【本の雑誌2017年10月からの転載記事】
うきうき新訳見学。おじさん二人組、翻訳講座に行く!

  • おじさんだって新訳がしたい! しかし翻訳の「ほ」の字も知らないおじさんが新訳にチャレンジって、いったい何をどうすればいいのか。

    というわけで、杉江由次、浜本茂(若い順)の本誌おじさん二人組は港区赤坂のフェロー・アカデミーに向かった。地下鉄青山一丁目駅から歩いて三分、その名も翻訳会館にあるフェロー・アカデミーは「翻訳のすべてが見つかる専門校」。一九七五年創立にして、入門から上級まで、通学・通信合わせて年間約二百の講座を開講している翻訳学校の老舗だ。
    実務・出版・映像の三大分野を学べるのはここだけ!らしい。

    もちろんおじさん二人が目指すのは出版部門の上級コース。いや、二人の英語力が上級レベルだからというわけではない。翻訳家の田口俊樹氏が講師を務める田口ゼミが上級コースだからである。田口俊樹氏といえば、ローレンス・ブロックやマイクル・Z・リューインでおなじみの名翻訳家で、今号の特集でも対談してもらっているが、何を隠そう、藤代三郎氏こと本誌前発行人目黒考二の十五年来の競馬友だち(別名たそがれのトシキ)であり、本誌とも浅からぬ仲。その伝手を頼りに講座を体験受講させてください、と先生経由でお願いしたのである。

    田口ゼミは隔週木曜日の十八時半から二十時十分までの開講とのことで、おじさん二人も八月十七日木曜日の十八時十五分に翻訳会館に到着。明日から目黒さんと小倉に行くんですよ、と嬉しそうな田口先生としばし談笑ののち、本日のゼミで使う受講生の訳文を拝借して、いざ、出陣。二階の教室に入ると、コの字型に配列された机にはすでに受講生が着席している。本日の出席者は十四人。男性三人、女性十一人と女性が圧倒的に多いが、平均年齢は想像より高く四十歳に近そう。上級コースだからでしょうか。

  • 「本の雑誌」書影
    『本の雑誌』はエンターテインメント作品の書評を中心に、本や活字に関するありとあらゆる情報をオリジナルな切り口で提供している雑誌。2017年10月号にて当校の通学 出版翻訳コース「田口ゼミ」をご紹介いただきました。

授業がスタート。すると、指名された男性受講生は立て板に水のように話しはじめるのである。

とかなんとか、言ってる横を先生がすり抜けていって授業がスタート。さっそくいこう、と最初の受講生を指名。すると、指名された男性受講生は立て板に水のように話しはじめるのである。「二十九ページ右側の段落三行目、Traffic moved in small, tight groups down Sixth Avenue as the lights changed like small packs of animals.なんですけど」といきなり英語!そういえば英語はわかる?と聞かれて、ぶんぶんと頭を横に振ったもので、おじさん二人組は英語の原文をもらっていないのであった。おお、どこだ、と訳文から類推して該当部分を探して、やっと見つかったと思ったら、「silent procession」が、とか次の箇所に移っていて、なかなか追いつけない(涙)。受講生が自分の提出した訳文の中で「納得がいかない点」「疑問が残る点」などについて先生に確認していき、ほかの受講生とともに訳文をブラッシュアップしていく授業のようなのだが、とにかくテンポよく進むのである。

しかも我々素人がさらっと読み流しているようなことを鋭く突っ込んでいく。

たとえば川とか山とかのように高低差がはっきりしている場合はともかく、通常、道路のときは「up the road」だろうが「down the road」だろうが「道に沿って」くらいで深い意味はないそうだが、縦にアヴェニュー、横にストリートが碁盤の目のように走るニューヨークに関してはけっこう意味があるとのこと。つまり「down」は南下、「up」は北上なのである。ね、勉強になるでしょ。しかもニューヨークは一方通行が多いそうで、「down Sixth Avenue」という原文は、六番街をダウンタウンのほうに南下したという意味になるが、実は六番街は北へ一方通行なので、明らかな間違いらしい。しかし原著が書かれた一九六四年当時はひょっとしたら逆方向に一方通行だったかもしれない。誰か詳しい人、調べておいて、俺、そういうの苦手だから、と田口先生は笑いをとりながらうながすのである。

  • 驚いたのは三人めの女性の訳文の講評で、「英語と違っちゃってるな、勝手に訳してるな」と反省している訳者に「それでいいの。それが翻訳だって言ってるじゃん」と、先生は励ますのである。厳密に訳すより日本語らしく聞こえるほうがいい、俺より上手い!と絶賛するのだ。自分の日本語の感覚に自信を持ちなさい、反省しなくていいからもっと思い切りやりなさいとまで進言するのである。やる気が沸いてくるのである。テキストの同じ部分を訳してきた三人の質問、講評が終わったところで、受講生がいいと思った訳に挙手。その後、さらに他の三人が訳してきたテキストの後半部分について同様に講評していくのだが、田口先生はとにかくきちっとした日本語にすることが大事だと強調するのである。主語と述語をぴったり合わせる。緊迫したシーンでは、文を短くする。原文が現在形と過去形になっていても日本語の場合、時制を揃えたほうがすっきりする。「は」の中に「が」を入れて、メリハリをつける。いずれも日本語表現上での注意で、まずは意訳からみたいな、大胆なことも言うのだ。

    編集者 杉江さん:先に日本語として正しい文章になるように考えろってことだね。

    編集者 浜本さん:それもけっこう細かい。「が」が三つ続くとか、電話を切っただけなのに「が」を使うなとか。

    編集者 杉江さん:たいした動きでもないのに「が」を使われると腹が立つって(笑)。

    編集者 浜本さん:「は」でいいって。「が」っていうイメージが持つようなはっきりした動きをしてほしいと。考えたこともなかったな。

    編集者 杉江さん:作家志望の人も勉強になるよね。

    編集者 浜本さん:実践的でわかりやすい。

    編集者 杉江さん:うん。翻訳ものを読むときのポイントが変わるような気がしてきた。俺も教わりたい。

    編集者 浜本さん:褒めるのがすごく上手いしね。「俺にはこんなことできないよ」とか。

    編集者 杉江さん:ダメな場合も「ちょっと停滞気味だな、心配だなあ」って(笑)。励まし方が上手い。

    こなれた日本語の習得のために任意だが、毎回、エッセイを書いて提出する課題も出している。八百字から千字で授業で話題になった言葉とか、お題を提供するのである。田口先生自身、とにかくたくさん書くことで文章を学んだという。

  • 田口ゼミの授業の様子

授業のあとは毎回受講生と飲んで親睦を深める。ところが、ここで衝撃の発表が。

田口先生:とにもかくにも書くのに慣れる。お題によっては書きにくいものもあるだろうけど、波長が合ったものだけじゃなくて、どうしようもないのも書く。言われないと人間やらないだろうから。それでも取り組まない人もいるけど、やってる人は上手くなってると思うよ。

編集者 杉江さん:面倒見がいいですよね。

面倒見のよさゆえだろう。授業のあとは毎回受講生と飲んで親睦を深めているし、受講生たちが誕生会を毎年開催してくれるらしい。先日、講師生活三十周年を迎えたのだが、歴代の受講生たちが三十周年を祝う会を開いてくれたという。三十年で四十人強の受講生が翻訳家としてデビューしているそうで、現在のゼミ生にもすでに訳書がある「プロ」がちらほら。最年少の門脇弘典さんは、なんと九冊の訳書があるというからすごいのである。

ちなみに、今回のテキストはM・コリンズの「No Way Out」という短編。田口先生はただいま「ミステリマガジン」で「おやじの細腕新訳まくり」という過去のミステリマガジンに載った短編を訳し直すという企画を連載中なのだが、この短編も「出口なし」というタイトルで八〇年の同誌に掲載されている。訳者は喜多良一だ。

田口先生:みんなこの昔の訳を読んだと思うけど、ちょっと評価してみて。上手い、普通、下手でいいから。

結果は上手いが二人、残る全員が普通で、下手はゼロであった。ところが、ここで衝撃の発表があったのである。

  • 喜多良一という翻訳者

    田口先生:あまり名前を聞いたことがない訳者だと思うんだけど、これがね、実は高名な翻訳家のペンネームだってことが判明したんです。

    一同:へえ・・・

    田口先生:俺だよ、俺!(笑)

    一同:えええっ!(爆笑)

    本人も途中まで気づかなかったらしい(笑)。やりはじめは「喜多さんなんて聞いたことないなあ」と思っていたというのだ。なぜペンネームになったかというと、同じ号で田口名義でローレンス・ブロックを訳していて、当時は紙面的に名前がダブるのを避けていたため、「ミステリマガジン」編集部の染田屋茂さんが「勝手にペンネームをつけた」とのこと。なんでも田口先生はそのころ喜多見に住んでいたそうだ。

    受講生:先生、ずっと「俺、これやったことあるなあ」って言ってましたもんね(笑)。

    田口先生:そう。でも名前違うしなあって(笑)。

    「No Way Out」をテキストにするのは本日が五回目なのだが、一回目では本当に気づかず、二回目であれっと思ったという。

    編集者 杉江さん:目黒さんの「びっくりしたよ、解説見たら、俺だった」っていうのと同じノリ(笑)。

    編集者 浜本さん:二回目で気づいたのに最後まで取っておいたんですね。

    田口先生:すぐに言ったら、面白くないじゃん(笑)。

    編集者 杉江さん:さすが目黒さんの友だちだ(笑)。

  • 田口俊樹先生

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