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原文を生かしつつ、いかに子どもに寄り添って訳すか

新聞記者にあこがれ、編集者として忙しく働き、常に言葉と向き合いながら歩んできたこだまともこさん。
最終的にたどり着いたのが児童文学の世界では、ロングセラーの本をたくさん生みだされています。
翻訳者として、児童文学を翻訳する際の注意点などをうかがいました。

新聞記者を目指して

生まれて初めて”翻訳”をしたのは中学生のときでした。英語教育に力を入れているミッション系の学校だったので、クリスマスの礼拝に朗読する詩を訳すように先生に頼まれたのです。どうも出来が悪かったらしく、実際には使われなかったんですけどね。実は中学生の頃、英語の成績はそんなによくなかったんです。皆さんまわりがすごくよくできる方ばかりだったので、私は中くらいのクラスでした。でも国語の成績がよくて、国語の先生の推薦で私が訳すことになったのですが、初めての翻訳は難しかったです。英語の意味はわかるけれど、どうやって訳したらいいかがわからなかった。でも、難しかったですが翻訳って面白いなとそのとき思いました。

 

大学は英文科に進みました。新聞記者になるのが夢だったので英字新聞部に入ったのですが、そしたらそこに翻訳のアルバイトがけっこうくるんです。ユニークなところでは、洋裁で使うパターンの翻訳とか。映像の日本語版制作会社からのアルバイトもありました。シノプシスやノベライズ小説の翻訳をした記憶があります。実は、就職活動のとき映像制作会社の採用試験も受けて、合格したんですよ。でも、基本的に仕事は自宅で、出社は週に2回ほどでいいと言われて……。今考えれば、とてもいい条件なんですが、そのときは「毎日行かなくていいの? つまらない」と思って、もう1社合格していた出版社のほうを選んだんです。

 

出版社に勤めはじめると、その同期の友人に童話が好きで創作をしている人がいたんです。いろいろと話を聞くうちに興味がわき、自分でもやってみたくなって同人誌の会に入りました。「こだま児童文学会」という伝統ある同人誌会で、作家の乙骨淑子さん、宇野克彦さん、山下明生さん、柴田道子さん、奥田継夫さん、翻訳家の掛川恭子さん、北畑静子さんなど、後に児童文学界を背負って立つ方々が先輩に大勢いらっしゃいました。私はそこの若手メンバーとして、最初は創作をしていたんです。そのうちに出版社の方に、「英語ができるのなら翻訳をしてみませんか」と声をかけられて、それを引き受けて出版されたのが『うさぎさんてつだってほしいの』『バーバ・ヤガー』『きみなんかだいきらいさ』の3冊でした。

 

訳書だけではなく、創作のほうの初作が出版されたものちょうどこの頃で、『3じのおちゃにきてください』という作品が1977年に出版されました。子どもの本はロングセラーになることが多いのですが、この本も訳書のほうも、ありがたいことに30年以上経った今も書店に並び、子どもたちに楽しんでもらっています。

 

勤めていた出版社は残業が多くて目がまわるほど忙しく、一度別の出版社に転職したのですが、その会社が倒産したのをきっかけに、児童文学の道いっぽんに絞ることにしました。

「大人の本」と「子どもの本」

私自身の考えですが、大人の本というのは原文にどれだけ肉迫できるかが勝負だと思うんですね。日本語が破綻しないというのが条件ではありますが、できる限り原文に近づけるように訳すのが基本ではないかと。それに対して、絵本や小学生向けの読み物の場合は、読者に寄り添うように訳すのが基本です。そこが、ほかのジャンルの翻訳と児童文学の翻訳とで、いちばん違うんじゃないかと思います。子どもの本をあくまで原文に忠実に訳してしまったら、何を言っているのか理解できなかったり、子どもが面白いと思う本にならないこともあります。もちろん作者の言いたいことや、どんな気持ちで書いたのかを十分にくみ取ったうえでですが、原文を生かしつついかに子どもに寄り添って訳すか、というのが児童文学の翻訳の面白いところであり、難しいところでもあると思います。

 

一般的には、子ども向けの英文は簡単そうというイメージがあると思いますが、それも困ったもんですね(笑)。翻訳というのは2つの仕事で成り立っていると思うんです。1つは英語を読むこと、もう1つはそれを日本語にすること。英語を読むという点では大人の本のほうが難しいでしょうが、それを日本語にするのは、子どもの本のほうが難しい。しかも読者年齢が低くなればなるほど難しいと思います。

 

それから、英語を読むのは大人の本のほうが難しいと言いましたが、一概にそうとは言い切れない部分もあります。例えば、英語ネイティブではない私たちが英字新聞を読むとき、高級紙は難しい単語も出てくるけれども学校で学んだ文法的に正しい英語なので読みやすく、一方大衆紙は難しい単語は出てこないけれども口語的な表現だったり俗語が出てきたりして内容が理解できない、ということがあります。子どもの本でも、その国に暮らす子どもにわかりやすいような身近な例や言葉が使われていると、日本に住む私たちには馴染みのないことがあり、そういうところを理解するのはなかなか難しいものです。

 

子どもの本はロングセラーになることも多いのですが、流行り言葉というのがありますよね。子どもの本の中でもヤングアダルトの場合は、その時代の子どもらしさを出すために、若者が使う言葉を取り入れたりします。ただ、若者ことばは定着するものもあれば、あっという間に廃れてしまうものもあり、そういう言葉を使っていると作品時代も色あせてしまうので、そのへんは編集者とよく話し合いながら、どういう言葉を使うか決めていきますね。

 

その点、絵本や小学校低学年向けの本では、あまり考えなくていいんです。オーソドックスな、ちょっと古めかしい言葉を使ってかまわない。古い言葉って、児童文学の中で生きていて、受け継がれていくという部分があるんです。例えば”たいそう”なんて言葉、大人でもほとんど使わないでしょう? でも小学生は作文でそういう言葉を使うそうなんです。「たいそう大きなお屋敷がありました」とか、「たいそうきれいな花が咲きました」とか。作品の中でそういう伝統的な言葉が生きていて、受け継がれていく。それもまた児童文学の役割ではないかと思います。

 

児童文学の翻訳では、英語がよくわかることはもちろん大切ですが、児童文学をよく知っていることのほうがより重要なんです。ミステリーやノンフィクションなど他のジャンルでもいえることですが、その分野の過去の名作や、いま人気のある作品をしっかり読んでおいてほしいと思います。その意味でも、その分野が好きであることがまず大事ですね。

活躍する教え子たち

編集者の方は児童文学に詳しい人を探しているわけですが、英語を得意な人を探すよりもさらに難しいみたいですね。ですから、私のように児童文学の翻訳者を目指して翻訳学習中の方と接点があると、リーダーや翻訳者の紹介を頼まれることがよくあります。

 

ある大手出版社の編集者の方に頼まれて、私がフェロー・アカデミーで担当している「こだま特別ゼミ」の受講生をリーディングスタッフとして数名ご紹介したときのことです。私が別の用事で出版社に出向いた折に呼び止められて、そのなかの一人に「武富博子さんのシノプシスがとてもよかったので、いずれは翻訳をお願いしたいと思っているんですよ」と言われました。実際、武富さんはその後、この出版社から初の訳書を出し、また他の出版社からも仕事を受けるようになって順調にがんばっています。特別ゼミの大塚典子さんや奥澤朋美さんもリーディングの仕事ぶりを認められて翻訳者になりましたが、この二人は翻訳だけでなく、作者としても本を出しています。

 

その他にも、ベストセラー『ヒックとドラゴン』シリーズの相良倫子さんや大塚道子さん等、特別ゼミには翻訳者として活躍している方が多いのですが、あるとき出版社から、AからZまで全26冊あるミステリーシリーズの翻訳者を探していると相談を受けて、八木恭子さんを紹介しました。試訳がよかったので翻訳者に採用されたのですが、翻訳者に決まったので、26冊のうちまだ残っている分のリーディングをすることができなくなり、今度は「こだまゼミ」の受講生を紹介して、その方が残りのリーディングをすることに。この方のシノプシスもよい評価をいただいて、次の企画が通ったらぜひ翻訳をしてほしい、という流れになりました。

「シノプシスはエントリーシート」

受講生にもよく言うのですが、シノプシスは就職試験のエントリーシートのようなものです。原書をきちんと読んで、誤字脱字なくまとめ、締切を守り、相手が満足する内容に仕上げることができれば、いずれは翻訳者として仕事を依頼される可能性が出てきます。私のクラスでも、いちばん上の特別ゼミになると、授業時間の3分の1は作品全体をみんなで討論する時間に充てています。作品をどのように読み込み評価するのか、そしてそれをどのようにシノプシスにまとめて編集者に伝えるかが重要であり、それが翻訳の仕事への第一関門になるのです。

 

出版社にリーディングスタッフとして紹介したら、私の仕事はそこまでだと思っているので、そこから先は本人次第です。紹介したみなさんが武富さんたちようにうまくいったわけではありません。次第にリーディングの依頼が来なくなって、編集者とのつきあいが終わってしまった方もいるようです。せっかく編集者と知り合いになれたのですから、依頼が来るのを待つだけでなく、自分で面白い本を探して、シノプシスを書いて、積極的に持っていけばいいと思うんです。この人は一生懸命本を読んでいるな、がんばっているな、と思ってもらえるかどうかも大事です。それから、一般的なビジネスと同じように、きちっと気持ちよく編集者とつきあえるか、約束を必ず守るか、といったことも大切だと思います。

 

それから、最初の仕事が決まったら、第1作は絶対に失敗しないことです。最初につまづくと仕事はもう来ませんから。児童文学の世界は狭いので、パーティなどで顔を合わせると編集者さん同士が情報交換をしているのを見かけます。「あの翻訳者さんはどうでしたか?」「仕事はやりやすかったし、訳文もよかったですよ」そう言ってもらえれば、次の仕事につながります。それが逆だったら……。私自身、第1作目は同人誌の先輩が見てくださいました。私も自分が紹介した場合は、必ず第一稿は責任を持って見るようにしています。

人の意見を柔軟に聞き、吸収すること

児童文学の翻訳者を目指している方は、洋の東西を問わず、たくさんの本を読むようにしてください。それから、私もこれまでに多くの学習者の方を見てきましたが、自分の訳文を批評されたり、添削されたりした場合、それを素直に聞ける方は伸びていきますので、講師や同じ教室の仲間の意見を聞く耳を持って、吸収するようにしてほしいと思います。

 

ときどき「ここは、こういう理由でこうしたんです」と頑なに反論する方がいらっしゃいます。実際に仕事を始めても、編集者から「ここはどうも……」と言われることがしょっちゅうありますが、それに対して反論しても始まりません。私は、編集者は最初の読者だと思っていますので、編集者の指摘は読者が読んだときに感じることだろうなと思い、なにかしら別案を考えるようにしています。柔軟に人の意見を聞き入れ、それをどんどん吸収していくことが、力を付けていく近道だと思います。

取材協力

こだまともこさん

児童文学翻訳家。『クレンショーがあらわれて』(フレーベル館)、「ダイドーの冒険」シリーズ(冨山房)、『ウサギとぼくのこまった毎日』『ふしぎなしっぽのねこ カティンカ』(徳間書店)、『ビーバー族のしるし』、『テディが宝石を見つけるまで』(あすなろ書房)、『スモーキー山脈からの手紙』(評論社)、『ぼくが消えないうちに』(ポプラ社)など訳書多数。

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