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二拠点生活(デュアルライフ)を楽しむ!
翻訳者のフリーランス処世術
フリーランスは不安定というデメリットをものともせず、ピンチをチャンスに変えて仕事の幅を広げてきたそうです。
仕事の分野の幅を広げるだけでなく、仕事をする場所も日本全国に広げて、パソコンを持って旅に出たり、地方都市にリゾートマンションを購入したり。
既成概念にとらわれず、のびのびと翻訳を続ける村瀬さんにお話をうかがいました。
営業マンから翻訳者へ、独学で転身
翻訳者になる前は、映像機器メーカーで営業の仕事をしていましたが、営業職には向いておらず、会社の業績も良くなかったため転職を考えるように。他にどんな仕事ができるだろう? と考えて思いついたのが翻訳でした。学生時代、英語は得意科目で、文章を書くのも好きだったので、翻訳を仕事にできたらいいなと思ったのです。
当時は何も知らず「翻訳=書籍」と思っていましたが、興味を持って調べてみると本の翻訳以外にも実務や映像など、さまざまなジャンルがあることがわかりました。「そうか、翻訳をするためにはいろんな知識が必要なんだ」と悟った僕は、英語の文法を基礎からやり直すのと並行して、例えば、化学や物理の高校生向けの参考書を読むなど、知識を得るための勉強もしました。
それから、翻訳をするには英語の読解力と日本語の表現力も必要でしょう。読解力については、週刊の英語雑誌を定期購読しました。一方、日本語の勉強のほうは、本を読むことはもちろん、自分で書くようにしました。写経のように、気に入った文章をひたすら書き写すんです。一文字一文字写していくと、まるで自分が書いているような、文章を書くのが上手になったような気になります。英語雑誌の購読と日本語の書き写しは今でも続けています。
ピンチはチャンス!?
仕事減少で、新たな分野「金融」に挑戦
翻訳者としてのスタートは比較的順調でしたが、フリーランスですから常に安定というわけにはいかず山あり谷ありです。翻訳歴20年ほどのあいだに、4回ほど谷がありました。ただ、その都度、何とかしなければと頑張ったおかげで、その後の仕事の広がりにつながったと思います。
最初の谷は5年目にやってきました。取引先2社の依頼が同時に減少したのです。当然、収入も減少します。子どもが2人いる身でそれは許されません。
その頃、翻訳者ネットワーク「アメリア」の存在を知って入会し、5年ぶりに求人に応募してトライアルを受けました。続けて5社受けて、そのうち4社に合格しましたが、仕事の依頼を悠長に待っている余裕はありません。合格した翻訳会社に自分で翻訳した原稿を持って訪問し、アピールしました。その甲斐あってか、3社から仕事をいただくことができ、そのうち2社とは今もお付き合いが続いています。
この2社の分野は金融です。大学は商学部でしたし、経済への興味も、ある程度の知識もあったので、思い切って金融分野のトライアルに挑戦しました。おかげで対応できる翻訳分野が広がりました。
ピンチは仕事の幅を広げるチャンスと捉える
いちばん最近のピンチは2017年です。翻訳を始めて以来ずっと続けていたサッカーの記事翻訳が、Webサイトの閉鎖に伴い終わってしまったのです。定期的な仕事だったため、この穴は大きく、何とか新しい仕事を見つけなければと模索しました。
そして見つけたのが映像翻訳のトライアルでした。イギリスの制作会社がドラマなど映像作品の英日翻訳者を募集していたのです。映像翻訳の勉強をしたことはありませんでしたが、字幕を作るうえでの細かいルールは制作会社から提示されていたので、それに従って翻訳しました。無事合格し、2018年12月から本格的に映像翻訳の仕事を受注するようになり、また仕事の幅が広がりました。
さらに2019年に入ってからは派遣で翻訳の仕事もしています。たまには外に出て働いてみるのもいいものですね。
フリーランス処世術は何にでも挑戦すること
今後は、これまで携わってきた金融翻訳を極めていきたいという思いもありつつ、ジャンルにこだわらずに、どんなことでもやりたいと思っています。チャンスがあれば出版翻訳もぜひやりたいですね。
2017年には通訳案内士の資格を取り、通訳ガイドの仕事も始めました。翻訳をメインにしながら、英語を使って、どんどん新しいことをしていきたいと思っています。
いろいろなことをやるのは、面白いというのはもちろんですが、フリーランスという不安定な働き方に対するリスクヘッジでもあります。1つの仕事しかしていないと、それが突然なくなったら路頭に迷ってしまいます。もしかしたら機械翻訳の台頭で翻訳量がガクンと減るかも。そんなときでも、できる仕事が複数あれば、なんとか乗り切れると思うのです。
パソコンを持ってふらりと旅に出るノマド翻訳者
良くも悪くも仕事をする「場所」と「時間」に縛られないことがフリーランス翻訳者の特徴のひとつです。それを実感したのが、ずいぶん前、お盆や正月に帰省したときでした。締め切りが迫っていれば、帰省中であっても仕事をせざるを得ません。当時はまだインターネット通信が今ほど発達しておらず、帰省中に使用した通信費に10万円の請求が来たことを覚えています。
ただ、この経験が元になり、僕は仕事を持って旅に出るようになりました。最初に旅に出たのは2011年のことです。もともと旅行は好きでしたが、当時はレギュラーの仕事を持っていて、長期間の休みが取れませんでした。だったら仕事をしながら旅をすればいい。帰省先でできるんだから、旅先でもできるはずだ、と思ったのです。
期間も行く先もあまり決めずに、気の向くまま、あちらこちらに行きました。青春18切符で鉄道の旅もしましたし、愛犬を連れて3週間ほど車で北海道を回ったこともあります。行き先や日程など特に何も決めずに、締め切りに合わせて仕事をしながら、その合間に観光をするといった感じでした。
東京と越後湯沢の二拠点生活で仕事の効率化アップ
そのようなわけで、自宅から出ることができなかった旅好きの翻訳者は、旅に出ることでリフレッシュできたのですが、旅先での仕事は効率的には劣ることが徐々にわかってきました。リフレッシュできて、しかも効率の良い仕事の仕方はないか。次に思いついたのが“自宅以外に拠点を持つ二拠点生活(デュアルライフ)でした。
東京で仕事部屋を借りる、どこかに別荘を持つなど、いろいろと調べて、初期投資、ランニングコスト、現実性などを考え合わせて出した結論が、越後湯沢の中古リゾートマンションを買うということでした。初期投資は諸経費を入れても100万円以内。ランニングコストは管理費3万円、東京からの交通費が往復で1万円、1週間滞在して食費が1万円、合計5万円といったところです。
ノマドや二拠点生活は翻訳者にこそ向いている
2014年にマンションを購入して以来、東京と越後湯沢の二拠点生活を続けています。結果として、とても満足しています。家族と暮らす東京の家は、独立した仕事部屋があるとはいうものの、さまざまな誘惑があります。その点、越後湯沢のマンションではテレビも見ませんし、近所にすぐに行ける店もなく、集中して仕事ができるのです。翻訳の仕事は越後湯沢で集中して行い、東京ではそれ以外の仕事をするというのが理想的ですね。
パソコン機能が進化し、通信インフラが整った現在は、ノマドも二拠点生活もやりやすい環境になってきたと言えるでしょう。翻訳というのは、まさにそれができる仕事です。興味のある方は、ぜひ一度試してみてはいかがでしょうか。
取材協力
村瀬 隆宗さん
実務・映像翻訳家。20代で脱サラし、翻訳者に転向。得意分野は金融、サッカー、音楽など。2018年から実務翻訳に加えて映像字幕翻訳も始める。また2017年に通訳案内士の資格を取り、通訳ガイドの仕事も始める。東京の自宅と越後湯沢のリゾートマンションの二拠点生活で仕事をこなす。