WORKS
キャッチコピーはどう訳す?
ちょっとクリエイティブな翻訳
キャッチコピーの翻訳で肝となるのは、
いかに想定読者を魅了できるか、ひいては、商品購入に導けるかどうか
マニュアルなどの文章は、商品を購入したユーザーに対していかにわかりやすく操作方法を伝えるかを目的としているため、通常は平易な文章の羅列で構成されます。一方、キャッチコピーやPR文章では、消費者や企業に商品を購入してもらうことを目的としているため、様々な文章テクニックを駆使して商品やサービスの魅力を最大限にアピールします。簡潔でキャッチーなスタイルが好まれ、1文が長ければ2文に分けたり、リズムを付けるために体言止めを織り交ぜたりすることも少なくありません。媒体は主にWebサイトで、想定読者は一般的な消費者から企業にいたるまで多岐に渡ります。
マニュアルの翻訳にはマニュアルの翻訳の難しさがあり、単純にどちらが難しいと言い切ることはできませんが、キャッチコピーやPRに関する翻訳では、原文の字面どおりに翻訳してもうまくいかないことが多く、よりクリエイティブな思考プロセスが必要になるのは確かです。私の場合は主に英日翻訳ですが、そもそも原文自体についても、多くの場合はプロのコピーライターが時間をかけて推敲し、仕上げているものでしょうし、その翻訳に相応の力量が必要とされるのは自然なことでしょう。ただし、クライアントによっては、翻訳後にプロのコピーライターチームを使い、ひとつの見出しに数週間をかけて最終原稿を完成させることもあるようです。翻訳では単語単位で報酬が支払われることが多く、たった数語の見出しにそれだけの時間をかけることはできませんので、こうしたキャッチコピー的な原文があるときには毎回、頭を抱えながら、訳文をひねり出すことになります。
たとえば、旅行業界関係の案件で、「Historical Walk」という見出しに出くわしました。直訳すれば「歴史的な散歩」「歴史的なウォーキング」ですが、その見出し以下の内容はハイキング・トレイルについてであり、そのトレイルを歩くことで、ある有名な科学者の研究の足跡に触れることができるというものでした。そこで、できるだけ意味をすくい上げるために「歴史的な」を「歴史を辿る」に変更し、見出しとしてのキャッチーさの観点から「ウォーキング」を選択して、最終的には「歴史を辿るウォーキング」としました。
キャッチコピーやPR文章を翻訳するにあたり特に難しいと感じるのは、原文との距離の取り方です。原文の字面どおりに訳すのが難しいからといって、離れ過ぎれば創作になってしまいますし、近づき過ぎれば表情のない平坦な印象の訳文になってしまいます。クライアントによってそのさじ加減が異なる場合もありますが、離れ過ぎず、近過ぎず、想定読者にとって魅力のある訳文にすることを心がけています。短いセンテンスで話の要点を伝える、という意味では、フェロー・アカデミーで受けた映像翻訳の授業が役立っているかもしれません。映像翻訳では、限られた文字数で、視聴者の胸に響くセリフを考える必要がありますから。
私がいまの仕事に関わるようになったのは、以前勤めていた翻訳会社で、様々な分野の企業をクライアントとして翻訳、レビュー、品質管理、ベンダーコーディネートなどを担当するなか、マーケティング案件の翻訳やレビューを自身で担当したことがきっかけです。世界的な大企業が相手のプロジェクトを多数抱え、当時は目まぐるしい日々でしたが、先輩社員の丁寧かつ厳しいフィードバックに毎日打ちのめされながら、少しずつ学んでいきました。元々、文芸翻訳を目指していた自分にとって、表現力が求められるキャッチコピー/PR文章の翻訳は、苦しさだけでなく、楽しさや満足感を感じられるものです。
キャッチコピーの翻訳で肝となるのは、いかに想定読者を魅了できるか、ひいては、商品購入に導けるかどうかです。そのためにクライアントから求められる品質レベルは高く、相応の苦労はありますが、一語一語に至るまで自分の表現に細心の注意を払いながら訳文を仕上げることで、翻訳者としての成長を実感できますし、納得のいく訳文に仕上げられたときの満足感は言い表すことのできないものです。といっても、日々、反省の連続なのですが……。
「音楽、映画、出会い」この3つが私を翻訳者にした
私が翻訳者になろうと思ったきっかけは3つありました。1つ目はThe Beatlesの『Abbey Road』。高校生のとき、洋楽好きの父親が持っていたこのアルバムをよく聴いていたのですが、歌詞の対訳を読んで、「へー、こんな風に訳すんだ」とか「自分だったらこう訳したいな」と、ぼんやり考えたのが最初のきっかけだったと思います。
2つ目は大学時代、選択科目から何となく選んだ翻訳の授業。映画『Smoke』のスクリプトを翻訳して、お互いの訳を発表し合うという授業で、自分の訳の拙さにも関わらず、すごく楽しかったのを覚えています。
3つ目は、日本人アーティストの曲を英訳したこと。大学卒業後、半年間アイルランドのダブリンに語学留学した際、同じ語学学校で知り合ったイタリア人の女性(現在の妻)にFishmansという日本人アーティストの歌を英訳する機会があったのですが、彼女の喜ぶ顔を見たときに翻訳の魅力を強く実感しました。まさに、翻訳は異なる言葉や文化の架け橋だ、と。これが一番大きなきっかけです。
翻訳を仕事にする、ということを目標に据えたはいいものの、具体的にどうしたらいいのかも分からず、色々と情報を集めていたとき、プロの翻訳者の下で1年間、様々な分野の翻訳を基礎から学べるフェロー・アカデミーのカレッジコースのことを知りました。金銭面の事情から通信教育の受講も検討しましたが、同じ志をもつ仲間と直接出会えて、就職サポート制度なども充実しているカレッジコースに魅力を感じ、体験レッスンも好感触であったため、決心しました。
実際の仕事で翻訳依頼を受ける際には、1つの分野だけではなく、複数の分野が混在した案件もあります。たとえば、実務翻訳の案件でも、字数制限のある字幕を翻訳することもありますし、出版翻訳のように豊かな表現力を要求されるマーケティング系の文章を翻訳することもあります。カレッジコースではさまざまなジャンルの翻訳方法をゼロから学ぶことができたため、分野ごとの特徴やルールを知ることができ、多分野に対応するための応用力を身につけることができました。また、文法読解を中心にして総合的に英語力、ひいては翻訳力を高めるための授業や、日英翻訳を学ぶ授業もあれば、ビジネス英語や英文チェックを学ぶ授業もあり、これらすべてが現在の自分の血となり肉となっています。
マーケティングやPR文章などの翻訳に興味があるという方は、大手企業のWebサイトを確認し、日本語と英語の両方のサイトがある場合、それらを並べて見比べたり、自分の試訳と実際の日本語サイトを比較したりすれば勉強になるでしょう。それと、月並みですが、英語・日本語を問わず、できるだけ本を読み、インプットを増やしておくことも大事なことだと思います。
現在はフリーランスとして、翻訳会社経由では、観光、自動車、IT、Eコマースなど、主にマーケティング系の翻訳に携わっています。動画の字幕やボイスオーバーを手がけることもあります。そのほか、地元の長野県でいくつか英訳の仕事(レストランのメニューや、美術展のパンフレット、市街の案内マップ、クラフト作家の作品に関する説明書きなど)も受けています。
今後も、現在の取引先から受注するすべての仕事に対して全力で臨みつつ、前々から目標としている出版翻訳の仕事や、個人、法人、規模を問わず、取引先の顔が見えるような仕事を増やしていきたいと考えています。また、通信講座の受講や勉強会の開催など、現状に満足せず、常に謙虚な姿勢を保って、翻訳技術の研鑽にも励んでいくつもりです。
取材協力
山口浩司さん
長野県出身。大学卒業後、アイルランドへの語学留学、地元でのマニュアル制作会社勤務を経て上京し、カレッジコースに入学。推薦制度を利用して都内の翻訳会社に就職し、翻訳業務全般に2年間携わる。独立後の現在は地元に戻り、フリーの翻訳者(Bridgeman)として仕事を受注している。