トラマガ
トラマガ
トラマガ
トラマガ
 【前編】 【後編】
トラマガ
(2008年9月10日更新)
通学 出版翻訳コース「真崎ゼミ」の講師を務める真崎義博氏のインタビューをお届けします。
真崎 義博

真崎 義博>(まさき・よしひろ)

★中学時代にジャズを知り、新宿のジャズ喫茶に入り浸るようになる。マスターとは今でもいいお付き合い。好きなアーティストはジョン・コルトレーン。
★英文科の学生にもかかわらず、大学の卒論のテーマは「構造人類学」。担当教授を大いに困らせた。
★実は一度だけ就職を試みたことがある。クラシックコンサートの企画業務だった。定時出社と満員電車のお陰で2日後に退職。日本は有能な翻訳家を失わずにすんだ?!
★実は声優への転職を試みたことがある。オーディションに合格したものの、若い研修生の知的レヴェルに閉口して稽古をやめた。日本は再び、有能な翻訳家を失わずにすんだ?!

トラマガ
――人類学者になりたかった
トラマガ
暗殺のジャムセッション

 小さいうちからバイオリンを習わされたりして、親は音大に入れて音楽家にしたかったみたいなんだけど、僕は読書と物理学が大好きな少年に育ってしまった(笑)。
 だから当然、理系の学校に突き進むはずだったのが、中学生の時にジャズに出合って、その流れで「ビートジェネレーション」(※)にハマったの。そして、その作品群のアンソロジーを翻訳した人(片桐ユズル)が高校で英語を教えている、しかも自宅から通学可能な学校であることを知ったが最後「そこに行くしかない!」というわけであっさり路線変更(笑)。
 
 でも頭の構造が理数系だし、好奇心が強くて何にでも興味をもつからすんなりと文学青年になったわけではなく、大学こそ英文科卒だけど、人類学者になりたいと思ったの。レヴィ=ストロースにコロッと参っちゃってね(笑)。それなら大学院に進まなくては! と大志を抱いて受験・・・したら落っこっちゃった。面接にGパンで行ったのがいけなかったのかな(苦笑)。
 
 どうしようと悩んだ結果、特にやりたい事が浮かばなかったから大好きなジャズとビートジェネレーションの街、NYCに行ってみることに。僕が行った年はちょうどニクソンがウォーターゲート事件で弾劾された年でね、もう大騒ぎで面白かったよ。危険だけどとても魅力的な街だった。
 
 その時にふと「NYCの街が活き活きと描かれている作品ってなんだろう?」と考えてみたら該当するのがミステリだった。本当はミステリ自体には興味なかったんだけど(笑)、じゃあ、いずれはミステリの翻訳なんかができればいいなぁなんてことを思っていた気がする。
 今のNYCは街が綺麗になって治安が良くなった分つまらなくなった、という話も聞くけど実際はどうなんだろうね。
 
(※) ビートジェネレーション(1950年代から1960年代前半にかけてアメリカの文学界で異彩を放ったグループ及び、その活動。「ビートニク」とも呼ばれる。代表作家にアレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、グレゴリー・コーソなど。もともとは1948年前後のNYCのアンダーグラウンドに生きる非遵法者の若者たちを総称する言葉だった)

トラマガ
――初めての単独訳書は呪術?!
トラマガ
呪術師と私―ドン・ファンの教え

 翻訳を専門の学校で学んだり、誰かに師事したことは一度もナシ。初めての訳書は大学4年生の時にある大学の先生と共訳した『未開発社会における性と抑圧』(社会思想社)という人類学の専門書だった。
 
 単独で翻訳をしたのはアメリカの文化人類学者カルロス・カスタネダ(1925-1998)がメキシコのインディオの呪術師の下で修行をした時の体験を記したとされる『呪術ドン・ファンの教え―ヤキ族の知』(二見書房/後に『呪術師と私―ドン・ファンの教え』に改題)という作品。
 こちらはビートの詩集を訳した高校の英語の先生、片桐ユズルに「おもしろい本があるから翻訳してみない?」と勧められたのがきっかけ。本当の出所は彼の師匠である哲学者、鶴見俊輔氏で、それが弟子の弟子である僕のところにまわってきたわけ。
 本の版元は高校の親友がたまたま二見書房に勤めていたのでうまく丸め込んで(?)お願いした。
 
 『ドン・ファンの教え〜』は全8冊からなるシリーズもので、1972年に1巻が発行されて最終巻は1994年発行と長きに渡ったため、最も印象深い作品の一つとなったね。なんたって、質問があっても著者となかなか連絡が取れないんだもの。呪術師に弟子入りしただけあって、原書には「瞬間移動した」とか非現実的なことがあちらこちらに書いてあるの。
 でも思考が理系の僕としてはどうしても納得できない。これはもう、本人に直接聞いてみるしかない、と思って在籍している大学に連絡を入れるんだけど、一発で連絡が取れたことはまずなかった。ま、連絡が取れて話ができたとしても、彼はトリップしているような状態が多く、まともな会話はほとんど成立しなかったんだけどね(苦笑)。それでも全くコンタクトができない状態で翻訳していくよりはずっとよかった。「瞬間移動した」というのが意識(認識)の問題だとハッキリわかったから。

トラマガ
――ある日突然
トラマガ
マジシャン殺人事件

 『ドン・ファンの教え〜』シリーズの最初の頃はまだ翻訳だけでメシを食べていけるほどではなかった。幸い実家暮らしを続けていたから他に仕事をしなくてすんだけどね。
 
 そんなある日、電話がかかってきて翻訳を依頼されたの。電話の主は今は廃刊になってしまったサンリオ出版部の編集者。あまりにも突然の事でどうして自分に白羽の矢が立ったのか全然わからなかったんだけど、その編集者は借りていたアパートの床が本の重さで抜けてしまったというエピソードを持つほどの読書家。だったら僕が訳した数少ないマニアックな訳書にも目を通しているかもしれないな、と妙に納得。
 
 真相はわからないけど、依頼を受けて『フィスト』『ディアハンター』など小説も訳すようになった。するとまたある日、電話がかかってきたの。電話の主はなんと小鷹信光氏(ハードボイルドの翻訳や『探偵物語』の作者として有名)!!
 これには本当にビックリした。なんでも僕が書いた挑発的な「訳者あとがき」を読んで電話してくれたらしいんだよね。それをきっかけに早川書房の編集者を紹介してもらい、徐々に仕事が増え、翻訳でも食べていけるようになった。コレ、信じられないだろうけど本当の話。昔は今じゃ考えられないくらい牧歌的だったんだよ(笑)。

トラマガ
――闘う翻訳者
トラマガ
ザ・オイルマネー―ドバイ原油先物取引所を創った新卒米国人青年の奮闘記

 先ほど「挑発的な『訳者あとがき』」と言ったけど、駆け出しの頃から30代の始め頃までは翻訳という作業や業界に対して今よりはるかに戦闘的だった。
 
 僕は当初から「100%翻訳可能な作品はない」という考えの持ち主。言葉の背後には歴史や文化という広大な世界が広がっているからね。表面的な意味や内容はだいたい伝えられるけど、オリジナルがもっている世界を100%日本語に翻訳するのは不可能だと思う。
 でもだからこそ「2国間にある文化の溝をどこまで埋めることが可能か」というのが翻訳をすることへのモチベーションにもなっているわけ。
 例えば、NYCの5th avenueや42nd streetを「5番街」、「42丁目」とする習慣にはどうしても抵抗があって、「フィフス・アベニュー」、「フォーティセカンド・ストリート」と表記していた。あれは日本にはない概念だと思うから。
 
 また、和製英語も極力使わず、「パンティストッキング」は頑として「パンティホース」と表記していた。やがて僕のこういった姿勢は業界の大御所たちにも知れることになり、とうとう、あるシンポジウムみたいな場で徹底攻撃を浴びるハメに。中には「カタカナを多用するのは原稿の枚数が増えてページ数も増え、本の価格も高くなる。そんなモノは欠陥商品だ!」なんていう人もいたんだよ。ヒドイでしょ(苦笑)。
 
 今からおよそ30年も前のことで記憶が薄れているんだけど、僕の言い分に本当は納得しているくせに、それを堂々と認められない人もいたような気がする。本当、あの時は一人で大御所を相手にしたのだから、まさに「闘った」という以外に言い様がないね。

トラマガ
PICK UP

フェローでの学び方 翻訳入門<ステップ18> オンライン講座

PAGE TOP