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日本の文化や日本人の感覚をどう伝えるか?
目指すは「透明な字幕」

『おくりびと』『かぐや姫の物語』『リング』をはじめ、数々の日本映画の英語字幕を手がけてきたイアン・マクドゥーガルさんにインタビュー。
来日して30余年、英語字幕を付けた映画、テレビ作品の数は500本を優に超えるといいます。
今や英語字幕の第一人者といえるイアンさんですが、日本に来たのは「たまたま」、最初は「翻訳者を目指していなかった」といいます。
どのような経緯で翻訳者になったのか、そして先駆者の少ないこの分野でどのようにスキルを身につけていったのか、お話をうかがいました。

日本との出会いは偶然
街や人が気に入った

大学卒業後、実はミュージシャンを目指していました。でも、そう簡単にメジャーになれるわけじゃない。だから今でいうフリーターですね。生活のために、新聞社のレポーターなどのアルバイトをしていました。そんなとき「英会話講師募集」の新聞広告を見つけたんです。勤務地は日本の東京で、契約は1年間。発展途上国や気候の厳しい土地だったら行く気にならなかったでしょうが、日本なら普通の生活が送れるだろうし、文化の違う国の音楽やミュージシャンにも興味があったので、行ってみようと思いました。1975年、24歳のときです。

 

日本語がまったく話せなくても英会話講師の仕事に支障はなかったのですが、仕事以外のところで日本には楽しいことがたくさんありますよね。例えば、クラブとかライブハウスとか。英会話学校の近くにあるライブハウスによく通っていたのですが、字幕翻訳家の菊地浩司さんもそこのお客さんで、英語で会話ができる数少ない相手でしたので、すぐに友だちになりました。菊地さんからもときどき日本語の個人レッスンを受けましたし、とにかくいろんな人と話をすることがすべて日本語の勉強でした。

 

日本での生活は思いのほか楽しくて、予定より滞在を延ばし、結局2年半ほどいました。それからいったんカナダに帰り、またミュージシャンの夢を追いながら、生活費を稼ぐためにアルバイトという日々に戻りました。そこで7年間頑張ったのですが……。ミュージシャンとしてはなかなか芽が出なかったので、ジャーナリズムの仕事に戻ろうと思ったんです。日本に行けばカナダの新聞社などの地方通信員としての仕事ができます。また、以前勤めていた日本の英会話学校からもう一度働かないかと誘いを受けていたこともあり、日本に行くことに決めました。

 

日本では通信社や新聞社でもアルバイトをしました。仕事は主に、英文チェックです。翻訳者が日本語の記事を英語に翻訳するのですが、その仕上がった英文を読んで表現を直したり、エディターとしてコメントをしたり、といったことです。英文チェックで変な英訳を見つけると、日本語をずっと勉強していたせいか原文の日本語を読みたくなるんですよね。この日本語なら僕だったらこう訳すぞ、と考えはじめて、それで自分でも翻訳をするようになりました。

 

その頃、字幕翻訳家の菊地さんは映画の日本語版制作会社をスタートさせていて、ちょうどVHSが出始めたばかりの頃だったので、アメリカから大量に入ってくるビデオ作品の日本語版を制作する仕事をしていました。ところが、ほとんどの作品にはスクリプト(台本)がついておらず、日本人翻訳者が翻訳するにも大変だったようです。「日本に戻ってきたよ」と菊地さんに連絡をすると、ヒアリングをして英語のセリフを書き起こしてくれないかと言われました。それが映画に関する仕事を始めたきっかけでした。

 

ほかにも自分のできる仕事なら、チャンスがあれば何でも挑戦しました。あの頃は景気のいい時代で会社が自社紹介ビデオ、商品紹介ビデオなどをよくつくっていたので、そのナレーションを英訳し、それを自分で吹き込むこともよくありました。ナレーションの仕事は今でもしています。

どう表現すれば映画のメッセージが観客に伝わるか?

初めて英語字幕を付けた邦画は1987年公開の『パッセンジャー』という作品です。当時、アイドルとして人気だった本田美奈子さんの初主演作品でした。まず、この作品が制作される前に脚本を翻訳してほしいという依頼が来たんです。ベトナム系アメリカ人の子役を出演させたいので、その事務所に許可を取るために脚本の英語版が必要だということでした。その経緯があったので、作品が完成したときに、英語の字幕もお願いできないかと依頼され、それが僕の英語字幕の初仕事になりました。

 

いろいろな仕事をしている中で、映画字幕の収入の割合が半分を超えたのは、それから10年後くらいのことです。翻訳者になろうと思ったことは、実はなかったですね。ただ、仕事の中で翻訳をするようになり、やってみたらおもしろくて、翻訳をするのが好きだと気づき、徐々に翻訳の仕事が増えていった感じです。

 

自分で取材をして記事を書くという仕事もしてきましたが、記事を書くときには、取材したどの部分をくみ上げ、どのように組み立ててまとめようかと考えます。どうすれば読者に正しく伝わるのか、どんなストーリーに仕上げればわかりやすいのか、考えながら進めなければなりません。それは映画の翻訳でも同じなんです。映画のストーリーはもちろん、監督がそのストーリーを通して言わんとしていることを理解し、それをどう表現すれば観客に伝えることができるのか、常に考えていなければ、よい字幕はできません。そこがおもしろいと思いました。

 

1961年に公開された勝新太郎主演の『悪名』という古い映画を訳す仕事が来て、あのときは方言で苦労しました。大阪で撮った大阪弁の映画だというのは事前に聞かされていましたが、そのときはそれがどれほど大変かわからず、普段と同じくらいの納期で引き受けてしまったんです。NHKの朝のドラマでもよく方言が出てきますが、ちゃんと理解できていたから問題ないだろうと思って……。でもあれは、本物の方言じゃなかったんですね(笑)。下町の大阪弁は本当に手強くて、実際訳し始めてみると理解できないことだらけでした。

 

僕はふだん、わからないところは飛ばしながら最後までひととおり字幕を付けて、もう一度最初に戻って仕上げていく、というやり方をしています。一度最後までやるとストーリーもよくわかるので、最初はわからなかったところも、二度目にはわかることが多いのです。いつもは飛ばすセリフは全体の5%くらいなんですが、『悪名』のときは半分以上わからないまま残ってしまって、最後まで訳してもストーリーもよく理解できなかった(笑)。さらに、古い映画だから音が悪かったり、脚本も手書きで読みづらいということもあったので、余計やりづらい。でも、日本人の友人に聞いたりしながら、何とか締切までに納品しました。

 

『悪名』のように登場人物ほぼ全員が大阪弁というときは、特に方言の特徴を出す必要はないから英語では普通に訳していますが、ある一人の登場人物が方言で話して、それをまわりの人が理解できない、というシチュエーションの場合は、英語のほうも何をいっているのかわからないような英語にします。また、方言がそのキャラクターの特徴のひとつとして描かれているときは、英語もその人物のセリフだけ他の人のセリフとは表現を変えたりすることもあります。作品ごとに考えて、どうするか決めています。

字幕は演技をしてはいけない

時代劇では、セリフの裏にある意味をどのように表現するか工夫が必要になることがあります。あるとき日本のフォーマリティを伝えるのに英語圏で200年前に使われていた古英語を使ってうまくいったことがありました。そうか、時代劇だったら古英語を使うという手もあるのだと気づきうれしくなりました。

 

説明が必要で困った言葉として思い出すのは「公園デビュー」ですね。小さい子どもを公園に連れていって他のお母さんと話をするのは、欧米でもごく普通のことです。ですが、日本ではそれをわざわざ「公園デビュー」と呼んで特別なことだと考える、そのニュアンスを伝えるにはどうすればいいのか、考えながら言葉を選びました。最終的には、子どもの「first day of school」というよくある台詞からとって、「It’s my first day of park」という字幕を入れました。

 

また、日本語には女性言葉、男性言葉に違いがありますが、英語には話し言葉にはっきりとした性差はありません。ですが、女性と男性の言い方に微妙な違いはあります。ですから女性のセリフを翻訳するときは、友人の奥さんやいとこの女性などが話す声を想像して、その人が言うとしたらどういう表現をするかな、と考えながら訳すようにしています。

 

それと、日本語には敬称がたくさんあります。「殿」「様」「くん」「さん」……。それぞれ微妙に違いがあって、映画の中でも自然に使い分けられている。ですが、英語にはそんなにたくさんの敬称はないので、それをどう表現するか悩むことがあります。場合によっては、敬称で表現するのではなく、両方が挨拶している言葉を一方は“Hi.”、もう一方は“Hello.”にすることで関係性を示すこともあります。

 

ただ、登場人物の上下関係は、字幕でわざわざ表現しなくても、映像を見ればわかる場合も少なくありません。例えば上司に対して話すとき、部下は頭をぺこぺこしながらへりくだる、といったことを役者さんが演じてくれているのであれば、そこは英語字幕のほうにはあえて敬称は何も付けません。

 

いつも心がけていることのひとつに「字幕は透明」ということがあります。字幕は演技をしてはいけないと思うんです。演技をするのはスクリーンに出ている役者で、その演技といっしょに字幕を見ているわけだから、字幕が多くを語りすぎる必要はない。自然に意味が理解できて、すっと頭に入ってくる、そんな透明な翻訳、日本語だと「黒子」と言いますよね。そう、「字幕は黒子」だと思います。

 

また、英語の字幕では、なるべく日本語の言葉をそのままローマ字書きにして使うことはしないようにしています。それは翻訳ではありませんから。ただ、そういうルールがあるということは、例外的にそのルールを破れば効果的だともいえます。ある新婚夫婦の関係性を伝えるのに、あえて日本語の言葉を使ったことがあります。夫は妻を、家の中では「春子さん」と呼ぶのに、友人の前では「春子」と呼び捨てにする、日本らしいシーンがありました。そこは“Haruko-san” “Haruko”とすることで伝えられると思いました。

 

映画の字幕は、言葉を訳しているというよりも、状況を訳しているのだと理解しています。シーンのセンスをどう伝えるか、キャラクターの感じていることをどうすれば伝えられるか、ということがいちばん大事であり、役者さんのセリフとそのシーンの状況を考えあわせ、その内容を伝えるためにどんな英語表現を使えばインパクトがあるか、自然に伝わるか、常に考え、工夫をしています。

英語の字幕翻訳にルールはない

日本人の映像翻訳者が字幕や吹替の翻訳をする場合は、劇場公開やテレビ放映など市場に出回ることが決まってからがほとんどでしょうが、英語字幕のニーズはその前段階からあります。世界中で年間何百もの映画祭が開かれていますが、各国のフィルムバイヤーはそのような映画祭に出向いて映画を買い付けるわけです。そのとき必要になるのが英語字幕です。吹替は録音などコストがかかるので、まずは字幕が付けられます。

 

その結果、買われた先が英語圏なら、そのまま僕の付けた英語字幕で劇場上映されますが、それがタイならタイ語に、ドイツならドイツ語に翻訳されることになります。またアニメやアクション映画の場合は、字幕ではなく吹替版が改めて制作されることもあります。だから、僕の仕事としては字幕を付けることが圧倒的に多いですね。ときどきアニメ作品の吹替版を日本でつくることがあり、吹替の翻訳をすることもあります。

 

吹替は、できるだけ口の動きに合わせてセリフをつくらなければなりません。例えば、トラのしまじろうが主人公のアニメ映画を担当したのですが、しまじろうが口を縦に大きく開けている映像では唇をひきしめる発音のセリフにしないよう気をつけました。一方、字幕はやはりセリフのすべてを入れ込むことができないので、いかに短くするかということですね。削れるのはどの部分か、他のところとまとめてうまく表現できないか、いろいろと工夫します。

 

英語の字幕翻訳は、日本語の字幕ほどルール化されていないのが現状です。今回のこの作品はこういうことに気をつけて訳そうとか、次の作品は前回と違ってここに気をつけようとか、ルールはその時々で自分で決める感じでしょうか。

 

例えば、日本語の字幕翻訳に、1秒4文字というルールがありますが、英語の場合は1秒3.5~4シラブル(音節)くらいかなと思っています。でも、それが絶対に4シラブルに収まらなければならないかというと、そうではなく、聞いたことのない名前が初めて出てきたときは収めたほうがいいけど、その作品の中で何度も出てくるとしたら、少しぐらい字幕が長くなっても観客は無理なく理解できるだろう、とそのくらいフレキシブルに考えています。

いろいろな仕事をしてきたことが、翻訳にもつながる

字幕翻訳以外に、『アナと雪の女王』では日本語吹替版の監修をしました。作品を見て、英語の脚本と吹替翻訳された日本語の脚本を照らし合わせながら、ちゃんと英語を理解して訳してあるか、英語脚本のニュアンスを日本語脚本でもきちんと伝えられているかを確認する仕事です。例えば、英語のセリフではかなり怒っている表現なのに、日本語ではあまり怒っているように聞こえない、英語はユーモアたっぷりなのに、日本語にはおもしろさが出ていない、そんなところをチェックして伝えました。日本語版監修の仕事は、年間5~10本くらいしています。

 

それから、ナレーションの仕事や英語吹替版の演出の仕事もしています。実は大学時代に地元のラジオ局でアルバイト、それから他の局でも経験をしていたので初めてではなかったんです。それに、日本人だとそれぞれの分野にプロフェッショナルがたくさんいるので専門職になるのでしょうが、外国人にはいろいろなニーズがあるんですよ(笑)。ただ、それは僕にとってはありがたいことで、ナレーターとして実際に自分が演じたり、演出家として指示を出したりするから、翻訳の仕事の時もその気持ちになってどうすれば伝わるかをより深く考える、ということがあり、すべての仕事がリンクしていることを日々感じています。

 

日本に住んで30年以上ですが、今はインターネットが当たり前の時代になって、日本にいてもさまざまな英語表現に触れることができるので助かっています。あとは、英語圏に行ったときに人々がどんな表現を使っているのか、よく聞くようにしています。でも、覚えたばかりの新語をすぐに字幕に使うということはしません。昔流行った日本語の「ナウい」同様、いつ廃れてしまうかもしれないので、それを見極めないと使えないなと思っています。

 

映画が好きで映像翻訳者になりたいという人は、とにかく幅広く映画に触れてみるのがいいと思います。例えば、映画サークルに所属して映画をつくってみるとか、できた映画に英語字幕を付けてみるのもいいかもしれない。映画は狭い業界なので、知り合いをつくっておくのも大事だし、字幕翻訳以外にも自分に合ったおもしろい仕事があればやってみても良いと思います。

 

一方、英語や翻訳が好きで映像翻訳者になりたいと考えている人は、映像に限らずいろんな分野をやってみたほうがいいと思います。僕も、最初は記事の翻訳をしていたけど、映画のほうをやってみたら、そのほうが自分には合っているということに気づきました。可能性はどの方向に広がるかわからないので、最初から狭めずに、チャンスがあれば果敢にチャレンジしてみることをお勧めします。

取材協力

イアン・マクドゥーガルさん

 

日英映像翻訳者。1972年に大学を卒業し、75年に英会話講師として初来日。ジャーナリスト、特派員、通信社の日英翻訳エディターとして活躍するかたわら、字幕翻訳家の菊地浩司氏を通じて、洋画のヒアリングの仕事をはじめ、のちに日本映画の英語字幕を手がけるようになる。これまで英語字幕を付けた作品は500本以上。また日本語吹替版の監修、英語吹替版の演出、英語ナレーションの仕事などもこなす。

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