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漢字検定1級に合格したアメリカ人が考える、翻訳

非漢字文化圏で育った外国人として、初めて漢字検定1級に合格したブレット・メイヤーさん。
日英翻訳者として仕事をこなしながら、一方で漢字教育士として活躍の場を拡げています。
「継続は力なり」を座右の銘に、どのように他国の言語を極めていったのか、お話をうかがいました。

「漢字」はアート

例えばテレビなどの家電製品やビデオゲームなど、身近で使っているものの多くが日本製であることに気づいて、小さい頃からなんとなく日本という国に興味を持っていました。高校生の頃だったと思いますが、ある本を読んだんです。本の名前は“Dave Barry Does Japan”。著者のDave Barryはユーモアあふれる記事を得意とするアメリカのコラムニストで、この本は彼が日本を訪れて見聞きした日本文化や日常生活を書いたものでした。「日本人は本当に親切で、迷子になったとき、話せない英語を一生懸命使って、頑張って教えてくれた。本当に優しい人々、優しい社会だった」などということを読み、ますます日本に興味がわき、行ってみたいと思いました。1990年代のことです。

高校ではアニメーション部に所属していて、日本のエンターテインメントにも興味がありました。当時のアメリカではまだ、日本アニメのテレビ放送はそれほど多くはありませんでしたが、「ドラゴンボール」や「セーラームーン」が放映されていて、「ドラゴンボール」をよく見ていました。主人公の服の背中に“亀”の文字が書かれていて、あれを見て、日本だけでなく日本の言葉にも興味を持ちました。

漢字って、まず形が芸術的ですよね。それから多くの漢字はそれぞれに意味を持つ部分の組み合わせになっていて、そこにその漢字の意味が謎のように隠されている。子どもの頃から謎解きやパズル、アートにも興味があったので、日本の言葉にすぐに惹きつけられました。そこで本屋に行って、まず平仮名と片仮名の本を買ってきて覚えて、それから少しずつ漢字も勉強しはじめました。

高校では日本語の授業はありませんでしたから、独学で、最初は趣味のようなものでした。だから大学も専攻はコンピュータ・プログラミングだったんです。でも、どんどん日本語が好きになっていって、大学3年の秋に半年間、日本の大学に短期留学することに。

初めての日本は、面白かったですね。カルチャーショックはまったくなくて、すぐに馴染めましたし、本やテレビで見ていたことを満喫できて、うれしかったです。

アメリカで私が住んでいた町はとても小さくて、車がなければどこへも行けないようなところだったのですが、留学した大阪には何でもありました。住まいの近くに本屋さんやレストランが揃っているし、電車やバスなど公共交通機関も整っていて、すごくコンパクトに組み立てられているなと思いました。

大好きな漢字も街に溢れていました。あの頃はまだ漢字検定のことも知らず、知らない漢字が多かったのですが、街中の看板を見たりするのがとても楽しかったです。漢字が入っている商品があったら購入したり、写真を撮らせてもらったり。その日本での体験があったので、やはりもっと日本語を勉強したいと思い、アメリカに帰って専攻を日本語に変更しようと決めました。

その頃は東アジア研究の専攻ができたばかりで、クラスメイトの日本語力は、初級レベルが約15人、中級レベルは約10人、上級レベルは私1人でした。そんな状況だったので、アドバイザーの教授と一緒にカリキュラムを組み立てました。

翻訳は、謎解きそのもの

大学の専攻を日本語に変えて卒業後、とにかく日本に行きたかったので、日本の英会話講師の仕事を見つけて来日しました。そのときは2年ほどでとりあえず帰国し、アメリカで翻訳の仕事に出会いました。義姉が日本のマンガを翻訳出版する会社に勤めていて、マンガの日英翻訳をやらないかと言ってくれたんです。これをきっかけにフリーランスで翻訳の仕事を始めました。

大学の授業で『ハリー・ポッター』を日本語で読む、といったことはしていましたが、日本語の本を翻訳するというのは初めての経験でした。あの頃は漢字が難しかったですね。知らない漢字が多く、日本で買った電子辞書でいちいち調べていました。

でも翻訳の仕事はとても面白くて、自分には向いているなと思いました。英会話講師は人との出会いが多く、それが楽しみではありましたが、翻訳のほうは、この日本語をどんな英語にすればいいか、この気持ちを英語でどう表現すればいいか、私の好きな謎解きそのもの。そのパズルのような過程がとても好きになりました。

約2年間、アメリカで翻訳の仕事をしていましたが、やはり日本語をもっと上達させるためには日本に行くのがいいと思い、2008年1月に日本に来ました。翻訳の仕事はネット環境があればどこでもできるので、マンガの翻訳の仕事を続けながら、英会話講師の仕事も見つけました。

漢字検定との出会い

あるとき、英会話スクールの生徒さんから「そんなに漢字が好きなら、漢字検定に挑戦してみたら?」と言われて、漢字検定というものがあることを知りました。さっそくテキストを買って勉強し、8級は1回で合格。7級をスキップして、6級、5級は順調に合格しましたが、4級を受けたとき、あと1点で不合格になってしまったんです。とても悔しくて! でも、たった1点だから大丈夫だと思い、1年かけて4級の復習から、3級、準2級、2級の勉強をいっきに仕上げて、次はいきなり2級に挑戦して、合格しました。そして準1級は2回目で、1級は2012年に5回目で合格しました。

漢字検定の勉強でいちばん大事なのは、書き取りですね。2級までは、日本漢字能力検定協会が出版している書き取り練習用のノートがあるので、それを使ってそのレベルの新出漢字をすべて書き取り練習しました。それから熟語の書き取り練習。そのレベルで出題される熟語の意味をひとつひとつ辞書で調べて単語帳を作り、ひたすら書き写しました。上位級は難しいので、仕事が終わったら時間の許すかぎり漢字の勉強をしていました。1日できれば2~3時間、テストの1カ月前は5~6時間くらいでしょうか。漢字は、私にとってアートです。だから、どれだけ書いても疲れないし、飽きない。勉強するのは楽しかったです。

漢字を学んだことで、翻訳の仕事がスムーズになりました。漢字検定は漢字そのものだけではなく、さまざまな熟語や慣用句なども出題されるので、かなりの語彙力の強化になりました。知らない漢字や語彙を調べる時間を大幅にカットできたので、仕事の効率が上がりました。

曖昧な日本語を英訳するコツ

マンガの翻訳は2009年頃にやめることになってしまったのですが、その後、出会いがありました。英会話スクールの生徒さんが「日本語が上手ですね。私の会社にはこういう翻訳の案件があって……」と仕事を紹介してくれたんです。以来、実務系の日英翻訳を手がけるようになりました。社内のプレゼンテーション資料、会議の議事録、プレスリリース、企業のウェブサイトの英訳などの翻訳をしています。

マンガの台詞だと、難しい漢字にはほとんどフリガナが振ってあったのですが、ビジネスの書類にはまずフリガナが付いていません。漢字検定1級を取った今では、知らない漢字に出くわすこともほとんどなくなりましたが、以前は調べるのが大変でした。

もうひとつ難しいのは、単語はすべてわかるのに、その文章が何を表現しているのか理解できないときです。日本語は曖昧なところが多いですよね。例えば、主語が省略されているとか。特にインタビューの会話文では、文脈にいろいろと欠けているところがあるので、「この人は何を言いたいのか?」と探偵のように推理しないといけないことがあります。

でもこれは、翻訳の難しいところでもありますが、翻訳者にとっての楽しみでもあります。この人は何を言っているのか、英語でどう表現すればよいか、謎を解くことが楽しいです。曖昧な表現など、難しい文章が出てきたら、まずは知っている単語でも改めて辞書を引いて類義語などを探し、理解を深めます。それから、その文章を何度も繰り返し読むことが大事です。繰り返し読むうちに、何となくイメージがわいてきます。

それから日本語では曖昧に書いてあるとしても、英語ネイティブにははっきり書かないと伝わりません。例えば、日本語では主語や固有名詞を省略していても、英語では書き加えてはっきりさせます。あと、これもよくあることですが、日本語は1つの文章がとても長いんです。英語にするときは適切に切って複数の文章に分けるとうまくいくことが多いです。

英語の文法は考えることではなく感じることが大事です。ルールとして考えている段階ではダメで、英語の文法が自然になるまで繰り返し英文を読んだり書いたりしてトレーニングすることが必要だと思います。最近はインターネット上で生の英語のコンテンツがたくさんあります。アメリカのドラマや映画が誰でもいつでも観られますし、台本をダウンロードできるサイトもあります。そういったものを教材として活用するといいと思います。

ラジオで漢字を紹介

本業は翻訳ですが、最近は地元のラジオやテレビの番組で漢字を紹介しています。例えば、こんな感じです。「こんにちは。今日の漢字は”thanks”、つまり『感謝』の“謝(あやまる)”です。この漢字の成り立ちは、『ごんべん』に身体の『身』に『寸』。『身』は実はカラダとは関係なく、弓矢の形が変化したもの。『寸』は人の手。人の手が弓矢の糸を引っ張って、その緊張を緩めて矢を放つのが“射”。その緊張を緩めるイメージに、言葉を表す『ごんべん』を組み合わせると“謝”になります。つまり言葉で緊張を緩める、それが“謝(あやまる)”ということです」。

実は、漢字検定では漢字の読み、書き取りだけでなく、6級からは対義語・類義語、5級からは四字熟語、準1級からはことわざなどの問題が出題されます。でも、なぜか漢字の成り立ちについての問題はないんです。ですから、私が漢字の成り立ちについて勉強しはじめたのは漢検1級に合格した後です。

ラジオで解説をするようになって、日本人の皆さんからよく「(漢字の成り立ちなんて)知らなかった。学校ではただ漢字を丸暗記しただけだから」と言われます。私はびっくりしました。なぜなら、日本人なら漢字の成り立ちは小学校や中学校などで勉強していると思っていたからです。

私は、漢字ほどではないですが、中学生の頃から英単語にも興味があって、高校ではラテン語を勉強していました。英単語も漢字のようにパーツの組み合わせでできていることもありますが、ラテン語が語源の単語も多いので、ラテン語を勉強すると英単語の成り立ちが見えてきたりするんです。

お気に入りの「漢字」と「言葉」

最近は「峯」という漢字が気に入っています。もうひとつ、「峰」がありますよね。パーツは一緒、読みも意味も同じなのに異体字がある。面白いです。私は、左右対称で「山」を上に載せている「峯」のほうが好きです。このような異体字は他にも「島・嶋・嶌」「高・髙」などがあります。漢字には一つ一つ、それぞれのストーリーがありますが、異体字は人の間違い、人の手癖、書道の手癖などから出てくるようですね。たまに地域により違いが出ることもあるようです。

言葉では、「継続は力なり」(英訳:Perseverance pays dividends.)が好きです。それから「蒔かぬ種は生えぬ」(英訳:You never know unless you try.)。以前はいつも次のレベルに行くのが、とても怖かった。特に初めてラジオに出たときや、初めてテレビの生放送に出たとき、本当に緊張した。でも、やってみないと、どうなるかわかりませんよね。

私は漢字検定1級に合格しましたが、もし「日本人でも難しいと言われている1級だから私には絶対に無理」と諦めてしまっていたら、ラジオやテレビに出演することもなかったでしょう。まさに「蒔かぬ種は生えぬ」です。とにかく挑戦してみよう。怖くてもやってみよう。やれば誰でもできるはずだ。と、そんな気持ちで新しいことにもどんどんチャレンジしています。

2010年から、漢字検定に満点で合格すると「満点賞」の賞状がもらえるようになり、私はこれまでに10、9、8、7級の「満点賞」をもらいました。さらに上の級を狙っています。漢字教育士として小学生や中学生に教える機会もあるので、とりあえず中学生レベル(3級)の漢字をパーフェクトにして、もっとうまく教えられるようになりたいですね。

それから、テレビやラジオでもっと漢字を紹介したいです。私が漢字について話すと、日本人は私の知識には感動してくれるけれど、漢字に対するリアクションはそれほどでもない。私のような漢字マニアじゃないからリアクションが薄いのでしょうが、私自身がもっと漢字の知識のパッケージを増やして、豆知識などを入れて効果的に説明できたら、感動してくれる人も増えるんじゃないかと思います。単に漢字の説明をするだけでなく、皆さんを楽しませられるように、ジョークを交えてアドリブで受け答えできるようになりたいですね。今はオヤジギャグくらいしか言えません(笑)。

取材協力

ブレット・メイヤーさん
アメリカ・ニュージャージー州出身。静岡県浜松市在住。子どもの頃から日本に興味を持ち、高校ではアニメーション部に所属、独学で日本語を学び始める。大学ではコンピュータ・プログラミングを専攻するも、日本への短期留学を経てますます日本に興味を持つようになり日本語専攻に変更。大学卒業後に来日して英会話講師に。2年後に帰国し、マンガの日英翻訳に携わる。2008年に再来日、英会話講師をしながら翻訳の仕事を増やしていく。2012年10月、非漢字文化圏出身者として初めて日本漢字能力検定1級に合格。ことわざ検定2級も取得。現在は実務系の日英翻訳を中心に、漢字教育士としてラジオやテレビで漢字の解説を行うなど幅広く活躍している。通称は「ぶ先生」。

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