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機械翻訳は翻訳者のライバルであり、味方でもある

関西大学外国語学部の教授として翻訳学を研究する山田優さんのインタビューです。
山田さんの研究テーマは「翻訳のプロセス研究」。人間が翻訳するとき、脳がどのように働いているのかを研究しているそうです。この研究の成果は、人工知能(AI)を搭載した最新の機械翻訳の開発にも役立てられるといいます。
実用化に向け、さらなる高みを目指して着々と開発が進んでいる機械翻訳。その現状はどのような段階なのか、また翻訳業界にどのような変化をもたらすのか、山田さんにお話をうかがいました。

機械翻訳は人工知能の時代へ突入
さらなる進化を目指す

機械翻訳の開発は、1950年代から60年代にかけて行われていたアメリカの国家プロジェクトが始まりだと言われています。米ソの冷戦時代、アメリカ国家がロシア語をすばやく解読するために機械翻訳を開発しようとしたのです。機械に文法を学ばせれば翻訳できるだろうという発想で、いわゆる「ルールベース」と呼ばれるものでした。しかし、翻訳者の皆さんならご存じのとおり、文法を当てはめて、単語を置き換えるだけでは翻訳はできません。それで、目的は達成されないまま国家プロジェクトは終焉を迎えることになります。

 

その後も世界中の研究者が細々と機械翻訳の研究を続けます。日本でも1982年に科学技術庁が機械翻訳プロジェクトを始動させました。京都大学や、富士通などの大企業も多数参加して、1985年まで研究開発は続けられました。ここで取り入れられたのは「用例ベース」です。現在の翻訳支援ツールの考え方と似ているのですが、原文と訳文のペアがいくつもあり、その中から似ている部分を選び出し、利用するというものです。

 

そうこうしているうちにインターネットの時代が到来し、機械翻訳は飛躍的に進歩することになります。それまでは元となる用例の数が限られていたのに対し、インターネットを活用することで大量の用例を集めることが可能になり、それを使った「統計ベース」の機械翻訳が登場したのです。これが2006年に登場したGoogle翻訳です。機械翻訳の歴史においては革命的な出来事でした。

 

この「統計ベース」の機械翻訳は、データの量が増えれば増えるほど精度が上がると予測され、機械翻訳の実用化が一気に進むのではないかと期待されていました。ところが、データをどんどん投入していっても、あるレベルにまで達するとそれ以上は精度が上がらないことがわかってきたのです。そこで、「統計ベース」にもう一度昔の「ルールベース」を組み合わせたハイブリッドタイプを試すなど、さまざまなものが模索されました。しかし、なかなかうまくはいきませんでした。

 

その壁を破ったのが、またしてもGoogleでした。実は、日本でも2016年からGoogle翻訳は次なる段階へと進化しています。今度は「ニューラルネット・マシン・トランスレーション(ニューラルネット機械翻訳、略してNMT)」と呼ばれるもので、いわゆるAI(人工知能)を使った仕組みになっています。

 

AIを使った仕組みとは、人間の脳が物を認識する過程を人工知能で再現し、翻訳に応用しているということです。例えば、目の前にコーヒーがあったとして、われわれ人間は「黒いもの」「液体」「苦いもの」「飲むもの」などさまざまな側面から目の前のものを認識します。それぞれの特徴は分散され、脳の中に無数にある神経細胞(ニューロン)に格納されます。1つのニューロンの中には1つの特徴だけしか格納できません。そして脳はその先の階層で、「黒いもの」は「どのくらい黒いのか」を判断し……と、このように幾重にもなった階層で脳は複雑な事象を認識していきます。それで、次にまた黒い液体を見たとき、脳に蓄積された情報によりニューロン同士が結びついて「これはコーヒーではないか」という判断を下すのです。

 

人工知能にもいろいろな考え方がありますが、これはディープラーニング(深層学習)という考え方です。統計ベースの機械翻訳の段階まででは、原文と訳文の二階層しかなかったのに対して、ニューラルネット機械翻訳では、さらに深い階層や複雑に分岐した階層にまで入り込んで認識が行われるように設計されているというわけです。

 

たとえば「僕たちは同じ釜の飯を食べた仲である」という日本語の文章を英語に翻訳するとします。人間が翻訳するとしたら、このような思考になるのではないでしょうか。

 

「直訳すれば“We are the friends who ate rice from the same rice cooker.”だが、果たしてこれで通じるだろうか? 意訳して“We are best friends.”とするのはどうだろう?」

 

ここで“We are best friends.”という訳にたどり着けるのは、「同じ釜の飯を食べた仲」と「親友である」というのが共通の特徴を有していることを人間は学習によって知っているからです。AIによる機械翻訳であれば、人間の思考と同じような、このような翻訳が可能になると期待されています。もちろん、まだ開発段階で完全に人間の脳を再現できているわけではありませんが、機械翻訳はAIの時代に入ったことは確実で、Googleだけではなく世界中の開発者がAIを取り入れた開発を進めていますので、近い将来、世界中で新たな機械翻訳が出てくるのは確実だと思います。

Translation for everyone
機械翻訳が翻訳市場を拡大する

現状で最も進んだ機械翻訳はニューラルネットを取り入れたGoogle翻訳であることは間違いありませんが、これは常にインターネットに繋がっていますので、多くの企業は機密保持の観点からGoogle翻訳を使うことに積極的ではありません。

 

一方で、統計ベースの機械翻訳のほうは、例えば自社に過去に翻訳したマニュアルの原語と訳語のセットがあれば、そのデータをもとに自社専用の機械翻訳システムを構築することは難しくありません。蓄積しているデータ量が豊富であればという条件付きですが、技術的にはかなり精度の高いものができます。ただ、だからといってそれがすぐに普及するかというと、それは何ともいえません。私自身は数社のプロジェクトに関わってきており、実際に導入事例を目撃してきているので「導入されつつあります」と言えなくもないですが、世の中全体では、まだそれほど進んでいないといったところでしょうか。

 

なぜなら、これは私個人の見解ですが、これまで翻訳会社に翻訳を発注していた会社が、簡単に機械翻訳に切り替えるということは、あまりないように思います。それは精度だけの問題ではなく、人間の行動原理として、あるいは企業文化として、そう簡単に変えることはないと思うからです。もちろん、機械翻訳が画期的に良くなったら別でしょうが、今はまだ、そういう段階ではありませんから。

 

たとえていえば、こういうことです。歯磨きの代わりにうがいをするだけで同じ効果が得られる薬が開発されたからといって、これまで当たり前のように歯磨きをしてきた日本人全員がすぐにうがい薬に移行するかといえば、そうはならないですよね。歯磨きのままでも特に不都合はないから、習慣化している歯磨きを続ける人も多いはずです。しかし、そもそも歯磨きの習慣がなく、虫歯で苦しむ人が多くいた未開の地の住人にうがい薬を配ったら、爆発的に普及するかもしれない。

 

それを翻訳業界に置き換えて考えると、今まで翻訳会社に依頼してきちんと翻訳者に翻訳してもらっていた会社がすぐに機械翻訳に移行することはあまりないといえます。今までどおりの翻訳者の翻訳にある程度満足していて、まだ機械翻訳に切り替えるメリットをそれほど感じていないでしょうから。しかし一方で、「翻訳したい文書はあるけれど、コストがかかるからやめておこう」「そもそも翻訳ってどうやって依頼すればいいのかわからない」といった会社もあったはず。いや、むしろそういう会社のほうが多いはずです。そういう会社にこそ機械翻訳が役立つことでしょう。Translation for everyoneです。そういった層に機械翻訳はより速く浸透していくような気がしています。翻訳市場を機械翻訳が喰うのではなく、拡げてくれるかもしれない。もちろん機械翻訳の精度がもっともっと上がれば、既存の翻訳市場を喰う可能性も大いにあるので、翻訳者はそのための準備をしておく必要があると思いますが。

 

機械翻訳が浸透しやすい分野を具体的に挙げると、例えば、クライシス・シナリオ、つまり危機発生を想定したシナリオに、機械翻訳が活用されています。1995年に起きた阪神淡路大震災のときに、外国人の死亡率が日本人の約2倍だったというデータがあります。避難所はどこか、食料や水がどこで配布されるか、そういう情報が日本語と英語では出されていたのですが、英語がわからなかった外国人には情報が届かなかったからです。インターネットが普及した今、役所が出す情報が機械翻訳により瞬時に数カ国語に翻訳されるようになれば、被害を減らすことができます。そういうところでは、どんどん導入が進んでいます。

 

機械翻訳の際には、機械翻訳に入れる前の原文を編集するプリエディットと、機械翻訳が出してきた訳文を編集するポストエディットという仕事があり、ここは人間が受け持つ仕事です。例えば先に紹介した、役所がホームページ上に出す情報を数カ国語に機械翻訳するような場合は、機械が翻訳しやすいように、短く簡単な構造の原文を書いておくというプリエディットが重要になってきます。

 

ポストエディットに関しては、翻訳会社が翻訳者に依頼するとき、必ず最後にチェッカーが訳文をチェックしますよね。その工程と同じだと言えます。人間の翻訳でも100%ということはまずなく、誤字脱字、訳抜け、解釈の間違いなど、何かしらミスがありますから。機械翻訳の場合は、そのミスの種類が人間の翻訳とはちょっと違って、だいたいうまくできているのに、ときどき辻褄の合わないトンチンカンな訳が出てきて、チェッカーさんが怒っちゃう、という感じでしょうか(笑)。

 

機械翻訳の開発が進んだ場合、既存の翻訳者の仕事がなくなる可能性は、ないとは言えません。翻訳者にもいろいろ特徴やレベルの違いがありますから、機械翻訳の精度が翻訳者を上回ることは十分に考えられます。そんな時代ですから、翻訳者はただ目の前にある文書を正確に翻訳するだけでは生き残れません。グローバル化の中で求められる翻訳を提供するためには、単なる翻訳スキルだけではなく、言語学、テクノロジー、文化論などを総括的に身につけ、総合的な視点でものを見て、最適な翻訳サービスを提供できる翻訳者になる努力が必要ではないかと思います。

脳科学から社会学や文学まで、翻訳学の守備範囲は幅広い

私が研究している翻訳学は、翻訳研究(Translation Studies)ともいうのですが、日本では古くから確立されていたわけではなく、文学や言語学、認知科学などさまざまな分野とクロスオーバーした学際的分野として始まり、徐々にそこから独立してきました。私自身が研究しているのは、ひとつは「翻訳プロセス研究」と呼ばれるものです。翻訳者が翻訳するとき、頭の中で何を考え、脳のどの部分を動かしているのか。あるいは物理的に、どこに視線を向け、どういうキーボードの打ち方をしているのか。また、これらのことが翻訳のプロと素人では、同じなのか違うのか。このようなことを研究しています。

 

また、この分野で翻訳を歴史学的に研究している人もいます。翻訳や通訳を歴史的にみたとき、例えば聖書がこう訳されたから後々こうなったとか、三蔵法師がインドから仏典を持ってきてどうなったとか、翻訳や通訳を歴史的に研究することで見えてくることがあります。

社会学的側面から研究する人もいます。中国での話ですが、日本語の雑誌やゲームの中に「貧乳」という言葉が出てきて、中国語にはそれに対する単語がなかったので意味を直訳したところ、その言葉が爆発的に知れわたり、定着していったそうです。翻訳がその国の文化に変化をもたらした一例です。そのような研究分野もあります。

 

翻訳家の方が、ご自身が体得した翻訳スキルを翻訳論として書籍にまとめることもありますよね。文学研究の一環として「文学と翻訳」をテーマに語る人もいます。そういうものもすべて広義で翻訳学、翻訳研究といえます。

 

私が最近、力を入れているテーマとして、「翻訳を言語教育に取り入れられないか」という研究があります。英語を学ぶときに、日本語使用を禁止して、英語しか使わないようにするというやり方がありますよね。でも、いわば語学のプロの頂点にいるといえる通訳者や翻訳者は、英語と日本語の両方を高い次元で駆使しています。だとすると、英語を学ぶときに日本語を使ってはいけないという考え方は、果たして正しいのかどうか? また「英語ができることと翻訳ができることは違う」ということもよく言われますが、それが本当に正しいのかどうか? それを脳の働きから科学的に実証しようとしています。

 

まず、「話し言葉」と「書き言葉」で脳の働く場所が違うことがわかっています。「書き言葉」はどんな言語でも「複雑な処理をする」ということでまとまり、脳の同じ場所を使います。一方で日常会話のような比較的簡単な「話し言葉」の場合は、英語と日本語では使用する脳の場所が違うんです。だから、簡単な英会話を学ぶ段階で日本語使用禁止というのは理にかなっている。鍛えるべき脳の場所が違うのだから。

 

ところが、同じ会話でもちょっと込み入った話、専門的な話になってくると、書き言葉と同じように「複雑な処理をする」ことになり、英語と日本語で使用する脳の場所は同じになるんです。英語がそれほど得意でなくても、専門分野の話であればだいたいの内容は直感的にわかる、ということがありますよね。それは処理をする脳の場所が同じだからということで、説明がつくわけです。

 

「書き言葉」という複雑な言語処理を行う脳の部分があると言いましたが、翻訳者が翻訳するときその部分を使っているのはもちろんのこと、ときに脳の他の部分も動かしていることがわかっています。例えば、複雑な機械のしくみを説明する文章を訳す場合、翻訳者はただ字面を追って訳しているだけではなく、原文を読み取り、その機械のしくみを想像し、頭の中で視覚化しながら訳していくことがあると思います。その場合は視覚やイマジネーションの処理を行う脳の部分も動かすことになります。

無難な翻訳をしているだけではライバルに負ける

私はもともと言葉や語学に興味があり、アメリカの大学に進学しました。卒業後は現地の自動車会社で通訳者として働き、日本帰国後は外資系自動車会社で社内通訳翻訳者として勤めました。そのうち部内での仕事が通訳・翻訳から、英語は使うのですが自動車開発のプロジェクト・マネージメントのほうに移行していき、マネージメントの勉強をみっちりとさせられました。大きな仕事ですし、面白さはあったのですが、言葉が好きなのに仕事は言葉からどんどん離れていってしまい……。そこで転職を考え、プロジェクト・マネージメントの知識と語学を生かせる仕事ということで、ITローカリゼーションのプロジェクト・マネージャーという仕事を選んだんです。

 

ITローカリゼーションの会社で翻訳支援ツールなどを使用するようになり、自分でもいろいろ勉強しようと情報を集める中で、日本通訳翻訳学会の存在を知りました。そこに翻訳学を研究している人たちがいて、面白いな、自分でもやってみたいなと思うようになったんです。 結局、社会人として10年ほど働きましたが、2007年に立教大学大学院に入り翻訳学の研究を始めると同時に会社は辞めました。ただ研究だけに偏りたくなかったので、翻訳ラボという翻訳会社を立ち上げ、翻訳の実務にも関わりながら研究を進めました。研究を続ける中で、いろいろな大学から声を掛けていただき、2015年からは関西大学外国語学部で教えています。

 

大学では、ゼミの学生といっしょに「悪態的」字幕翻訳に挑戦しました。かの名作『ローマの休日』に関西弁の字幕を付けたんです。この「悪態的」“abusive”というのは、ミシガン大学のマーク・ノーネス教授が唱えているのですが、「従来のルールにとらわれない」ということを意味しています。アメリカでは、世界中のあらゆるものが、まるではじめから英語で書かれたかのように、流ちょうな英語に翻訳されています。これをドメスティケーションというのですが、あまりにもアメリカナイズされていて、読者はもはや異国のものを読んでいると気づかない。果たしてこれは良いことなのか。アメリカ人はもっと外の世界に敏感にならなければいけないのではないか。もっと「悪態的」な翻訳があってもいいのではないか、と。

 

同じようなことが日本でも言えるのではないかと思います。例えば書籍の翻訳では、だれもが理解できる、わかりやすい表現が求められますが、それは無難なところに落ち着いているという見方もできると思うんです。もちろん、そのような翻訳をすることは大変なスキルがいることなのですが、機械翻訳に翻訳者の仕事が取られるかもしれないと危機感を感じる時代が到来した今、人間に求められている翻訳はもしかしたら「悪態的」な翻訳ではないかと。

 

字幕に方言が使われることなんてまずないけれど、「方言だって使ってもいいじゃないか!」「僕たちがあえて使ってみようじゃないか!」ということでこの挑戦が始まりました。もちろん単に関西弁だと面白い、ということではありません。通常、字幕は映画を理解するための黒子的な存在で、目立ちすぎないほうがいい、それこそ無難なほうがいいとされがちですが、そうではなく、「翻訳で僕たちがこの作品に付加価値を付けることができないか」という発想から関西弁バージョンを考えついたのです。作品の中に「コロシアムに住んでいます」という字幕があるのですが、関西弁バージョンでは「大阪城に住んでいます」と置き換えています。字幕が主役になるくらいの翻訳を、という意気込みで完成させました。

 

翻訳者を目指している方は、まず前提として、勉強するのは当たり前。翻訳者であれば、勉強は一生やり続けるものだと心得ていただきたいし、目指す分野に関する深い知識も絶対条件として必要です。そのうえで、機械翻訳という、いわば翻訳者にとって「ライバル」とも言える存在が現れた今、翻訳者であれば翻訳に関するあらゆる情報を、機械翻訳や翻訳支援ツールなどを含めて、すべて知っておくくらいの意気込みが必要だと私は思っています。

 

AIを駆使した機械翻訳は、もうすぐそこまで迫ってきています。「ライバル」といいましたが、ライバルはときには「味方」にもなります。翻訳者が機械翻訳と一緒になって大きなプロジェクトを動かす時代がまもなくやってくるでしょう。そこで活躍できる翻訳者になるためには、ライバルの実力がどのくらいなのか、自分がライバルに勝っているのはどういう点か、といったことを知っておく必要があります。私も業界団体の雑誌やイベントなどで情報を発信していますので、ぜひそういうことに敏感になって、今後の動向に目を向けていただきたいと思います。

 

これからの時代、無難な翻訳をしているだけではライバルに負けてしまいます。翻訳で世の中を変えるくらいの気持ちで、翻訳者として自分がやらなきゃいけない翻訳とはどういうものか、そういうことを考える翻訳者が一人でも多く出てくることを願っています。

取材協力

山田優さん

ウエストバージニア大学卒業後、アメリカの自動車会社で通訳として働く。日本に帰国後、外資系自動車会社で社内通訳翻訳者、自動車開発のプロジェクト・マネージャーの職に就く。ドキュメント制作会社でローカリゼーションのプロジェクト・マネージャーとして勤務した後、2007年に立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科に進む。関西大学外国語学部/外国語教育学研究科教授。日本通訳翻訳学会(JAITS)理事。

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