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『都市と都市』

チャイナ・ミエヴィル著『都市と都市』。
翻訳を手がけた日暮雅通さんにうかがいました。
『都市と都市』日暮雅通【訳】チャイナ・ミエヴィル【著】早川文庫
『都市と都市』
日暮雅通【訳】
チャイナ・ミエヴィル【著】
早川文庫
【作品紹介】
「お互いの存在を認識してはいけない」という奇妙なルールの下で隣り合う、二つの都市国家〈ベジェル〉と〈ウル・コーマ〉。その一つベジェルで若い女の死体が見つかった。事件の担当となったベジェル警察のティアドール・ボルル警部補は、捜査の過程で女がウル・コーマの人間であることを知る。彼女は何故殺され、何故ベジェルに死体が置かれたのか。謎を追うボルルはやがて、ベジェルとウル・コーマの隠された歴史、さらには両国を監視する組織〈ブリーチ〉の秘密へと足を踏みいれていく。

カフカ的な不条理を思わせる
ハードボイルド・タッチの警察ミステリー

東欧にある二つの(架空の)都市国家、〈ベジェル〉と〈ウル・コーマ〉は、地理的に同じ位置にあり、重なり合って存在しながら、言語や政治構造、経済状態も異なるという、不思議な関係にあった。そのベジェルで発生する女子大生殺人事件を皮切りに、ベジェル警察過激犯罪課のボルル警部補の捜査が始まる。二つの国家間には、市民が相手国の事物を見てはいけない(見えてもみないことにする)という厳密な禁忌があり、それを破ると超国家的な秘密警察組織、〈ブリーチ〉に厳罰を受ける。そうした中でボルルは、考古学専攻の留学生である被害者が、この禁忌を破り、双方の都市を行き来して何か重大な秘密を握ったらしいと知る。〈ウル・コーマ〉に乗り込んで、相手国の警察官とぶつかりながらもコンビを組んで捜査を続ける彼だが……。ネタバレを避けると、本書の紹介はこれくらいでしょうか。

 

ファンタジーやSFを書いてきたミエヴィルが初めてクライム・ノヴェルに挑んだわけですが、カフカ的な不条理を思わせる設定におけるハードボイルド・タッチの警察ミステリーという、一筋縄ではいかぬ彼らしい作品に仕上がっています。設定を理解するまでに若干の時間がかかるので、ミステリーファンが多少戸惑うこともありますが、いわゆる”フー・ダニット”(犯人探しもの)ミステリーになっていることは、間違いありません。著者自身、自分を”ジャンル作家”と言っていますが、これは「あるジャンルの小説を書くときはそのジャンルに忠実に書く」という意味かもしれません。あるいは、彼の作品のほとんどは「都市小説」とも言えますので、そういう意味の”ジャンル作家”かも。

 

作者のチャイナ・ミエヴィルは1972年イギリス生まれ、ロンドン育ち。ケンブリッジ大学で社会人類学を学んだあと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国際関係論の博士号を取得。社会主義労働者党の党員で、左翼的政治活動もしているため、そうした要素が作品に反映されることも多いです。ロンドン地下世界でネズミの王に見出された男の成長を追う長篇『キング・ラット』でデビュー後、『ペルディード・ストリート・ステーション』に始まる壮大な〈バス=ラグ〉三部作で、世界的人気作家に。都市型ファンタジー『キング・ラット』は日本であまり注目されませんでしたが、『ペルディード~』でSFファンの人気を得ました。そのままファンタジーおよびSFの作家として書き続けるかと思いきや、この『都市と都市』でノワール系ミステリー、あるいはハードボイルド的警察小説の”キモ”も捉えていることを証明し、日本でも広く注目されることになったのだと思います。

 

日本では『キング・ラット』からずいぶんたってからの『ペルディード~』でSF作家としてスタートしたため、そのままSFのジャンルに入りましたが、SF、ミステリー両方のファンを想定しているはずです。SFとして刊行されたことによる違いといえば――読者から指摘があったのですが――ミステリーの邦訳でたいてい付ける「登場人物一覧」がないことくらいでしょうか。訳文をつくる際は「SFファン向けに」という意識はまったくありませんでした。

 

SF作家が異世界を構築する作品でよく行うように、ミエヴィルも辞書にない”造語”を非常に多くつくりだします。ただ彼の場合、SF的な(テクニカルな)特殊用語はもとより、むしろ日常で使っている単語が辞書にはないかたちに変化したりすることが多く、ネイティヴも戸惑う言葉が、ごくあたりまえのように文章に入ってきます。この点はSF作品でもホラー作品でも、また長篇でも短篇でも、変わりません。

 

『都市と都市』では、設定からして造語が出てくるのが当然ですが、一見そうでない単語にも、ミエヴィル独自のものが頻出します。訳語にルビを振っている場合は、かなりの確率でそうだと言っていいでしょう。翻訳の際に固有名詞と用語の一覧表を必ずつくりますが、今回はその備考欄に「作者の造語らしい」という記述がたくさん入りました。ちなみに、2月に内田昌之さんの訳で出た『言語都市』は、言語そのものがテーマのひとつなので、訳語づくりはさらに大変だったと思います。

 

また『都市と都市』では、東欧にある架空の都市国家という設定なので、地名や人名のカタカナ表記をどうするかということも、大きな問題でした。できるだけ現地の発音に近そうな(といっても何語なのかわからないミックスされたものですが)発音を捏ねくりだしていくうちに、「ミエヴィルが勝手につくっているのだから、こっちも勝手にやろう」などと腹をくくることになりました。最近は著者が自作を語る映像がネットに流されていることが多く、今回もミエヴィル自身が語る動画を参考にしましたが、耳にどう聞こえるかは人によって異なりますし、カタカナにする際の表記法も、人それぞれ。今回の表記はあくまでも私自身の解釈によります。

 

二つの都市国家と〈ブリーチ〉、そして存在を噂される第三の都市国家という設定を理解するまで、読者の方々も時間がかかると思いますが、訳す身としてはさらに手間取りました。何章か訳し進めたあと、新たなことが理解できて戻って訳し直す……という作業の繰り返し。さらには、ゲラが出て全体を読み通して初めて発見できる箇所も。『ペルディード~』で手伝ってもらった二人の訳者に今回も手伝ってもらいましたが、それでも脱稿まで3カ月という、通常並みの期間がかかりました。

 

SFもミステリーも、原文のロジカルな解釈が不可欠なことは言うまでもありませんが、作者がつねに文法的に正しいことを書くとは限りません。このミエヴィルも、造語を頻繁に行うだけでなく、文法を無視した文章をよくつくりだします。そうしたとき文法にこだわっていると、いつまでたっても停滞状態。そういう人を、翻訳学校ではよく見受けます。前後の文脈による、あるいは内容的な類推による解釈をして前に進む……これもまた大事なスキルですので、身につければきっとプラスになると思います。

取材協力

日暮雅道さん

出版翻訳家。『都市と都市』、『ジェイクをさがして』、『ペルディード・ストリート・ステーション』、『最初の刑事』(早川書房)、『シャーロック・ホームズ』シリーズ(光文社文庫)、『時間の図鑑』(悠書館)、『未解決事件(コールド・ケース)』(柏書房)など訳書多数。

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