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字幕翻訳は制限があるからこそ面白い

劇場公開映画の字幕翻訳者として、年間30本前後を訳している石田泰子さん。
「映画の字幕は書き言葉であり読み言葉である一方で、やはり生身の人間の話し言葉なので、生き生きと訳さなければいけない」と語ります。
字幕翻訳家になろうと思ったきっかけや、字幕翻訳を勉強中の方へのアドバイスなど、お話をうかがいました。

字幕翻訳は、英語と映画がぴったり結びつく仕事

中学で出会って以来、英語はずっと好きな科目でした。英語に関する仕事をしたいと思い、就職先も英語を使う仕事を選びました。しかし就職はしたものの、しばらく経つと「私の居場所はもっと他にあるんじゃないか……?」と感じるように。その頃、仕事が終わると2本立て400円の、いわゆる名画座と呼ばれる映画館に足繁く通っていました。映画好きの母の影響か、私も映画が大好きだったのです。 

 

そしてある日突然、映画を観ている最中に閃いたんです。この字幕を翻訳することを仕事にしている人がいるんだと。「そういえば、映画の冒頭に出てくるあの名前、“清水俊二さん”“高瀬鎮夫さん”。それが翻訳をしている人の名前だったんだ。これだ!」と思いました。 

 

英語と映画がこんなにぴったり結びつく仕事があったなんて。そのときから、どうすれば字幕翻訳者になれるのか、いろいろと調べ始めました。

石田さんの翻訳作品『バーン・アフター・リーディング』
石田さんの翻訳作品『バーン・アフター・リーディング』

「映画の翻訳は言葉を訳すのではない。セリフの心を訳すものだ」

インターネットもない時代。映画界にツテもなく、仕事としての字幕について書かれた本もない。扉を叩こうにも扉がどこにあるかすら分からないという状況でしたが、ある日、雑誌に出ていた日本翻訳学院(フェロー・アカデミーの前身)の広告に「外国映画科」というのを見つけました。字幕翻訳ではなく吹替翻訳を教える講座だったのですが、とにかく何かきっかけをつかみたいと、その講座に通い始めました。

 

講師の矢田尚先生がおっしゃった「映画の翻訳は言葉を訳すのではない。セリフの心を訳すものだ」との教えが心に響き、仕事を始めてから、ああ本当にそうだと実感しました。今でも座右の銘です。先生からは後に「石田君は本当に目立たない生徒だったよね。特に成績がよかったわけでもないし」と言われたんですよ。本当にその通りだったと思います。 

 

講座に通っていた頃はもう、自分には向かないと思っていた会社勤めは辞めていました。会社勤めの頃に始めた翻訳の仕事が面白かったので、知人を介して特許や契約書など、主にビジネス翻訳の仕事を請けていました。さらにそれだけでは生活できなかったのでアルバイトもしました。今で言うフリーターのようなものですね。何らかの形で翻訳に関係する仕事を選んでいましたが、本当にいろいろなアルバイトを経験しました。 

 

今、勉強中の方で、なかなか仕事につながらず焦っている方もいらっしゃるかもしれませんが、今のこの状態がいつかプラスに転じることを信じて、自分の糧になる勉強を地道に続けていけば、きっとよい結果に結びつくのではないかと思います。継続は力なり、です。

ビデオデッキの普及でチャンス到来

しばらく暗中模索の日々を過ごしていたのですが、チャンスは一気にやってきました。きっかけはあの翻訳学校でした。クラスメイトから久しぶりに電話をもらったのですが、彼女があるプロダクションでビデオ用の字幕翻訳の仕事を始めたということで、紹介して頂けることになったのです。 

 

ちょうどビデオデッキが普及し始めて、ビデオソフト市場が勢いを増していた頃でした。既存の翻訳者の数ではとても足りない、新人を養成しなければという時代が巡ってきたのです。そのプロダクションの社長で字幕翻訳家の菊地浩司氏から字幕翻訳のルールなどの手ほどきを受け、いよいよ実際に字幕翻訳の世界に足を踏み入れることになりました。 

 

最初は、劇場版の字幕をビデオ用に書き換える仕事でした。当時、劇場版の字幕は縦書きで、ビデオは現在と同じ横書き。字数や改行位置など、いくらか変更が必要だったのです。戸田奈津子さんをはじめとするプロの字幕を、英語台本と照らし合わせながら、一つひとつ手書きで書き換えていくのですからこの仕事は本当に勉強になりました。 

 

それを何本かやったころ、菊地氏より1本翻訳をしてみないかと渡されたのが、スウィングジャズの巨匠、デューク・エリントンのノンフィクション映画『不滅のデューク』というビデオ作品でした。これが私の字幕翻訳者としてのデビュー作で、1986年です。以来、ビデオ作品の仕事はどんどん忙しくなり、劇場映画の仕事もいただけるようになって今に至っている、そんな感じです。

転機は興行収入を塗り替えた大ヒット作品

1996年、単館での上映で興行収入を塗り替える大ヒットとなった作品『トレインスポッティング』で、私の名前を覚えてくださった字幕制作関係者の方がいらっしゃったのでしょう。それ以降、傾向の似た青春映画の仕事が増えた時期がありました。

石田さんの翻訳作品『トレインスポッティング』
石田さんの翻訳作品『トレインスポッティング』

私は、自分からこんな映画が好き、こういうテーマの作品を担当したい、と言えないほうで、新人の頃から今でも、依頼を待って、仕事を頂いたら全力を尽くす、そういうタイプです。ただ、作品によって向き不向きや好き嫌いは当然あります。その点、『トレインスポッティング』は、自分でも相性がいいと思った作品でした。そういうところは字幕に出るのでしょうね。この映画に合っているな、字幕がとても乗っているな、と思ってもらえたら、それが見た人の印象に残って、もし同じような分野の映画を買い付けたら字幕はこの人に依頼しようということになるのかもしれません。

観客は専門家と一般の視聴者
ドキュメンタリーの苦労

どんなジャンルの作品も、いい訳が浮かばないという個人的な苦しみから、作品そのものが難しいなど、さまざまな苦労があるものです。なかでも大変なものを挙げるとすれば、やはりドキュメンタリー作品ですね。その分野の専門家の方が見ても違和感のないように、どんな事でも調べ上げる必要があります。調べ物は、インターネットは便利ですから私ももちろん使いますが、さまざまな情報があってどれが正しいか精査できないこともあります。そういう場合は、思い切ってその分野の専門の方に直接教えを乞うようにしています。また、最近では専門家の監修のつく作品も増えています。 

 

専門家もご覧になる一方で、多くの観客は一般の方ですから、その分野に詳しくない人が見てもすんなり理解できるように、わかりやすい字幕にしなければいけません。その両方の大変さがあります。 

 

また、ドキュメンタリーはドラマとは違い、伝えるべき情報が次々に出てきますから、文字数の限られた字幕では情報の取捨選択、凝縮の仕方にさらなる注意が必要です。たとえばマイケル・ムーアのように早口でおしゃべりな人の場合は本当に困りますね(笑)。インサート字幕といって、看板や数値などのデータ情報も頻繁に出てきて、それも同時に見せなくてはなりませんし。昔から「字幕翻訳は映画を見終わった後に、『字幕なんて付いてたっけ』と思うくらいさりげないのがいい」と言われているんですよ。観客は字幕を読むために映画館に行くわけではありませんから。そのための苦労は果てしないです。

映画の字幕は “書き言葉”であり“読み言葉”、
そして生身の人間の“話し言葉”

実は私は、自分で翻訳した映画をよく劇場に観に行くんです。観客の反応がダイレクトに伝わってきますから、ドキドキしますよ。コメディ映画では、笑いが起こると小さくガッツポーズをしています(笑)。反対に「あれれ、ここは笑うところなんだけどなぁ……」ということも。 あそこはこうしておけばよかった、と反省することもたくさんありますが、それを劇場で肌で感じることで次の字幕に生かせればと思っています。

 

また、翻訳には日本語の引き出しを多く持つこと、雑学を増やすことが必要ですから、いつもアンテナを張り巡らせるように心がけています。電車に乗っているときも耳をすまして、「女子高生ってこんな言葉づかいで話すのね」と観察したり……。それがすぐ字幕に使えるかというと、そうでもないのですが、最近の日本語の傾向をつかむことに役立つのではないかと。 

 

映画の字幕は “書き言葉”であり“読み言葉”である一方で、やはり生身の人間の“話し言葉”なので、生き生きと訳さなければいけません。そのためには口語を勉強しておくことだと思います。 

 

特に字幕は、情報量が原語の3分の1ほどしか入らないと言われています。その限られた文字数の中で、必要な情報を伝え、登場人物のキャラクターも生かし、読みやすくわかりやすく、生き生きとしたセリフを作る、というのが理想です。もちろん、そううまくはいかないのですが、字幕翻訳者として最大限の努力をしたいと思っています。

石田さんの翻訳作品『不都合な真実』
石田さんの翻訳作品『不都合な真実』

映画をたくさん観て、ドラマを理解する力を養うことが大事

よく言われることですが、映画をたくさん観て、ドラマを理解する力を養うことだと思います。特におすすめは昔の古い映画です。脚本がとてもよく練られていてセリフに無駄がなく、構成が巧みで、きっとセリフの勉強になると思います。 

 

字幕翻訳の仕事では、英語の台本を読み込んで、隅々まで映画を理解しようと努力しながら訳していくことが大事です。何気ないセリフでも重要な意味が込められていることもありますし、作品全体の中でそのセリフがどのような位置を占めているか、常にそれを考えて、観客の鑑賞の妨げにならないような流れよい字幕を作ることです。 

 

それともう一つ、映画というと華やかな世界を想像されるかもしれませんが、そのようなことはなく、実に地味で地道な仕事です。まず根気がなければ務まりません。根気よく調べ物をし、セリフを練り上げる姿勢が大事です。

取材協力

石田 泰子さん

 

企業に就職するものの、字幕翻訳者を志望、日本翻訳学院(フェロー・アカデミーの前身)で吹替翻訳を学ぶ。その後、知人の紹介で、1985年より(株)ACクリエイトにてビデオの字幕翻訳の仕事を始める。現在は劇場公開映画の字幕翻訳者として、年間30本前後を訳している。主な作品に、『不都合な真実』『華氏911』『チェ28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』『マンマ・ミーア!』などがある。

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