり気負っていて……。「やっぱりすごいな」と言わせてやる、いい点取ってやる、とけっこう頑張ってまじめに勉強したんですが、半年くらいしか続きませんでしたね。半年経ったら気負いもなくなって、あとはもうのんびり。みんなと同じくらいの頑張りで、文法のテストなんかはしょっちゅう平均点以下を取っていました。

――イタリア語やイタリアの文化を学び始めて、どのような発見がありましたか?

高校時代から世界史が好きだったので、イタリアだったら19世紀に起こったリソルジメント(イタリア統一運動)を勉強したいなと思っていたのですが、いろいろと知るうちにだんだんと興味の対象がイタリア映画に移っていきました。大学図書館の影響が大きかったような気がします。授業でイタリア語の本を読まされるようになって図書館によく通うようになり、その中にある映像ライブラリーに興味を持ったんです。当然のことながら学生証があればタダで見放題ですよね。よくわからないから選り好みせずに端から順番に見ていきました。市販のビデオもあれば、教授がイタリアで購入してきた日本未発売のものもあって、幅広く見ることができました。映画って、その国の、あるいはその地域の文化を知るのに、いちばん手っ取り早い方法ですよね。そもそも映画は好きだったので、そこから親近感を持つようになり、映画を通してイタリア文化全般にも興味が広がっていきました。

――その後、大学院生のときに現在も活動されている「ドーナッツクラブ」を作ったということですが、それは大学の図書館から始まっていたのですね。

そうですね。大学の図書館で大量にイタリアの本や映画に出会って、気づいたことがありました。手にする作品は1960年代や70年代、せいぜい80年代止まりの古いものばかり、新しい本が全然ないなと。イタリア文化の日本への紹介が減少してきていることを思い知らされました。じゃあ、今のイタリア文化は面白くないのかというと、そんなことはない。実際にイタリアに行ってみると映画も面白いものをたくさん公開しているし、書店にも新刊がいっぱい並んでいる。では、なぜ紹介されていないんだろう。まわりを見まわしてみると、イタリアに限らずフランスでもスペインでも、日本における非英語圏のカルチャーの需要と供給が減ってきているんじゃないだろうか。いや、今や英語ですら減ってきているぞと。
大手の映画配給会社や出版社がやらないのは、簡単にいうと儲からないからでしょう。であれば、自分たちで小さな会社を作ってやったらどうだろう。最初のうちは手弁当でもいいから、楽しみながら、大好きなイタリアの新しい文化を発掘して紹介していけるようなグループを作ろう、そんな気持ちでドーナッツクラブを結成したんです。

イタリア映画界の鬼才、シルヴァーノ・アゴスティとの出会い

――ドーナッツクラブではどのような活動をしたのですか?

ドーナッツクラブは大学の学園祭で上演する語劇のメンバーがベースになっています。日本でまだ誰もやっていない芝居を上演するんだと意気込んで、ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇を、台本を訳すところからすべて自分たちで手がけて上演したんです。世界的に有名な作家の作品すら興行されていない日本の演劇の現実をいぶかる気持ちもありましたが、日本初上演は誇らしいものがあり、学園祭の枠にとどまらずに、地域に飛び出していって市民会館で上演したりもしました。
この芝居の活動を広げることがドーナッツクラブ結成の目的のひとつでもあったんですが、結成後すぐに僕のイタリア留学が決まり、芝居の上演が難しくなってしまい……。僕と同時期にイタリアに留学しているメンバーが何人かいたので情報交換をしながら、とりあえずは映画でも演劇でも小説でも何でもいいから、日本で誰も知らないようなイタリアのお宝を発見するぞということで、ウェブサイトを立ち上げて、ブログを書いて、という地道な活動をしばらく続けていました。

――留学時代にイタリアで、何かお宝を見つけることはできましたか?

はい。後のドーナッツクラブの活動に大きく関わることになるシルヴァーノ・アゴスティという映画監督との出会いがありました。彼の映画は自主制作のいわゆるインディーですが、1960年代から長きにわたって活躍していて、フェリーニ、アントニオーニ、ベルトルッチなどイタリア映画の名だたる巨匠がリスペクトする人物なんです。にもかかわらず日本でまったく紹介されていなかった。
僕がローマに留学した2005年は、研究テーマにしていたパゾリーニという高名な映画監督の没後30年に当たる年で、イタリア各地でイベントが行われていました。ローマに住みはじめて間もなく、ちょうど命日の日に、記念に彼の映画を見に行こうと思いたち、足を運んだのが実はアゴスティが経営する、名画座のようなミニシアターだったんです。
パゾリーニに導かれ、ひとりの観客として訪れたのですが、なんだかすごく雰囲気のあるシアターで、壁にはいっぱい映画人のサインがあって、映画館なのになぜか本もたくさん売られていました。その中に後に僕の初の訳書となる『誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国』の原書もあって、著者名を見ると多くがシルヴァーノ・アゴスティという人物で、チケット売り場のお兄さんに聞いたら、アゴスティは映画監督であり作家でもあること、このシアターを経営していることなど、いろいろと教えてくれたんです。さらに毎週月曜日にはシアターにやってきて、映画好きの若者たちが彼としゃべりたくて集まってくるのだということを知りました。

――それで、月曜日に野村さんもアゴスティさんに会いに出かけていったのでしょうか?

はい、そうです。まず小説を読んでみたのですが、なかなか面白くて、さっそく冒頭のくだりを日本語に翻訳し、それを縦書きに印刷したものを持って行きました。映画好きの若者がたむろするロビーはなかなか入りづらい雰囲気があったのですが、日本語訳でも持って行けばインパクトがあるかなと思って。それが功を奏したのか、日本からやってきた珍客ということで、みんな注目してくれました。アゴスティも驚くほどフレンドリーな人で、すぐに話が弾みました。
その後、仲良くなって、家にも招待してもらったり、当時僕は映画監督を目指していたところもあって、日本で撮った自主制作映画に自分でイタリア語の字幕を付けたものを彼の映画館で上映してもらったりもして、とてもいい思い出になりました。

――アゴスティの本を日本で翻訳出版することになったのは、どういう経緯ですか?

シルヴァーノ・アゴスティ御大に会って、彼の映画を観て、小説を読んで、すごく刺激を受けた僕は、「日本で紹介していいか」と彼に聞いたんです。すると「分け前を半分にしてくれたら、それ以外に何も条件はない」と快諾してくれて。留学時代は暇をもてあましていたので、すぐに小説を1冊訳して、映画には字幕をつけて、日本に帰ったらすぐに活動できるように準備をしました。
そして留学を終えて帰国してすぐ、出版企画書を書いて、手当たり次第に出版社に送りつけたんです。もちろん、手当たり次第とはいえ、イタリア語の本を翻訳出版しているかどうかを調べたり、その編集担当者がわかればその人宛に送るというくらいの努力はしました。
30社くらいに送ったところ、10社ほどは返事をくれました。なかには出版しましょうと言ってくれるところもあったのですが、条件が悪かったりして……。どうしようかと思案しているところで、マガジンハウス社に出し忘れていたことに気づいたんです。31社目に送ったマガジンハウス社から、すぐに良い返事が届き、思いのほか条件もよく、結局4ヵ月後に『誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国』が出版されました。
出版にあたっては、かなり直しを入れました。編集者の方に言われたところもあれば、自分でブラッシュアップしたところもあります。初版が8000部、すぐに増版が決まって結局11000部までいきました。思い入れの強い本だっただけに、感慨がありましたね。


自分たちで発掘したイタリア文化を日本に紹介することを目的に作ったドーナッツクラブ。その最初の活動として、野村さん自身が見つけて翻訳した本の出版が実現しました。これを皮切りに、ますます活発になっていくドーナッツクラブの活動は、後編でお伝えします。どうぞお楽しみに!

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<のむらまさお>

1978年、イタリア生まれ。生後間もなくより滋賀県で育つ。大阪外国語大学(現大阪大学)大学院博士前期課程修了。映画・音楽・演劇・文学などなど、知的好奇心の「わ」を広げる企画グループ、京都ドーナッツクラブ代表。訳書にシルヴァーノ・アゴスティ『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス)、『罪のスガタ』(シーライトパブリッシング)などがある。得意分野は映画と音楽 。2009年よりラジオDJとしても活動する。

<関連リンク>
京都ドーナッツクラブ


<主な翻訳作品>


『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』(訳)野村雅夫


『13歳までにやっておくべき50の冒険』(訳)有北雅彦


『剣を持ったクマ』(訳)野村雅夫


『罪のスガタ』(訳)野村雅夫


『水おとこのいるところ』(訳)田中桂子


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